『書くことについて』"On Writing : A Memoir of the Craft" Stephen King translation by Yoshinobu Tamura スティーヴン・キング(小学館文庫)読了

カバーデザイン 鈴木成一デザイン室 カバー写真 Photograph of Stephen KIng ©by Jill Krementz: all rights reserved. 田村義進訳 読んだのは初版の翌月の二刷。

表紙の写真を撮った人は、カート・ヴォネガットのパートナーでもある、人物写真が得意なフォトグラファーだそうで、屋内でも靴を脱がないアメリカ人の日常を活写、否、クロックスのない時代を切りとった写真。スティーヴン・キングは身長約二メートルで体重百キロだそうですが、そう見えますかという。

Jill Krementz - Wikipedia

たぶん事故のあとです。

"On Writing : Tenth Anniversary Edition : A Memoir of the Craft" という版が2010年に出て、本書はそれを底本としているのですが、その前の版が2000年に出ており、その時点でアーティストハウスというよく知らない出版社が池央耿という人の訳で『小説作法』という邦題で出しており、まずそっちを借りました。で、これがアマゾン等のレビューでボロクソで、池央耿という人はチ・ヤングン"Chi Yanggeng"という中国人ではむろんなく、いけ・ひろあきサンという、ベストセラーの邦訳を何度もモノしたベテランの方ですので、なぜそんなボロクソ訳が生まれたのかさっぱり分かりませんでした。しかし、みなさん新訳のほうを推してますので、素直に従って、旧訳を返却し、新訳を借りて読みましたです。

池央耿 - Wikipedia

田村義進 - Wikipedia

十年版は追加で、前の版から十年のあいだに読んでいいと思った本を八十冊あげてます。『ユダヤ警官同盟』は読もうと思って忘れてた本。ドラゴン・タトゥーの女が入ってて、読んだんだステファン、と思いました。最初の版でも、三、四年の間に読んで面白いと思った本をずらずらあげていて、別に新刊だけ読んでいるわけではないので、レイ・カーヴァーのぼくが電話をかけている場所や、イーヴリン・ウォーのブライヅヘッドふたたびを今読んだんかいとか、ハンニバルと蠅の王も今かい、とか、コンラッドの闇の奥とディケンズのオリヴァー・ツイストも今なの? というふうにも楽しめます。

『トミー・ノッカーズ』が著者のアル中時代の等身大を描いていると何かにあったので読み、その小説はそうでもなかろうと思い、そこの訳者あとがきかなんかに、ノンフィクションの本書に体験談が載ってるというので読みました。しかし、リハビリを受けるか否かの決断を書き、その後、家族の元に帰って(家族からは、リハビリか家を出ていくかの選択を迫られて、要するにそれが底つきだったのですが、本人的には、酒と市販薬をやめたら、創作活動に支障をきたすのではないかという不安、否定のための理由があり、最終的には、書けなくなって収入の道が途絶えても、最初から何も書かないアル中もいるわけだから、いっしょじゃんということで、「必ず帰って来れる」という周囲の者の言葉を信じてリハビリに行き、帰ってきて、水道の蛇口をひねると水が出るように、また書くことが出来たので、ああよかった、留守中何も盗まれてなかったと、安堵したそうです)という話しかないので、いかに酒をやめるか苦闘した物語を読みたい人には、ちょっと肩透かしかもしれないです。少なくとも私はそう思った。しかし、その辺は、何を持ち帰るかとか、言いっぱなし聞きっぱなしとか、いろいろキングサンにとってもほかの誰にとっても守るべきルールがあるので、だから書いてないのかもしれません。それだけキングサンは常識人だった。

タビーというのがキングサンのベターハーフですが、一穴主義というか、一切浮気もしないし、双方離婚再婚まるでナシの初婚完遂だそうで、その彼女からの三行半が底つきというのが、非常にええ話やと思いました。近年稀に見る。まして離婚大国アメリカをや。

で、やめる過程は書いてませんが、代表作の、キャリー、ミザリー、ペット・セメタリー?、クージョについて、どれも常識人だけ出る物語ではありませんが、それぞれどれくらい進行した時期の作品だったかは分かるようになっています。これくらいの時期だとこれくらいの強迫観念で、如何に記憶が残っていないかとか、そういうふうに読むことも可能。そこに、家族をアレする家長の話、シャイニングが入ってないのは、ご愛敬と言っていいのかどうか、それは分かりません。

冒頭に、九十年代の初めにキングサンが参加した文士バンドが語られます。ロック・ボトム・リマインダーズというバンド。

リードギター:デイヴ・バリー

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ベース:リドリー・ピアスン

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キーボード:バーバラ・キングソルヴァー

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マンドリン:ロバート・フルガム

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リズムギタースティーヴン・キング

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女性トリオ

キャシー・カーメン・ゴールドマーク(提唱者で、この人だけ出版社勤務)

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タッド・バーティムス(Wikipediaなし)

Tad Bartimus – RJI

エイミィ・タン

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いやここにエイミィ・タンがいて、たいそうおどろきました。へー、って感じ。

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確かにいる。キングサンがいちばん目立ってますが、いる。

しかし私は今の今まで、彼女と村上シバター翻訳堂『チャイナ・メン』マキシーン・ホン・キングストンを混同してたのでした。『私は生まれる見知らぬ大地で』訳者あとがきに、協力者として登場する、現在は西八で日本語学校校長やってる、在日中国人作家さんの小説を読んだのも懐かしい思い出。

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その日本語学校の生徒さんも、ベトナムにシフトしてる感じで。

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最初に生い立ちについて語られ、父親が逃げたので、母一人稼いでベビーシッター雇って、そんでそのベビーシッターがロクでもないばあい、虐待まがいの目にあったりしながら成長したとあります。兄のデイヴがIQ150~160の知能があった(頁49)せいで、ハイスクール時代ミニコミを発刊し、それを手伝ったりしながら、しだいに文章を書く楽しみを覚えていったとのこと。

それで、キングサンは最初から商業志向だったようで、自作の小説を友人に回覧したりせず、いきなりガリ版かなんかで印刷して学校で売りさばき、昼休みまでに四十部のうち三十六部を売り尽くし、教師にバレて説教されるのですが、その最初の作品は映画館で見たB級ホラーを勝手にノベライゼーションしたもので、まったくのオリジナルではなく、成功してマンション買うような同人少年少女の出だしを見るかのようでした。なんでみんなこういうスタートなんだろう。頁59。ここに出てくる、アーヴィング・シュルマンという人の『アンボイ・デュークス』という小説を読んでみようと思ったのですが、作者はウエストサイドストーリーの原作者として名前が知れてるわりに、処女作のこれの邦訳はなく、またこの小説のタイトルは同名バンドがふたつくらいあるそうで、そっちばっかり検索で出ました。

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バイトしながらアメリカの大学に通うキングサンと、パートナーのタビーサンは構内で出会うのですが、犬も食わないごちそうさまな話が続き、おもしろいです。

頁77

どちらも労働者階級の出で、どちらも菜食主義者ではない。どちらも民主党支持で、どちらもニューイングランド以外の土地に馴染めない典型的なヤンキーである。性的にも周波数があっていて、浮気はしない。だが、私たちを何よりも強く結びつけているのは(以下略)

そんなことを書く前段で、ふたりはラモーンズの「ギャバギャバ、ヘイ」にあわせて踊っていればこれからもうまくいくと書いていて、いやそうですかラモーンズですかと思いました。中島らもはキングサンとは正反対の人生だったのにな。施設入所と、内科入院という逃げ。一妻主義と、おや誰か来たようだ。

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この後タビーサンの詩が紹介され、キングサンが赞不绝口、大絶賛します。付箋をつけてたのですが、見返して、セックスと思索の両立が、ふたりのあいだで成立したということだけは分かりました。やってばっかのアホ状態と、頭脳明晰な哲学的探究が、ふたりのあいだで起こりえたという。「ア・レーズン・イン・ザ・サン」という戯曲が登場します。チューブとは無関係。

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自らを熊になぞらえたセックス依存の蕩児アイグスティヌスを詩に登場させ、熊が好きというタビーと、身長二メートルで体重百キロのステファン(どうも私は、stevenでなくstephenと書かれると、スティーヴンと呼びたくなくなります)

頁93、結婚して赤貧イモを洗うが如しの共稼ぎで、クリーニング屋の仕事から英語教師にかわったキングサンのくだり。告白小説には三つのRの定石があるそうで、すなわち反抗レベリオン"rebellion"、破滅ルイン"ruin"、救いリデンプション"redemption"だそうです。教養小説のようですが、告白小説という。ほんとかな。

頁95、キャリーの発想のもとになる、冴えないJKの霊感を得た、高校の女子ロッカー清掃のアルバイトの場面には、何の関係もない日本兵の話が出ます。本当に何の関係もないし、事実とはいいがたい。

頁95

ある日の夏休み、ハリーはタラワ島における日本軍の玉砕攻撃の話を聞かせてくれた。それによると、日本軍の将校はマックスウェル・コーヒーの空き缶でつくった刀を振りまわしていて、そのあとから叫びながら突進してくる兵士たちは、みな挙動が尋常でなく、アヘンの焦げた臭いがしたという。

私はサンケイ新聞社の第二次大戦ブックスで、タラワ、マキンを読んでますが、玉砕以外ひと文字もあってません。

その後、キャリーを書くにあたってのリアルJKライフ描写の肉付けに、タビーからの教授が多々あったそうです。それによると、当時すでにアメリカのたいていの高校には、コイン不要の生理用品ディスペンサーが設置されていて、たまたま25セントの持ち合わせがなかったばかりに(日本ならそれに加えて、自分も友人も巾着袋を持ち歩いていなかったばかりに、となるでしょう)スカートを血まみれにして校内を歩くことを学校側が望んでいないことを証明しているんだそうです。なるほどなあ。JR東日本のトイレにはトイレットペーパーがあるが、JR西日本のトイレにはポケットティッシュの自販機がある… こととは関係ありません。

頁143に、文章を書く動機は問わないが、いい加減な気持ちでだけは書くな、と繰り返し言っています。で、キングサンは、書けなくなると書きかけの原稿を引き出しにしまって、そのままにして、いつかそれをふと取り出して読み返し、続きを書こうと思ったら書くそうですが、本書もそうだったそうです。事故十回以上の常習ドライバーが、林の中の道をよそ見運転しながら走って来て(同乗の犬をかまってた)散歩中のキングサンを轢き、退院リハビリ後に本書をまた書き出した。

頁163、副詞は最小限とか、受動態でなく能動態で書けとか、具体的でいいアドヴァイスが出てくるのですが、"That's so cool."という言い方が大嫌いで、"at the point of time"や"at the end of the day"という言い回しを使ったものには罰を与えたいとも書いています。それで行くと、"one day at a time."もダメだろうかと思いました。頁167、副詞の多用を戒める際、こう言っています。「地獄への道は副詞で舗装されている」

頁183、言葉は文章になり、文章は段落、章になり、ついには長編小説になるわけですが、そこまで文を積み重ねる必要があるのか、という問いに、小説名を挙げて答えています。いわく、『風と共に去りぬ』(岩波文庫に電子版があるとは知りませんでしたが、新潮を貼ります)

いわく、『荒涼館』(岩波文庫に電子版があるとは知りませんでしたが、ちくまを貼ります)

いわく、『指輪物語

いわく、『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』

要するに、長くても力のある作品なら読者は読むと、性善説で信じてる感じです。

頁290、編集、校正の重要性。ウィンチェスター330という銃を小説に書いたら、高校国語教師の友人が原稿を読んで、ウィンチェスターにこの口径はない、レミントンならあると指摘してくれたんだそうで、ほんとに、こういう本読み、原稿読みに支えられて、決定稿が仕上がるんだよなあと思います。沢木耕太郎『天路の旅人』が、ゲラチェックしなかったために事実関係の誤りが多かった『秘境西域八年の潜行』の要約本でありながら、「ハサク」「風葬」など首をかしげる表現があったことなど、まさにそれだと思います。親身に原稿チェックに付き合わない、サラリーマン編集者もいけないんでしょうが…

頁310、T・コラゲッサン・ボイルイースト・イズ・イースト』に、作家志望者のための林間学校が出てくるそうで、個室で食事はルームサービス。同衾可。談話室でミーティングしてもいいし、暖炉で歓談してもいい。夜はワイン片手に朗読会のおとぎばなしだそうで、しかし私は、チョン・セランではなく誰か女性韓国人小説家の小説で、そういう芸術家村が韓国にあると読んだことがあり、誰だったか思い出そうとして思い出せません。

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現代の侍になるんだ―。武士道精神に生きる混血児ヒロの父親を求める無垢な心情と行動と破滅。東西文化の融和は果たして可能か?軽いタッチで永遠のテーマに挑む異才の最新長編。

同名のパキスタンコメディがバンバン出るので、混乱しました。

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で、「芸術家レジデンス」というコテージが出るのは、クォン・ソヨン『春の宵』(原題:あんにょんヨッパライ)の中の一篇『逆光』でした。

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けっきょく酒をやめなかったレイ・カーヴァーが「AA」と書いてるのに世界のハルキ・ムラカミがそれをちゃんと訳さなかったり、ジョン・チーヴァーが歳とって女に相手にされなくなると若い男に行ったりと、おかしなことばかりですので、酒やめて長寿で、一夫一妻を長年つらぬくこのホラー作家に、とてもすがすがしいものを感じました。(うそついてなければですが)とまれ、読めてよかったです。以上