〔海外文学セレクション〕『パニックの手』"THE PANIC HAND"〈ジョナサン・キャロル短編集Ⅰ〉Jonatahan Carroll Short story collections 読了

パニックの手 - ジョナサン・キャロル/浅羽莢子 訳|東京創元社

ジョナサン・キャロル|東京創元社

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津原泰水 - Wikipedia

アメリカの作家ジョナサン・キャロルを敬愛しており、彼の短篇集である創元推理文庫版『パニックの手』に解説を寄せている。

というわけで、津原泰水という人の小説を幾冊か読んで*1、よく分からないので、尊敬する作家さんの小説を読めばよいのかと思って読みました。したっけ、この作家サンと津原サンとではやはり個性が異なるし、近づくつもりもなかろうと思っただけでした。単に、好きな作家ってだけだったのかな。

ウクライナカラーの表紙(部分)この短編集は、英国版より米国版のが収められてる作品が一個多いそうで、邦訳は米国版をベースに、しかし分量が多いので、二冊に分けて刊行するとのことです。もう一冊は『黒いカクテル』という書名だとか。

フィドルヘッド氏』 "Mr. Fiddlehhead" 1989『おやおや町』 "Uh-Oh City" 1992『秋物コレクション』 "The Fall Collection" 1989『友の最良の人間』 "Friend's Best Man" 1987『細部の悲しさ』 "The Sadness of Detail" 1989『手を振る時を』 "Waiting to Wave", 1993『ジェーン・フォンダの部屋』 "The Jane Fonda Room" 1982『君を過ぎて十五分』 "A Quarter Past You" 1990『ぼくのズーンデル』 "My Zoondel" 1989『去ることを学んで』 "Learning to Leave" 1992『パニックの手』 "The Panic Hand" 1989

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Leprechaun_ill_artlibre_jnl.png/440px-Leprechaun_ill_artlibre_jnl.png収録作は上記。いろんな作品がありましたが、ふたとおりある気がして、ひとつは、スティーブン・キングやディヴィッド・マレルの短編を読んだ時にも感じた、ゴージャスかつデラックスな作り込み。大学で小説講座をとって小説家講師の講義を聴いてた人かどうかは知りませんが、そういうふうに技巧を学んだとしてもおかしくないような、常にマルチエンディングを想定して、いい意味で読者の裏をかかないと、評価されないという思いに追いかけられているのかもしれないとでもいうような、先を読ませない、あるいは、いろんなストーリー展開が想定されるので、作者がどう舵をとるか、いらいらしたり気を揉んだりしながら目が離せない(ページをぱたんと閉じて本をカウチに置いて外に出かけてそれっきりにさせない)作品です。

フィドルヘッド氏』でまずそれを感じ、贋作師やデザイン盗作といった浮世の話や、不倫相手をさらにママ友が寝取る話に倒れそうで倒れず、あろうことかファンタジーに行ってしまうのかよと当惑しました。こういう男性が好みのタイプという告白されて、しかしどこにそんなアットラクティヴなパーツがあるのか分からなかったこともそのひとつ。顔だけでなく、全身そばかす人間って、確かに日焼け慣れしてない白人が不用意に焼きすぎるとそうなったりしますが(マレーシアで見たことあります)それがツボの女性というのがよく分からなかった。

『おやおや町』でさらにそれを感じ、ルシア・ベルリンの小説*2で読んだ、雇い主は常にメイドの手癖が悪いと思い込んでいるので、電話台やメモ台、外した装身具を入れる小皿のわきなどにコインがある場合は、わざと増やしておくとよい、逆に調味料や香辛料はいくら減っても分かられない、また、ペットに主人以上になつかれると必ず嫉妬した主人が関係ないことで意趣返しをしてくるので、ペットとは距離を置く方が無難、などのハウツーテクの同類項かと思って読むと、あにはからんや、で、過去の良心の呵責、自己憐憫、の対象(自殺した女生徒)が生き返ってもそれをどう昇華させるかの方向にならず、世界の終わりみたいな何それエンディングを迎えるので、途中で飽きさせないだけを考えて、最後構成が破綻してもいいなんて、ジャンプのマンガじゃあるまいしと思ったです。

下記はスティーヴン・キング(米国を代表するベストセラーラー)とディヴィッド・マレル(ランボーの原作者)これらと同じではないですが、同じ空気を吸った作品という気がしました。

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ディヴィッド・マレル - Wikipedia

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『友の最良の人間』もそんな話だと思います。日本は、マンガも小説も、大学で教えるようなことになったのは、少子化で大学が人気取りをするようになって以降の話で、それ以前はそんな将来大学出て路頭に迷うようなコースまじめに作ってないかったのですが、今はまた、少子化対策の目玉講座足りえないと悟ったのか、コロナカ終焉のリモート終了とともに、非常勤講師の雇い止めが一層活発になってるんだとか。『孤狼の血』の柚月裕子サンはカルチャースクールの小説講座出身で、だからかつてはウィキペディアなど荒れてたのを見たことありますが、大学講座出身は、いるのかもしれませんが、私はまだ知りません。羽田圭介の人とか、コサキンリスナーなのにそういう芸風でない点も含め、欧米のエンターテナーノベリスト志向を考えてるんだと思いますが、たぶん、部屋の広さが欧米と日本とでちがうので、狭いワンルームで鶏むね肉のハム食べて筋トレしても、あちらの、天井も高くてだだっ広い部屋で両手足を土足でのばしまくってチリビーンズの缶詰にチーズ入れて食べてる人たちとは、輪番制で自宅手料理もてなしあいをやっても、ちょっと違う結果になるのかなという気がします。牛乳もプラスチックボトルで飲んでるかもしれないし。

『秋物コレクション』のように、直球で、ちょっといい話、ニューヨーカーじゃけえのう、みたいな話も書くので、それでいいじゃん、永遠に賢者の贈り物的ネタを探して、新聞の片隅で読んだ読者大衆の胸をほっこりさせても、別にいいようには思います。それもまたえっらいアメリカ合衆国エスタドウニドスっぽいので。

二種類と書いたのですが、三種類目、『細部の悲しさ』や『パニックの手』のような話も、牧師でないキングサンや、ランボー者というパクリ映画とは関係ないマレルサンと同じように、ホラーこそ読者に響く道、という感じで、それは分かるのですが、私は、メリキャットや、全米に嫌われた『くじ』のシャーリィ・ジャクスンや、だいぶ違いますが、パトリシア・ハイスミスが好きなので、男性だとそこがやや甘いのかもしれないと、性差で片付けようなどとおかしなことを思ったりします。

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ジェーン・フォンダの部屋』や『ぼくのズーンデル』は、もっとSFショートショートよりの作品で、それはそれでよかったです。ズーンデルは特によかった。創元推理の海外文学セレクションのロゴは下記。

どういうのがあるかというと、奥付の先の広告に、ウンベルト・A子B子C子先生が載っていて、ほかは分からないんですが、とんでもないのがあると思いました。薔薇の名前は、映画をレンタルビデオで寝ながら見ただけで、僧院がチベットみたいだった記憶しかないですが、原作の版権を創元推理がとってたんですね。

カバーイラスト提供○©SUPER STOCK/Photonica カバーデザイン○安井真紀子(装幀も)左のカバー折は、一部分だけポイントで青くしてます。変わったことする。訳者の方は、浅羽通明とアンド検索したら何かあるかと思いましたが、何もありませんでした。おなくなりになってるそうです。読んだのは単行本なので、津原サンの解説はありません。文庫本の表紙は、ぜんぜん違います。

最初の『フィドルヘッド氏』だけ二ヶ所付箋を付けていて、ネトラレになるのかと思っていた親友の夫の職業が、高級万年筆専門店を商業一等地で営むという、およそ浮世離れしたものだったので、

頁10

(略)〈インク〉の客には金持ちもいればそれほどでもないのもいたが、誰もがコレクタ―特有の燃えるような眼と、中毒者特有の飽くなき欲望を持っていた。

とあるのが、うなづけるけれども、それで店の採算がとれるわけでもない、共倒れも往々にしてあるだろうと思いました。

https://storage.googleapis.com/ireland-wp/uploads/2020/06/8167dc0e-leprechaun.jpg頁16、「レプレコーン(黄金を隠し持っている小人の靴屋)」とあり、レプラコーンは角の生えた山羊じゃなかったっけ、と思ったのですが、私がまたしても模造記憶にとらわれていて、レプラコーンはアイルランドの妖精で、レプラカーンは一角獣型のオーラバトラーでした。

妖精の国アイルランド - アイルランド留学センター

レプラコーン - Wikipedia

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以上