「春原さんのうた」"Haruhara-san’s Recorder" 劇場鑑賞

ポスターの一部。結局薬局、深谷まで見に行きました。

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知人がベタぼめだったので、見ました。かつてアピチャッポンを教えてくれた人が、今年のベストワン(現時点で)とまで言って、一度ならず二度も言及したので、それほどならと見に行きました。その通りでした。この映画をひとことで表わすなら、「アピチャッポンが好きな人が激賞した映画」です。

映画館の中庭から見える、かつての酒蔵の煙突。この映画は、夜かけるのがしっくりくる映画だと、切に思いました。下高井戸、なんで夜なんだよ(最終上映ではないですが)と、どうにもギアが入らず見に行かない時は呪って、否愚痴ってましたが、これは夜見る映画です。深谷の映画館の方もポレポレで夜観たそうで、映画を見た後、しじまのなかを帰る時、深谷のように静かだと、いっそうあじわい深いと思いました。

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アピチャッポンつながりで考えていたせいか、映画館から駅までの途中の、タイマッサージ店の明かりが消えているのもいとおかしでした。妙に、一度だけ現地で立ち会ったソンカーンが、ノンカイだったのですが、そこの娼家の前にタイ人の若者やオッサンたちが夜、バイクでエレンディラ状態に詰めかけて、お店の人は、「今日はもう閉店!」と店を閉めて立てこもり、時折窓から「閉店だから帰れ!」と声出してる風景を思い出しました。この映画と何の関係もありませんが、タイマッサージの店舗(別にあやしい店ではないと思います)があったので、ふと思い出しました。

映画が始まる前まで待機というか、座っていられるスペースも屋外の軒先で、蚊が出なかったこともあり、後から考えると、ここでもう気分的に鑑賞準備が始まっていたように思います。

そのスペースを引いて撮った写真。映画のトレーラーでえんえん流れる不協和音などの音響は、黄永昌源、もとい永昌という方で、映画が始まる前のアニメ、象やキツツキでマナー喚起するアニメの音楽も同じ人でした。主演の人は、書家みたいで、じっさいに作中で書を書く場面もありますが、題字もこの人とのことでした。

劇中も蚊がいなさそうで、しかし戸口にはスダレとかかけたほうがいいと思いました。虫問題もありますが、隣人がドアの前を自分の部屋に行く時通りすがりに、中を見たくもないのも見てしまって気づまりとかないでしょうか。

最後はデルタでコロナカが終わったという設定なので電車内のボックスシートで飲食する場面を撮ったのでしょうが、オミクロンが将来終わった後の近未来の風景というふうに見る方が解釈しても自由だと思いました。その後の展開が、大洗から苫小牧フェリーであることが、見ていれば分かる人もいれば、カジはミサトがころしたと思う人もいるかもしれないと思いました。ナホトカ行のフェリーであるとか、宮崎行のフェリーであるとか言って、誰かを信じ込ませたい誘惑が、ちょっと生じて、消えました。

基本、コロナカ映画なので、みなマスクをつけていて、外から屋内に入るときは、まず手洗いです。そうした日常がつぶさに描かれる。バクシーン、ワクチンは出ません。ふつうに雑踏や通行人、ヴィーコーなどが映り込む撮影なので、そのメソッドを了とするか、21世紀はコンプラアンスガーと考えるかがあって、それであんまり国内上映館がないとしか、この映画がかからない理由が分かりません。

仏壇が映るのですが、お線香をあげたり仏花をとりかえたりお供え物をしたり(やたらどら焼きやケーキをもらうので、まず仏さまにお供えしろーと思う人がいるかも)お茶や水をあげる場面はありません。

ヒロインはよく化粧を落とさず寝落ちするという設定なので、きれいなままの寝顔が映ったりして、でも冒頭の入浴シーンは化粧落としたほうがよかったんじゃと意地の悪いチェックをしてると、ラストにちゃんとくつがえされます。入浴シーンのころは、まだ「だいじょうぶ」じゃなかったというふうに解釈しても可。

京王アートマンが出ると、諸星大二郎暗黒神話を思い出します。

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都心経由で通勤してるのか、朝霞経由で通勤してるのか。新宿市ヶ谷なら防衛省、朝霞なら駐屯地。この店のカウンターがタイル貼りで、大和のシンガポールレストランみたいだと思いました。こういうカフェのママさんは、キャラはちがえどそつのない応対の会話定型文みたいのは似てくるのかしらと思いました。南林間のネパール料理屋とか、相模大塚スリランカ料理店に手伝いに来てた綾瀬のカフェの人とか、性格は違うはずですが、女子トークのフレーズは同じ。

観客は六人かと思ったら、増えてました。男性が多くて、それは夜の上映のせいもあるんだろうと思いました。駐車場はあるみたいです。映画館の人によると、昼間はやはり都会とちがって若年層の遊民が少ないので(単館系映画を見るような、という意味。そっち方面の学生さんとか)お年寄り向けの作品を考え、夜わざわざ映画を見に外出する人はコアな客層なので、そういう人のお眼鏡にかなう映画をかけたいとのことでした。ちがう発言だったかもしれませんが、私の脳内でそうなってしまって… すみません。

なので、ここは、今後のラインナップについて、作品名を並べて、観たいかどうかアンケートとってました。見たい作品を募るかたちのアンケートは厚木でも大森でも見ましたが、配給会社から示された作品群に対して、カスタマーと双方向の伝達しての要素も加味してかけるかどうか判断してる映画館があるんだと知りました。林檎とポラロイド、猫は逃げた、ベルファスト、やがて海へと届く、チタン、アネット、英雄の証明、とんび、親愛なる同志たちへ、潜水艦クルスクの生存者たち、ふたつの部屋、ふたりの暮らし、カモン・カモン、ある職場、アンラッキー、セックスまたはイカれたポルノ、ツユクサ、ニトラム、アンネ・フランクと旅する日記、が、この日あったどうでしょうリストの前半部分。厚木と黄金町と関内と新百合ヶ丘の四つあれば、どれかで必ずかかると思いますが、見るかどうかは別という。ドキュメンタリーは別リストで、森のムラブリ、ぼけますから、よろしくお願いしますマーヴェリック、キャスティング・ディレクタースパークス・ブラザーズ、見えるもの、その先に、いのち見つめて、杜人、リンダ・ロンシュタットフェルナンド・ボテロ、チロンヌプカムイ。その他あったら書いてね、の空欄ももちろんありました。20周年記念上映がういういしい菅田将輝のキネマの神様で山田監督の舞台挨拶があるのにも、双方向のエッセンスが入った成果だとすればうれしいことでしょう。

遠くの映画館まで映画を追いかけたのは、『おクジラさま 二つの正義の物語』以来二度目です。前回は静岡市で、捕鯨論争に自分なりに整理がつけられたのでよかったですし(応援はするけど自分では食べない、水銀ガーという人が多数派なので、オワコン化してるという世相分析)静岡はイルカを食べる地域ですので、その意味でもよかったなと。今回も夜の静けさを満喫出来ましたので(神奈川県央も静かですが、まあ気分の問題で)各地のミニシアターの魅力を発見してしまい、これから地方のミニシアターめぐりがくせになりそうだ、と書くとアオリ記事になるのでしょうが、これは日記ですし、じっさいはそのヒマもないだろうですので、単発でバビューンと行く時以外、こういうことはないと思います。

草木がざわざわみたいな、小津ガーとかホウシャオシェンガーみたいな紋切り型はそれはそれとして、横顔の多い映画で、平成ガメラセガールの娘さんや、叶姉妹もとい上白石姉妹を連想しました。白人にも黒人にもこういうふっくらした頬の人はいますので、目の切れ味とか彫りの深さとかくちびるとかは人種のちがいがあるかと思いますが、ほっぺたのふっくらな人はどの地域にもいてると思います。あとこのまるいアゴ。そういう着眼点への賞賛はなかったのだろうか、なくてもいいけどと思いました。

以上