ビッグコミックオリジナル連載『前科者』に出て来た本。
マンガに出て来るのは現在も入手可能な文庫ですが、図書館で借りたのは単行本。
読んだのは初版と同じ1991年、初版から二ヶ月後の三刷です。
巻末に収録作品の底本やかなづかいを改めた旨の「覚書」
表紙イラストは単行本も文庫本も同じです。
カバー装画「無伴奏」岡野博
本文カット 伊藤友宣
「こころの本」というシリーズで、巻末の広告(右)によると、ほかのラインナップはこんな感じ。
<こころのアンソロジー>
死を考える
中村真一郎編・解説
いかに生きていかに死ぬか? 魂のありか行方はどうなるか? ソクラテス孔子の哲 学をはじめ古今東西の古典13篇を収載して先人の死生観に学ぶアンソロジー。
老いの生きかた
鶴見俊輔編・解説
年のとりかたは人それぞれ。 自分を見つけ、生きるヒントになる素敵な言葉のアンソロジ 186篇。中勘助、 鮎川信夫、 高森和子、 串田孫一ほか。
人の生き方について
森本哲郎編・解説
いやおうなく自分と向き合わねばならなくなったとき、先人の言葉に耳をかたむけたい。 ショーペンハウアー、芭蕉、 山本周五郎、 良寛など人生の旅人たちが語る15篇。
孤独の生き方
串田孫一編・解説
人間は生来、孤独な存在である。 しかも孤独の体験を通じてこそ、自己を見つめ直そうと 人と人とが結び合う真の喜びも分かるのではないか。勇気が湧く珠玉のアンソロジー。
二百ページほどの本ですが、山田サンによると、紙数の関係で生きることの哀しみを伝えるさまざまなカテゴリーを網羅すること能わず、残念閔子騫とのこと。
耕治人サンの『どんな誤嚥ご縁で』『そうかもしれない』を入れたかったが、ほかとのかねあいで諦めたとも。当時この人のブームだったからあてこもうとしたけど便乗商売と言われるのがいやでやめた、わけではないと思います。
目次。
巻頭『断念するということ』で、筑摩書房を退社された湯川進一郎サン、引き継いだ平賀孝男サンに謝辞。
各話の前に著者プロフと、山田サンからのひとことがついてます。
『或る朝の』は詩。吉野弘サンは"日本で最後"の徴兵検査を受け合格するも入隊五日前に終戦とのこと。それとこの詩は関係ナッシングです。
その次に佐藤愛子サンの、還暦過ぎたあたりのエッセーあらわる。この頃、天命が現在まで続くとは予測出来たであろうか。
次が円地文子サン『めがねの悲しみ』で、ズバリ眼鏡をかけるとぶさいくに見える(と本人は思っている)話。野上弥栄子サンや宇野千代サン、林芙美子サンが出ます。また、円地サンのプロフには特に書いてないのですが、梅蘭芳に目が似ていると言われたことと、華南へ慰問に出かけたことがさらっと出ます。
次が時実新子という川柳の人。『私のアンドレ』のアンドレは、直球ストレートど真ん中でベルばらのアンドレ。
次は、宮澤賢治実弟による兄の回想。意外と人生を通して創作三昧ではなかったようで、農学校自体は教職の実務に忙しく、ノート類はうっちゃったままだったとか。収録された賢治の詩の、「冀フ」が読めませんでした。
宇野信夫『二度と人間に生まれたくない』は川口松太郎サンを回想。
五味康祐『太宰治――贖罪の完成』は、彼の心中未遂が自殺幇助でなく殺人容疑なのではという問題提起。しかしそれを計画殺人とまで読んだ人がいて、大山鳴動したとか。
『山の人生』柳田国男は子殺しの話。前科者につながった。
ジッドのエッセーは、ジッドサンがLGBTQの"G"だと知りつつパートナーを務めた性的マジョリティーの奥サンの思い出。奧さんと旅行中、イタリアやらアルジェリアやらで、横に奥さんがいるのに少年にタッチするエチなジッド。
次の断腸亭日常は、東京大空襲と、終戦前後を抜粋。「枕頭(ちんとう)」から始まり、「珍羞(ちんしう)」で終わります。「藕花(ぐうくわ)」が分からなかったので、検索しました。
戦争はちょっと、「生きるかなしみ」とはちがうんじゃいかと思いました。圧倒的な暴力でもぎ取られる喪失感は、自発的な自己完結の「生きるかなしみ」ではない。
次の杉山龍丸サンは、夢野久作サンの息子さん。復員事務、なかんづく遺族への戦死通告について。
ラングストン・ヒューズサンは白人として生きるホワイトニグロ?の話。
次がコサミョン『失われた私の朝鮮を求めて』この人の岩波ジュニア新書『生きることの意味』息子さんの『ぼくは12歳』パートナーの人の『白い道を行く旅』三部作はとても面白かったのですが、この話はう~んでした。内地の話なのに植民地における母語禁止、日本語教育について書いてるので、ミスリード狙いと思われそうな話。伊集院静サンも同じ山口県生まれだったなと、考えるだけ。
この話、伊集院静サンが読んだら、どういう感想を抱くんでしょうか。
ラスト水上勉『親子の絆についての断想』赤貧芋を洗うが如しの前半の話、アンデルセンの母親がアルコール依存症だったという折り返し点まではよかったです。
頁204
母がアルコール中毒になったのは、日がな水につかってよその洗濯をするために、軀がひえるからだった。それでこの母は、しょっちゅうビールを温めて呑んだと研究家が語った。
ところが後半戦、お寺の丁稚奉公からどのように還俗したのかも分からぬまま、結婚前の若いころにこさえた子で、育てられないのでよそに預けた、のくだりが出て、なんだよそれと思いました。山田孝之サンのようです。
以上