རྒྱང་རིང་གི་ས་ཀུ་ར་རྗེ་མ།『遥かなるサクラジマ』"SAKURAJIMA in the Far Distance."《》_ལམ༌གྱི༌ཉི༌འོད།『路上ろじょうの陽光ようこう』"Sunlight on the Street"《路上的阳光》ལྷ་བྱམས་རྒྱལ། ラシャムジャ lha byams rgyal 拉先加 日本オリジナル短編集 Japan Original Edition 日本独创短篇集

『路上の陽光』ラシャムジャ|海外文学|書籍|書肆侃侃房

路上の陽光

路上の陽光

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装丁 成原亜美(成原デザイン事務所) カバー写真 Chongtian/EyeEm/gettyimages

さいごの話。邦訳が桜島を漢字で書いてないのは、漢字で書くと漢語の《樱岛》"yingdao"、インダオというはっちょんに引っ張られそうになるからだと思います。

ས་ཀུ་ར་རྗེ་མ། と書いて「サ・ク・ラ・ジェ・マ」と読むのかな。ས་ཀུ་ར་རྗི་མ། のほうが「サ・ク・ラ・ジ・マ」になるんでない、とシロウトは思いますが、その指摘はたぶん間違ってるのでしょう。「サ・ク・ラ・ジー・マ」になったりして。

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帯/背。

心は通じ合う

読んでるうちに、氷川きよしがKIINAになったりりゅうちぇるがryuchellになるのはいいのですが、チベット、女性作家いないから男性作家がこういう話まで代筆する時代が続いてるのか、女性作家いるけど日本に紹介されてないだけなのか、どっちなんかな、と、思ったです。

亡命チベタンの主人公女性が日本人男性と結婚して配偶者ビザを得た後で心が離れて、そこにメインランドのアムドから来日したアットラクティヴな同胞が現われ、そしてオットだったチベット研究者の邦人男性はシット丸出し、必死に、婚姻の実態がないのに結婚査証で留日している現状は違法だと周囲の人々に喧伝しまくるという展開。やっぱり、我知らず、日本人男性がDISられているような気になり、ネトウヨ愛国心が頭をもたげてしまったりしまわなかったり。これが、流血のネパールからまず辿り着いたカナダで、カナダ人男性からされたこととして描いたのなら、( ´_ゝ`)フーンとしか思わなかったでしょう。シチュのちがいがこんなに当方の精神に影響を及ぼすとは予想だにしませんでした。

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韓国の自称他称「名匠」ホン・サンス監督の「夜の浜辺でひとり」は未見なのですが、何となく似た話な気がします。でもキム・ミニが悩んだり寝そべったりするのは、韓国とドイツなので、見てて気楽です。舞台が日本で、日本人にそういう仕打ちをされるというストーリーだと、こんなに難儀なんだなと、深奥の自分に語りかけました。そして、ホン・サンスもラシャムジャ同様、男性で、女性を主人公に、こういう話を撮りました。

頁220、故郷タンゴは丹後でも黒猫のタンゴでもないので、検索しました。

炉霍県 - Wikipedia

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同じページのチベットの弦楽器、ダムニェンも検索しました。

Dramyin - Wikipedia

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前半はいいけど後半ガーという動画を載せようかどうしようか迷って、ぜんぜん関係ない、チャンネーがクダを巻く動画を載せることにしました。チベット語ってこんな響き。ときどき唐突に漢語もさべります。关注个性とか。

チベット人同士はもっと軽口叩くのに、日本人は関係性が希薄というか、冷えているという感慨は、まあそうなんだろうと思いますが、それは彼女があんましヤソキーとかやーさんと接触がないからでもあり、同時に作者の来日時の体験の反映でもあると思います。県営住宅に住む幼少期来日のインドシナ難民やその二世と話してると、如何にチンピラが彼らに絡んでくるか、接触する邦人に占める割合が高いかよく分かる。そういうのはファンウェンシュエジャー〈访问学者〉には伝わりがたい。いんびてーしょん。

また、頁246にあるような、粘着日本人配偶者(オット)の描写について、在日チベタンのサンプルは、総数が多くない分あまりないと思うのですが、総人口十三億の漢族が、自分にいいようにしゃべる数をカウントすると、膨大な数になるでしょうし、たとえば楊逸サンあたりにあたりをつければ、いくらでも具体例は引き出せる気がします。中国に暮らして漢語教育を受けている以上、そうした事例で中文新聞に載ったケースに目を通すこともあるでしょうから、知らず知らずのうちに描写が引っ張られることもあろうかと。

ニマ・トンドゥプが漢族なら、仲間の数を頼んでタカシの家の周りをうろつかせたり、いろいろ策を弄したと思います。漢族そういうの好きだから。そうしてもどうしても、ダワ・ラモが新幹線で東京から鹿児島まで旅する展開にすることは可能。飛行機にしないで新幹線だけで移動させたのは、作者もチベットの読者も新幹線が好きだからだと思いました。ダワ・ラモという亡命チベタンの造型を、在日チベット人がどう思うか、聞いてみたい気はむろんしました。

とまれ、これで、本書の作品もおしまい。チベット作家の「女流」の存在について、想いを馳せることが出来たのは収穫だったと思います。映画「チベットの女 イシの生涯」でしたか。原作の、チベット関連漢語小説であるザシダワ《冥》もまた女性が主人公で、そして漢語で書く方であっても、チベット人の女性作家って日本に紹介されてたっけ? そもそも少数民族の女性作家自体、紹介されてはいるんでしょうが、私は気が付いてませんでした。牧田英二さんなどの翻訳で、どうだったかなあ。そういう気づきがもらえて、よかったです。以上