『あしなが蜂と暮らした夏』"The Summer I Lived with Paper Wasps." by Kai Nobue 読了

これもビッグコミックオリジナル『前科者』で登場人物が読む本。主人公が自宅で畳の上で寝っ転がって読んでたはずです。

甲斐信枝 - Wikipedia

書き下ろし。装画◆作者 装幀◆ミルキィ・イソベ+安倍晴美(ステュディオ・パラボリカ)最初に15ページくらい、作者のスケッチブックから、表紙のような水彩のフキノトウやらレンゲやら鶏の餌にする菜っぱやらのイラストと、エンピツ書きのメモ(自分にさえ分かればよいので、他人にはけっこう判読が難しいです)の抜粋が載ってます。

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百ページくらいで、字も大きいので、さくっと読めました。ご高齢の著者ですが、本書に書かれたことは、四十年位前の出来事だそうで、そうすると八十年代初頭、バブル前夜というか、ホイチョイ『見栄講座』前夜でしょうか。

たぶん原文は手書き原稿。単語が漢字に変換されずかながきになっている具合、配分から推測するに。四十年前の京都の無農薬有機栽培のキャベツ畑から始まりますので、1980年の無農薬かあ、とそこから思考を遡らせました。有吉佐和子が中国レポートで、中国の化学肥料農薬使用礼賛に、レイチェル・カーソン沈黙の春中国では訳されてないんダー、と、若き日の日本語通訳時代の、王毅外相の師匠唐家璇にこぼしたのが1975年ですから、いてもいいけど、今ほど高く評価もされてなかったかなあと思います。JASとかなかった時代だし。

アシナガバチ - Wikipedia

神戸市:アシナガバチと上手につき合おう

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なんでアシナガバチが英語だとペーパーワスプなのか分かりません。はちはビー、beeじゃないんかと。

後半、アシナガバチの巣を三つ、東京のアパートまで新幹線で輸送し、車内で女王バチが一匹逃げて、車内の大半の出張族がパニックに陥って一斉にスーツをはたく場面があります。四十年前ということは、1930年生まれの作者はもう五十歳で、若い世間知らずのネーチャンがやったことだからでは済まされない年齢で、なんしか京都のゲージツ家はいかれてまんな、社会常識ちゅうもんがあらしまへん、と、現代から現代のコンプライアンス基準で攻撃する人がいるかもしれませんし、いないかもしれません。スズメバチなら大問題ですが、まあその他の蜂なら、あまり「やいやい言うな~」と小枝師匠が弁護してくれるかもしれません。

巣がいっぱいある納屋の農家のオバアとの交流が、方言含めなかなかイイのですが、このオバアは、大原女というか、毎朝野菜を洛中に売りに行ってたとのことで、それを乳母車で手押ししていたというのは、時代だと思いました。21世紀ならオバアかて軽トラ運転しますよって。そのオバアと、中年のヨメしか農家の人間は出ないのですが、男衆は何しやはってくらさはったんやろ、宮崎学『突破者』には、この時代無茶しよる土建屋がなんぼでも出てくるわけですが、そういう御仁の仲間やったんやろか、と想像しました。

近所に「あなた」という喫茶店があって、経営者はよそものだったそうですが、今、京都、喫茶店、あなたで検索しても、何も出ません。消えはったんやろなあ。

まあそんな、ケッタイな虫めずるおばはんのファーストサマーウイカです。これ読んで、アシナガバチは益虫なので、これからもっと大事にしようと思いました。でも巣が一個か二個あるくらいでは、畑の青虫はなくなりませんけどね。以上