論説『一九六〇年代初頭、新疆ウイグル自治区から国外移住した「新疆人」を追って』Departmental Bulletin Paper : "Following the "'Xinjiang people"' who emigrated from the Xinjiang Uygur Autonomous Region in the early 1960s"読了

by SHOKO NAOKO MIZUTANI

愛知大学現代中国学部発行(東方書店発売)「中国21」48号〈特集:いまさら文革、いまなお文革、いまこそ文革〉2018年3月_掲載

"CHINA 21" vol.48 special feature: "Cultural Revolution Now" published by GENCHU (AICHI UNIV.Faculty of MODERN CHINESE Studies.) Mar. 2018

愛知大学リポジトリ

なんとなく昨日、水谷尚子というひとの名前を検索して、近著ないか見ようと思っていたら、ここ数年に書かれた論文一覧が明治大学の教員データベースに載ってまして、この題名が、いちばん昨日見た写真展に近いかなあと思って読みました。愛知大学現代中国学部の紀要雑誌「中国21」は、神保町の専門書店がバックナンバーも含めて販売していて、電子版は愛知大学のデータベース(上のURL)から読むことが出来ます。本人が紙版でこうした論文や随筆をまとめようと思わない限り、研文選書から本が出るということもなく、そのかわりあちこちの紀要論文DBから随時論文が読める、という時代が現代なのかと。

はてなブログには黒色中国という中国専門の方がいて、その人がこの論文を昨年夏にツイッターで拡散してますので、その時に読んでるひとは読んでるんじゃいかと。読む前に、全文日本語の「中国21」執筆者における中国人研究者の多さとか、日本学術会議メンバーがこの中に何人いるかとか、ちえんれんほいいーとか、余計なことに気をとられて何も手に付かなくなって読めなくなった人が何人いるかも知りたいですが、ゼロコロナ、否、ゼロ人だと思います。まさか、哈哈哈。

https://leo.aichi-u.ac.jp/~genchu/china21/index.html

この雑誌はいちいち開かないと各号の目次が出ませんので、読んだことのある執筆者がどれくらいいるかよく分からないのですが、この前月にしょこたん、否、なほこサンの人が書いた研究ノート『新疆「バレン郷事件」考』掲載の「現代中国研究」は、いちいち開かなくともhtml上にずらずら各号の目次が出ますので、連綿とみえる安井三吉のご芳名とか、最新号トップバッターの劉燕子がツェリン・オーセルを論じてるとか見て、鼻血吹きそうになりました。

中国現代史研究会 『中国現代史研究』 バックナンバー Modern and Contemporary China Studies index

この論文の巻末で予告している、香港各団体の人道支援で西側に脱出した新疆ロシア人については、京大人科の「社会システム研究」に動燃、否同年11月に掲載されたようで、それもウェブで読めますし、2012年に同志、否同誌に掲載された『『革命的東トルキスタン』紙のタタール人記者ムニール・イブラギモヴィチ・イェルズィン回想録』も京大じんかリポジトリ、その名も「紅(くれない)」で読めるようです。カンフー(kan-fu)といい、どうしてそういう名前をつけるんだろう。変わったひとたち。

Kyoto University Research Information Repository: 社会システム研究

2012年に書いた別の論文で、この論文でも言及されている『キルギス共和国ウイグル人』が掲載された麗澤大学紀要もウェブ対応完備で、これもタンカンに読めます。否、かんたんに読めます。

WEKO - 麗澤大学学術リポジトリ

2015年の『ウイグル人の反中武装レジスタンス勢力とトルコ、シリア、アフガニスタン』が載ったアジア遊学193号は紙しかない感じですが、売り物なので、勉誠出版から買えばよいと思います。税込¥3080。ブッコフにないかなと検索しましたが、新刊しかないかった。日本の古本屋は以下略

現代にウイグル人が故地から中央アジアほかに拡散した時期については大別して四期あり、最初のは中華人民共和国成立に伴うもので、その時サウジに逃げた人たちのコミュニティがいまでもジッダやメディナにあるそうです。現代以前からのウイグル人コミュニティもあちこちにあるそうで、(注1)にはパキスタンカシミール地帯のウイグル人コミュニティを、1966年に鷲見東観というひとが訪れて、『カシミールの歴史と文化』という1970年の本で紹介しているとあります。どこの古書店でも五千円前後で値付けしてる、けっこうイイお値段の古書です。のちに「糖尿病はアーユルヴェーダで直る」とかお墓の立て方とか風水開運とかの本を書く人なのに、この時の本は金字塔なんですね。鷲見玲奈との関係は分かりません。他人ではないでしょうか。

その後の中ソ紛争時代に、ソ連側で反中ラジオ放送を担当した人たちのインタビューはわりとこなしていて、漢語がたっしゃなドンガンの人には、通訳なしでインタビューしてます。それは水谷尚子という人が、もともと北京語やってた側だったので(そこで北京のテレビで南京あった派発言したので、なかった派のネトウヨからマークされたのですが、末代まで謝罪と反省を要求されている、ということはありません、たぶん)そうなのですが、ウイグル語話者のひとを、ウイグル語>日本語でなく、ウイグル語>漢語通訳でインタビューしてるのが、手間いらずというか、どの通訳の人材だったらかんたんに見つけられるかの点で、マッチングアプリ的にもコスパがよいと思いました。タムパも。

都市部の知識分子の人たちは政治の荒波もあって神経使って、疲弊してますが、地方の混住社会の一般職の人たちは、わりとのびのびしてたそうです。で、通婚によるアイデンティティの多重化も進んでいたとか。それとは別に、ウズベキスタンに関しては、ウイグルと言語的に近いこともあって、もともとアイデンティティを分ける認識がとぼしく、民族登録(日本には日本国籍者に対してそういう登録はないですね)をウイグルからウズベクに変更する人も多いんだとか。カザフやキルギスは言語的に遠いので(同じトルコ系でも)そういうのはあまりないとか。トルクメニスタンイラン系タジキスタンの例は記述ありません。アゼルバイジャンはもっとない。

中国側にまったく資料がない、文革期にタシュクルガンからワハン回廊という交易の道をアフガニスタンに抜けた人たちの聞き取りが載ってます。中印紛争を背景に、アフガンとの蜜月を演出したい中国側の全面支援の「親族訪問」のはずが、出国時パスポートも持たされず、所持金持ち出しも禁じられ、携行した糧食は途中で尽きて、アフガン側のチェックポストであるサハードにたどり着いてもそこからバダフシャンまでアフガン側からの補給もなく、全行程徒歩。ロバも人も餓死。さいごは国連難民高等弁務官事務所を通して、在トルコのウイグル人民族活動家につながって、トルコに脱出し、トルコ国籍をとったそうです。

波がいくつかあった後は、2010年の上海ファイブから中央アジアでは新規は中国へ強制送還開始、それを知って臨機応変雲南などから東南アジア経由で逃げる展開になった先のトルコも2015年には新規は中国へ強制送還開始、てな感じだそうで、「でもだからといってどうして日本が面倒見なきゃいけないのよ」と読んでてツバをまき散らして怒るようなことは書いてないので、だいじょうぶです。ウイグルに平和あれかし、と無責任に言って終わってインカ帝国

2009年から2015年までのメモや記録を、どんどん状況が悪化する中で、これ以上ずるずる死蔵してはいけない、南無三えいやで発表した感じです。以上