『ガンジス河でバタフライ』"Butterfly on the Ganges" 読了

長澤まさみ主演インドロケドラマ*1の原作ということで読みました。

装幀 神崎夢現 カバー写真 鈴木昭彦(遊泳時同道していたバックパッカー

ほかの画像はTBS放送「恋する旅人~さすらいOLインド編」より高橋利行撮影分と、旅行時に作者が撮ったもの。紙質とあいまって、そこはかとなく藤原新也臭がします。まあこの時代は多かれ少なかれ、そうなるしかなかったわけですが。

藤原新也ではぜんぜんない、ヤリコン流出画像か二宮和子『平成ヨッパライ研究所』か、という中表紙(部分)舌を入れられないよう歯を食いしばってるとしか見えない。これはおそらくTBS放送された自主制作ドキュメンタリーのワンカットで、シク教徒の人は演じてるだけです。ほんとに迫ってるわけではない。本書ラスト近く、ボンベイ(現ムンバイ)でタクシードライバーかなんかに、ダメモトでチューさせてと迫られる場面の再現と推測しました。ボンベイだからシク教徒がいる。ゾロアスター教徒もいる。ユダヤ人も。

読んだのは初版翌月の二刷。書き下ろし。四百字詰め原稿用紙516枚。1992年、大学三年の夏に初の海外旅行で香港、シンガポール、マレーシアに行き、翌年春インドへ。その経験を、1997年自主ドキュメンタリー制作公開後、本にしないかと幻冬舎編集木原いづみさんから提案され、2000年やっと出版する。もうひとり、石原さんという編集者と、それから、アドバイザーの滝口さんにも謝辞が捧げられています。日芸出身で、大学一年時に、棄権者が出たため盛り上げ役として出場したミスコン(ミスコンやアイドルオーディションやジャニーズに応募する人はだいたい「つきあいで」とか「勝手に知人や肉親に応募された」って言うよね、という話とはまた別と考えたく)で準ミス日本大学に選ばれ、翌年それで島田紳助の番組に出て、彼の知己を得る。また、大学四年時には、どうしても会いたかった吉本ばななに、知人のツテでやっと会え、知り合いになる。この両者が帯を書き、巻末では両者にも謝辞。

ここまでやって1992年のバブル絶頂期に就活したのですから、さぞや内定でウッハウッハかというと、三十社以上落ちまくったそうで、下宿のJDはホントに落とされるんだなあ、しかも落とされる理由が「遊んでそう」ので自社の独身ヤングメンの花嫁候補にふさわしくない、というメチャクチャなものという、バブル期男女雇用機会均等法施行以後もはてしなく続いた闇の世界に思いを馳せてみたくなります。ホントにそういう理由かどうか分かりませんが… とにかく型にはまってない人物をとりたがらなかった、というのもあったと思うので。「もっとあなたにあった、あなたにふさわしい仕事がきっとありますよ、ご多幸をお祈りしてます」みたいな断り文句。

今だったらどうだろう、企業がこういう人材とるようになった反面、本人が、セルフプロデュースがこれだけうまいと、在学中からユーチューバーとかそういう方向に進んでしまい、それで固まってしまう(アクセス数を維持するだけでせいいっぱい)のではないでしょうか。それで、作者が東映に入社し、イベント部テレビ部と渡り歩き、数々の現場で磨かれ、そのあいまにも毎年二週間程度の海外放浪をこなすなんて芸当、人生は、バズることだけ考える自営業になってしまうと、とっても送れない気がします。

カバ折にショートカットのアラサー作者写真が載ってますが、巻末年表に載ってる、ミスコン当時の写真や、卒業式の袴姿の写真などを見ると、こりゃたしかにテレビに出るだけのことはあるわ、と納得のかわいいお嬢さんです。それが百戦錬磨のこんなアネゴにry

たかのてるこ - Wikipedia

長澤まさみもドラマ監督の李相日もしくは李闘志男もインドではお約束の下痢続きで、監督は食べなければ出さないの鉄則に基づき、絶食して撮影を遂行したそうですが(点滴打ったのかな)原作者は旅行中便秘に悩まされたそうで、作者の兄も旅先で会う邦人もみんな下痢してるので、その時点でただものでないと分かります。

長澤まさみは、ジャーマネが、この子はこれくらいの年齢のうちにギョーカイ以外も知ったほうが絶対にいいとの信念でこのドラマ出演を激押ししたそうで、それは、原作者の人柄を見聞きしてたのもあるのかなと思いました。椎名誠は沐浴しただけで「よくあんな汚い川で」と日本で絶賛されましたが、彼女は7mダイブやバタフライをこなした上に、写真はありませんが水葬死体にホントに手を触れてますので、「あんなーウチなーシーナより上やねん」と自慢こいてもおかしくないのですが、みじんもそんな行動に出ない。素晴らしいですね。で、メ~テレで長澤まさみも同様に7mダイブさせられる(というか自分で意を決してダイブする)

もっとも、関西人でしかも業界人なので、二重に盛りやすい環境や性向があると考えるべきで、冒頭で旅先では知り合った人の家にばかり泊ってると書きながら、本文ではちゃんとゲストハウスのドミトリーにも頻繁に泊ってる、あたりがその一角かと。旅先で出会う人も、ある程度までは関西人ばっか。香港では横浜在住で広東語が話せる、なぜか関西弁の邦人旅行者が出ますが、横浜華僑は広東人が最大勢力ですし、神戸と姻戚関係があってもちっともおかしくないので(獅子文六の『バナナ』主人公もそうでした)そういう人だったのではと推測します。

鉄道の切符を手配する場面と、ボロボロのお札をつかまされる場面は、ついつい脳内で中国とインドを比較しながら読みました。インドはこの当時すでに鉄道切符電算化されてましたが(日本国有鉄道マルスシステムではない)中国はコネ発券の関係者既得権益があるので、永久にコンピュータ化出来ないと、当時は真顔で囁かれていたものです。実際には、Y2K前後に電算化されたはずで、やれば出来るというか、鉄道値段の高額化と、競争相手の私人寝台バス(卧铺车)の便増が背景にあったと思います。後年映画『苦銭』で、座りっぱなしのハードシートで雲南から浙江省南部へ出稼ぎに来る場面を見て、また最近は鉄道移動盛り上げてるのかなと思ったものです。

本書ではインドでなぜ旅行者にボロボロのお札を掴ませてくるのかの理由を書いてませんが、ただたんに、銀行がボロボロのお札両替してくれないからで、それは中国も同様なのですが、そこまで触れてません。バックパッカーは大別するとインド派と中国派に分かれ、両者はハッキリ性格が異なるそうですが、特にそこは何とも思わなかったです。

中表紙の写真のエピソードの前なのですが、ひとりでボンベイの町中をふらふらしてたら、インド人の教養ある中年女性に、何アンタ女性一人で外出してんの、ここは田舎の農村じゃないのよ、と烈火のごとく怒られ、同じゲストハウスの邦人男性も、庇護者としてなってない、とフルボッコな場面があります。どうも作者は、ほんとは本に書けないレベルの邦人旅行者にもたくさん会った上で、卒業後は就職して日本社会にも順応しておかないと、日本ではとても生きていけない人たちと同じになってしまうという危機感を持ったようなのですが、本に書けないのでそういう人たちは一切登場せず、ここでインドマザーに怒られる人は修業が出来ているので、素直にハイハイと怒られます。

で、女性が庇護者?の男性なしで家の外に出れるかという社会通念について、関係ないですが、あるインドネシア料理店の客層が、若いインドネシア人の女性ばっかなので、同じ回教徒でも、インド亜大陸と東南アジアではかくもちがうのかといつも驚きます。回教徒だけの話でなく、インド亜大陸料理の店で、同じ地域の女性が男性なしで来るのは、スリランカくらい。インドもネパールもバングラディシュもパキスタンも、その地域の人が女性だけで店に来るなんて、論外といいたげな、男性スタッフと客の圧があります。(ブータンブータン人女性がどれだけ日本にいるか不明だし、顔だちも邦人とさして変わらないので分かりません。チベットも同様とします)ある南インド料理の店は、このインドネシア料理の店同様、バイリンガル?な松竹芸能所属の人がホールをやっているのですが、夫や父にエスコートされないで来訪するご当地女性客なんて皆無。まあ、インドネシアの店も、キモノ再生バティックやってる、各地に支店のあるほうの店だと、男性スタッフばっかりなので、ジャワやスマトラの女性客が三々五々来てるのかは分かりませんが…

本書は初めに、自分は本能的にふつうの人と悪い人を見分ける能力が発達してるのかも、と書いてあるとおりで、作者は旅先で出会った人の家に泊まっても、何も起こりません。しかし私はポーカー賭博詐欺に巻き込まれそうになりましたし、同じように旅行しても、危ない目にあった人はたくさんいると思います。そう考えると、いつまでも逃げ切れるものでもないし、紙一重の差で、ひどいことになった人が、「あなたはいいですね私はあなたと同じ旅行をしてこんな恐ろしい目に云々あなたのせいです」等の手紙をえんえん書いてくる可能性もあったと思います。私が読んでこれはほんとに運ひとつだったなと思ったのは、ブッダガヤのおしつけガイドがおごってくれた瓶入り炭酸水が、開栓済だったので、睡眠薬強盗の可能性があった場面と、マレーシアで深夜ひとけのない場所でバス待ちしてたらカタコト日本語話す男性のクルマに乗せられる場面。現代はSNSが発達しているので、こういうエッセーを読んだ、「カミソリ一枚の差でひどい目にあってその後も苦しんでいる人」や自分がそうだと思っている人から、えんえんいろいろリプとか来る時代なので、あまりこういうことは書かなくなったかなという気もします。あるいはSNSに膨大な量が発信されてるので、いちいちかえりみられない。

こういうことを考えると、作者がこの後旅エッセーを書き続けている(ように見える)のも、僥倖だと思います。チベットのエッセーは、今度読みます。以上