人形シリーズ 自由が丘編 "Magyar-Japán Baráti Társaság"は、「日本ハンガリ―友好協会」とグーグルが翻訳してくれました。
昨日は、ラジオ体操しました。
わさび茶漬けとキムチを買おうと思いましたが、チャンジャを買いました。
またまた一円玉を拾って、お賽銭にあげました。
靴下用のホッカイロが尽きましたが、もう暖かいので買い足さないです。
戦闘員はラマダン免除だと思っていましたが、それを保証する文言が見つけられず、おかしいなあ、アフガンではそうじゃかったっけ? と悶々としていました。しかしまあ、「戦旅」ということばがあるように、ムジャヒディーンは毎日自宅から出勤して戦争してるわけではなく、故郷を離れて各地を転戦しているでしょうから、それは旅行の一種。旅行中はラマダン免除ですので、それで戦士は断食しなくてもよいという理屈かな、と、ちょっと考えています。
「ミムラ最近見ないけど、改名したんだっけ?」
「うんそう。吉田羊って名乗ってるらしいよ」
「波留が義理の娘なんだっけ?」
「うんそう。上の娘がそれで、下はあのちゃん」
ファンキーフライデーまで流し聴きして、内容もよく分からぬまま、とりあえず聴き逃しが聞ける時間は終わってしまいました。女性がひとりで畑を人力で耕していて、えらい手間だと思いながら見ていると、男性が来てサジェスチョンしていて、父親かなと思っていたらオシリを触ったりしてじゃれあっていて、よく見ると夫婦でした。中国人。ラオス人のオバチャンが、市民農園の空きがない、三年待ちとボヤいていたのが三年前。公的な農地のマッチング紹介事業みたいのが始まったら、さっと中国の人が、農園のスペースでなくイキナリ耕地を借りていたので驚きました。軽トラとヴァンで来ていた。その辺の情報処理能力というか情報伝達と意志決断のスピード感の違いが、彼らの言う「ウェンホア」(文化)なんでしょうが… 軽トラ持ちの人なので、普段も現場の仕事をしている人だと思うので、今度、いつもはどんな仕事をしているのか聞いてみます。なかなか農民と都市の差は根深いのが中国なので、畑仕事をやる壮年の中国人がどういった人なのかには関心を抱かざるを得ない。《三毛流浪記》の巻末オマケまんがには、作者の陳平(陈乐平)サンが孫と一緒に家庭菜園でチンゲンサイをこさえてニワトリに食われるなどのほほえましい話が収録されてましたが、よく考えると大躍進で、なんでもかんでも耕地拡大の飢餓時代のマンガなので、うら事情を考えると怖かったり。
この日のイムサックは、東京と横浜が 04: 18で、厚木が04 : 20でした。 マグレブは東京と横浜が18 : 01で、厚木が18 : 02。
寝ます。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。