ビッグコミックうひゃひゃっひゃ

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人形シリーズ りんかんモール編

今朝も、寝坊して、起きたら六時四十五分でした。四時四十五分と五時、それぞれ目覚ましで起きたのですが、また寝なおして、六時前に天気予報を見て、また寝て、それで寝過しました。ラジオ体操とストレッチはあとでしました。ねこが昨夜から出てこなかったのですが、わらのところにいました。鈴が鳴ったので見たらいた。ふつうおなかがすいたり人こいしくなると出てくるものですが、昨夜から今朝まで、一度も出てこなかった。むしろわらの寝床に愛着があるようで、誰かが抱っこして連れ出した時も、さかんにねどこを振り返っていました。干渉を嫌う動物らしい行動。

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Mondonguito a la italiana c/arroz トリッパ(牛の胃袋)とポテトフライのトマト煮込み Sopa a la minta 牛肉とトマト、玉ねぎのミルクベースのスープ

ペル―料理、この日の日替わりはインゲン豆の炊き込みごはんと二菜で、おいしそうでしたが、例によって、ほかより早いこの店の開店時間に速攻で行って食べて、そのあと他のことをするという計画なので、日替わりが始まる時間より早くて、単品を頼みました。

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辛いソースをかけたところ。ハチノス炒めですが、この料理もポテトフライと組み合わされていて、ほんとペルーのこのポテトフライ活用法はどっから来たのか知りたいです。絶対援助物資か何かだと思うんですが、チリやアルゼンチンの経済危機やクーデターは日本で知られていても、私がもの知らずなこともあって、ペルーのそれは知らない。反政府組織のセンデス・ルミノッソ(毛沢東主義ってなんだよという)がいたことくらい。今現在あちこちのペル―料理店に行くと、白人系の人もいるし、かっぷくのよい人もいるのですが、前世紀の愛川町人口四万人で南米系五千人時代(大泉とちがって、ローカルニュースより外で知られてるとはいいがたいと思ってます)の人たちの身長や体格、北朝鮮の飢餓世代の人の体格をここで言ってはいけないのでしょうが、ペルーのポテトフライ活用法を見るとそこまで考えを飛躍させざるをえないというか、考えすぎというか。

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ハチノスとの組み合わせがポテトフライでなく、ふつうのじゃがいもになると、この店のメニューではカウカウになります。カウカウは印象的な名前なので、聞いたことある人もいると思います。それがポテトフライになると、モンドンギートアライタリアーナなるもったいぶった名前になる不思議。

es.wikipedia.org

ぜんぜん関係ありませんが、ハチノスをその形状から「タオル」と呼ぶフィリピン料理の店があり、フィリピンではポピュラーな言い方なのか、ちゃんと調べてほしいです(自分でやる気はない)鶏の足のもみじもそのフィリピン料理店では「アディダス」と呼ぶ。

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スープ拡大。ウィキペディアを見て、この黒いのがオレガノと分かりました。

Sopa a la minuta - Wikipedia, la enciclopedia libre

このスープは一度大和のナラソン*1でないラティーノの店で頼んで、その時材料がなくてあしからずでした。体験出来てよかったです。

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これくらいのお椀で出てくるので、数人でシェアするものなのかなあ、そうすっとこうしたペルーの食文化におけるスープの位置づけもまた、各人底の浅いスープ皿で供される西洋文化でなく、大きなお椀でスープを出して取り分ける、漢族文化の影響を受けているとは言えまいかと思いましたが、店員さんに聞くと、「これくらいなら一人でぺろりと食べますよ。ペルー人体格いいんで」だそうでした。さっき書いたポテトフライ活用術由来推理の話と全然ちがいますが、これもまた真なりということで。

ビッグコミック買いました。

正直不動産が山Pの人主演でドラマ化だそうで、小学館の編集はみなドラマ化のノルマがあるんじゃいかと思うくらい「オファー多数」とかすぐ煽りに書くので(例:『病室で念仏を唱えないでください』)正直どうでもいいのですが、山Pの人とはシラサギ(戦前台湾でそういう名前のタバコがあったと李天禄が「戯夢人生」で言ってました)以来の同じ原作者ものだとか、どうだ今回はNHKだぞ、そんじょそこらのドラマ化とはちがうんや、漫画家カンゲキ、みたいな鼻息の荒さとか(映像研に手を出すなもNHKだったような、ミャンマー)岸部露伴だけに風が吹く表現の実写化にはこうご期待とアンドリームという会社の人が豪語とか、テレパックという会社の人が、特に関係もなく「岸辺のアルバム」の名前を出してきて、驚きました。浜辺美波菅野美穂のドラマでもトヨエツのあたりで突然「岸辺のアルバム」の主題歌が流れ、脚本家の北川悦吏子という人がどうしてもブチこみたかったのだろうとその時思いました。私はこの曲、関川夏央のエッセーで読むまで忘れていた。

かわぐちかいじマンガのロシアの電脳戦はまあ、こういうかたちでなくともありそうだなと。中国がやる形でもよかったと思います。イップスまんがが、追い込まれた状況をどう打破するのかは気にしてます。Z世代だから家でチルして終わりにはならないと思う。一色まことみたいな絵のマンガについて、謎が解けてないか検索して、一色まことが昨年から『レディ・ロウと7日の森』というマンガを描いていたことを知りました。モーニングたまにぱらぱらめくりますが、気が付きませんでした。ハコヅメしか見ないからか。EDまんがは失敗フラグが立ってると何の根拠もなくブラフで言ってみたくなる展開。山科まんがもドラマ化するとダジャレ好きな担当の賞与が増えるのかも。でも小学館はもとからたくさんもらってそう。白人の赤ちゃんは実話があるのか気になります。そんなこと言ってたら、ポルトガル人が同化して消えたモザンビークにもそういう赤ちゃんが生まれたりしそうな。あとアラビア人インド人との奴隷交易の拠点など。

下条アトム、否、森本レオの映画コラムでスローターハウス5が映画化されていたと知りました。カート・ヴォネガットの小説だけでいいようにも思うんですが、どうだろう、映画。映画がほとんど日本で無視されたとしたら、それは小説の解説にあるように、作者がドレスデン爆撃をヒロシマ以上と表現したことに対する、一部の邦人の脊髄反射も理由にある気がします。通常爆撃においてや、日本のB29での夜間爆撃に対し、ドレスデンはちがうけど、通常ドイツへのそれは昼間のB17での爆撃なので、日本のほうがより没義道な扱いであったことは明白なり、ましてや原爆をや。それをドレスデンが上回ったなどとは非礼せんばん、なんたる悪鬼の所業ぞ、みたいな。どうでもいいですが。映画があるなら、ディア・ハンターが米国のロシア人共同体を描いたように、小説で、幼少期は村内ではドイツ語で会話していたとあるそのドイツ人集落の風俗を活写してくれていたなら、見る価値あると思います。スヌーピーのシュルツも出るなら、さらに価値。さてそういう映画かどうか。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。