本書の副題「アイヌと云ふ新しくよい概念を」をアイヌ語にしてみようと思いましたが、たぶん自然な文章になってないです。
「ハウェ」が、「~ということ」で、
「アシリ」が「新しい」で、
「ピリカ」が「よい」で、毎度お馴染みの言葉で、
「ネプカ」は「何か」で、
「ルスイ」が「したい」で、
「ロク」が「しよう」です。語形変化などはさっぱり分かりませんので、ただ、抜き書きした単語を並べるにとどめました。
公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構「単語リスト(アイヌ語・日本語)ー石狩川ー」より。
https://www.ff-ainu.or.jp/web/potal_site/files/ishikari_tango.pdf
「アイヌ ハウェ アシリ ピリカ ネプカ ルスイ ロク」
「概念」というような難しい抽象名詞は見つけられなかったので、一般的な単語に置き換えて、「アイヌということを新しいよい何かにしよう」で文章を作りました。それでいいと思う。なにもこむづかしいことをいいたてる必要はどこにもない。
NHKテキスト「100分de名著」知里幸恵*1を買ったら、角川ソフィア文庫の本書の広告が入っていて*2読もうと考え、紀伊国屋で注文して読みました。が、感想を書くのに手間取ってるうちに、10月3日のグーグルロゴが違星北斗で、機を逃すとよくないので、その後読んだアイヌ三大歌人のやはり一人、バチェラー八重子サンの岩波現代文庫の感想を先にあげました。この感想は、そこでやっとえいやで吐けた文章をもう一度入れてますので、重複してます。
カバー図版/大正14年頃の北斗 撮影/野口啓之助(新宿ステーション写真室)(市立小樽文学館所蔵) カバーデザイン/國枝達也
巻頭に金田一京助サンのエッセー「違星青年」掲載。
巻末に解題・語注と年譜と、違星北斗研究会代表(当時)山科清春サンによる解説「違星北斗ーーその思想の変化」掲載。
上記NHKテキストには岩波書店も広告を出していて、知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫)がその広告に出てくるのは当然なのですが、『アイヌ神謡集』が岩波文庫の赤版(海外文学)に入ってるのはおかしい、日本文学の近代文学の緑版もしくは古典文学の黄版に入れるべきではないかという津島祐子サンの公開質問を取り上げた石村愽子サン著『ピリカ チカッポ』も入れています。自社批判が入った本を自社から出すという岩波の素晴らしい点なのですが、角川が違星北斗歌集を出すのなら、岩波現代文庫はアイヌ三大歌人のもうひとりバチェラー八重子サンの歌集*3の広告をここに入れてもよかった気がします。が、八重子サンの歌集は、和光大学名誉教授の村井紀サンが解説であんまり左巻きのことを書かず、カムイ=万世一系のすめらみこと、天皇という金田一京助サンの解釈にも異を唱えていないので、それで干してるのかもしれません。
バチェラーサンにはアイヌ語だけで詠んだ歌もあるのですが、違星サンにはそういうのはないです。いくつかのアイヌ語の単語以外は日本語。
講談社文芸文庫に、川村湊編で、知里きょうだいから三大歌人、鳩沢佐美夫、山本多助、貝澤正、萱野茂までを網羅した『現代アイヌ文学作品選』というたいへん画期的なアンソロジーがあるのですが、同文庫の世の常、世の習いで、品切れ再販未定です。だからか、「100分de名著」に講談社は広告出さなかった。
鳩沢佐美夫サンの小説は草風館から『沙流川』という小説集が出ていて、現在も入手可能なのですが、ちょっとまだ考え中です。まあこれはNHKテキスト「100分de名著」知里幸恵には広告出さないだろう。
http://www.sofukan.co.jp/books/81.html
■1996.04.05■週刊金曜日
民族の行く末を案じた若きアイヌの魂の叫び
川上 勇治(略)萱野さんは笑いながら言った。――「勇治さん、俺たちと佐美夫さんとは境遇が違うんだよ。君も俺も小学校を出てすぐに造林人夫・測量人夫で手に汗して働いて家族を養わなければならなかったから、生活の苦しみは十分味わっているが、佐美夫さんは少年時代から病弱で母覿の庇護のもと、病院で療養生活ばかり続けていた人だよ。だから生活苦なんて知らないんだよ。病院で書物や新聞など読んだだけで世の中を知ろうとしても、それは無理だよ」。
逆に言うと、違星サンがあんなに阿(おもね)るのは、それだけ苦労したってことで。東京での安定した仕事を投げうって、ニシン漁で一升飯が食える男になったとことほいだり、痔の薬で行商したり、地方ごとにバラバラのアイヌ社会に悩んだり、バチェラー教会でメノコらが歌うアイヌ語の賛美歌に涙したり。そんで三十路を迎えることなく、結核であっけなく逝ってしまう。
藤田印刷エクセレントブックスというところから出ている『鳩沢佐美夫の仕事』全二巻が何故かブッコフで入手可能なのですが、これの編者は知ってる人かも。えらくなったんだな。こっちの分野を専門にしたとは知らなかった。
違星北斗歌集の感想を書くのがなぜ苦しいかというと、さすがアイヌの啄木で、彼自身の思想が結核で弱っているせいかブレていて、
俺はただアイヌであると自覚して正しい道を踏めばよいのだ
と言いつつも大和民族に対しては無視出来ずどうしても一言ふた言いってしまいがちで、
日本に己惚れてゐるシャモ共の優越感をへし折ってやれ
のように痛快な歌も詠むこともあれば、透徹で平静な心境に至る時もあったようで、
まけ惜みも腹いせも今はない只だ日本に幸あれと祈る
さらにそれを通り越して、自虐的になる時もあり。
はしたないアイヌだけれど日の本に生れたことの仕合せを知る
ウィキペディアを読むと、相当この人はやられまくったようなので、PTSDみたいなものがあって、こういうふうに極端から極端にふれてしまうのかと。いさましい歌からここまで自虐的な歌まで並べられると、読んでいてことばにつまってしまう。
この歌集は決定版を作ろうとしたようなので(文庫でそれをさせた角川ソフィア文庫はすごい!)あちこちに違星サンが発表した同じ歌(仮名遣いや漢字などに差異があったりする)を全部載せていて、繰り返し同じ歌が何度も出てくると、暗示効果があって、なんというか、手が止まるです。だから上の歌も頁数を書きません。二つ目以外は何度も出るので。
10月3日グーグルロゴは下記。
Celebrating Iboshi Hokuto Doodle - Google Doodles
This Doodle celebrates Ainu poet and social activist Iboshi Hokuto, who wrote many tanka and haiku that aimed to improve the perception of the Indigenous people of Hokkaido. On this day in 1927, one of Hokuto’s tanka, (a 31-syllable poem), was published in the Otaru Shimbun, a major Japanese newspaper. Illustrated by Japan-based guest artist Koji Yuki, today’s Doodle, depicts ocean landscapes and common aspects of Ainu life and culture in woodblock print.
グーグルロゴのきっかけになった、昭和二年十月三日小樽新聞掲載の歌は下記四首。
頁16
アイヌッ! とただ一言が何よりの侮辱となって燃える憤怒だ
獰猛な面魂をよそにして弱い淋しいアイヌのこころ
ホロベツの浜のはまなす咲き匂ひエサンの山は遠くかすんで
伝説のベンケイナッポの磯の上にかもめないてた秋晴れの朝
知里幸恵サンの本を読んでた時に気づかなくて、違星サンやバチェラーサンの本を読んでて気づくことのひとつに、「同族」という表現があります。「同人」というわけにいかないので「同族」ですが、しかし「アイヌ」「アイヌ人」を「アイヌ族」というかというと、それはどうかなと思います。せいぜい「アイヌ民族」かと。大和民族、和人、倭、シャモ、シサムとは書くが、「倭族」「大和族」と書かないように。でも、「漢族」と私はよく書くので、そのうち考えを変えて「倭族」「大和族」と書くかもしれません。
頁128と頁214に違星サンが「アイヌ族」と書いてる箇所。この二ヶ所だけです。
頁25の歌に出てくる「神さま」はニシン漁場の出稼ぎ漁師を指すそうで、それは「カムイ」とは呼ばないんだなと思います。
頁25
ボッチ舟に鰊殺しの神さまがしらみとってゐた春の天気だ
〔編注〕神さまはニシン漁場の出稼ぎ漁師
本書は註をまとめて書いておらず、発表時の作者注のあるものはそれを生かしていて、それはいいのですが、同じ単語が注なしでそれより前に出たりするので、最初に出した時に注をつけてよ~と思ったりします。出る可能性は非常に低いのですが、増補改訂版が出るなら、注をきちんとするのはマストだと思います。痔を意味する「ガッチャキ」も、足が赤い水鳥「ケマフレ」も最初は註がない。
キトビロを行者大蒜の意味だと頁27の歌の編注にあるのですが、ウィキペディアによるとギョウジャニンニクのアイヌ語はプクサもしくはキトで、キトビロと言ってしまうとノビルの意味になってしまうとか。真偽不明。
頁27
キトビロを食へば肺病もなほるといふアイヌの薬草いま試食する
関係ないのですが、北海道では鈴蘭(毒草)をギョウジャニンニクと間違えて食べてしまうことがけっこうあるそうで、なのでアイヌの民話では鈴蘭はいいもの扱い、きれいなもの扱いされておらず、マヌケ扱いだったりする感じです。東直巳の畝原シリーズ最終巻の『鈴蘭』はけっこう好きな作品なのですが、そんな意味合いが鈴蘭にあったとは。
頁38
悪いもの降りましたネイと挨拶する北海道の雪の朝方
こういう歌も詠みます。多くはないですが。
頁69
「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に「金になるよ」とよく云ってやった
この歌がすごく好きで、シニカルなだけにいい歌だと思います。この歌の「アイヌ」を「ブログ」や「SNS」に置き換える人がいたら、それは狂人。
頁99 昭和三年二月二十九日水曜日の日記
永劫の象に君は帰りしかアシニを撫でて偲ぶ一昨年
この歌の「アシニ」が分からないのですが、注釈はありません。豊年健治サンという死んだ知人をしのんだ日記なので、違星サンの歌ではないのかもしれない。
違星サンもバチェラーサンのようにいさましい歌を詠んでるのですが、そうでない歌も詠んでいて、いじめられた経験を書いている箇所が目を引きます。頁157は違星サンの体験でなく、中里徳太郎という人の父親の思い出を書いている箇所ですが、なかなか具体的なリンチ、袋叩きです。
頁157 「ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」
「(略)俺は帰ろうとした。お礼を云うてふと立て下駄をはこうとしたら下駄がない。どうしたろうとさがしていたら『おやんじナニをしている』下駄がない。『ナニ下駄がない? 生まいきなことを云うな、アイヌは下駄なんかはいているか』と不法な罵倒をあびせられた。その時並居る一同はこのアイヌ生いきだやってしまえ、と打たかれた。俺も酒に酔うているし何しろ多勢に無勢でかなわない。シャモの奴等は俺を殺すとて手に凶器を持って『殺せ殺せアイヌ一人くらいなんだ、やってしまえ』と総立になってさんざんな目に会された。
違星サンは東京の大和民族を見て、北海道の大和民族との違いに驚き、世の中には良い大和民族もいるのかと思ったとか。北海道のそれは、食い詰め者だからああなるのかと納得したり許そうとしたりイヤその低姿勢がイカンと思ったり。
頁160 「ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」
今より五十年前は『ナアーニアイヌ一人ぐらいやってしまえ』の気風があったのであります。私が小学校時代の十二三年でさえアイヌなんか問題にならなかった。
職場の50代60代の北海道出身者(室蘭と富良野)が話していて、クラスのアイヌ出身者はたいていいじめられていたと言っていて、問題はどさんこでない私がそれを知るのが今ということです。21世紀になる前に言ってよ、と思う。上の文は、民族を問わず「日本に己惚れてはいけない」という自戒で〆られています。
バチェラーサンの感想にも書きましたが、違星サンは『疑うべきフゴッペ遺跡 奇怪な謎』という小樽新聞上の論争をしていて、これは、小樽高商西田彰三教授がアイヌの遺跡と結論付けた線刻文様のあるフゴッペ遺跡に対し、アイヌは文字を持たないなどの理由から、コロボックルなどアイヌの伝承にある先住民族の遺跡ではないかと異議申し立てをしたもので、漫画原作やらライターやら大阪芸大客員准教授をやってる山科清春サンがソフィア文庫の注釈で「アイヌは侵略民族」とのヘイトによくキリトリで使われると書いているくらい(山科さんは侵略民族とは書いてませんが)メタクソな混乱の渦の原因を作った文章です。今フゴッペ遺跡を検索すると、ウィキペディアは違星北斗は現代人によるニセモノではないかと言ったなどという創作文(そんなこと違星サンは書いてない)を載せてますし*4余市町のホームページでは、アイヌとは別の民族がそこに住んでいたとの伝承を違星サンが紹介したことを挙げて*5、ほかにもウィルタとかいろいろ北方民族はいるんだから、侵略とか先住とかだけの視野狭窄でやいやいゆうのやめれ、と言いたい感じでした。北斗さんが作った混乱は、令和の今も収束していないというか、ヘイトに利用されている。山科清春サンは解題で「先住民族とはその民族が近代国家の支配に組み込まれた時点より規定されるので、仮にそのような先住民がいたところで、両者ともに先住民族であり、アイヌが先住民族であることは間違いない」(頁279)と書いてるのですが、「それって、先住民族兼侵略民族ってことですよね?」とひろゆきに言われたらどう返すつもりなのか。
北海道の地名はたいていアイヌ語起源ですが、実は東京もアイヌからは「モシノシキ」と呼ばれていたそうです。違星家では祖父がアイヌ最初の留学生十八名の一人として東京に行ったことがあったそうで、その頃、東京がアイヌ語で「モシノシキ」と呼ばれていたんだとか。モシリが国、ノシキは真ん中。「リ」が消えてしまったりするところは、専門的にアイヌ語を学べばすぐ法則が理解出来て分かるのか、あるいは個別に覚えなければならない苦行の連続なのか。違星姓は一家の「シカシシロシ」と呼ばれる屋号というか家紋というかを日本語で「違い・星」と呼び、それが短く「イボシ」になったんだそうです。飯星サンとは関係なさげ。
頁181「アイヌの誇り」で、アイヌは乃木将軍も西郷どんも出なかったが、不逞アイヌが出なかったのはよかったとしています。
頁181
朴烈や難波大助アイヌから出なかった事せめて誇ろう
朴烈サンは金子文子との映画を見ました。ハングルのタイトルだと朴烈だけなのに、邦題だと金子文子が入ってくるふしぎな宣伝の映画。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
本書は「コタン」創刊号がぜんぶ収められていて、最初はどんどん読み飛ばしていたのですが、違星サン以外の人の文章も入ってるんだなと、今分かりました。頁232に日高国浦河郡荻伏村生活改善同盟会浦川太郎吉という人がアイヌの生活改善の話題で「大和魂分析すれば義理と人情と痩我慢」ということばを出しているのですが、違星サンまたそんなこと言って、と思ってしまいました。
山科清春サンは「解説 違星北斗ーその思想の変化」で、違星北斗同化志望論に反論しています。頁327。アイヌ同化論、アイヌ消滅論ではない。日本国籍者としてのアイヌを表現しようと志したのであって、大和民族への同化を志向したのではない。
頁327 「解説 違星北斗ーその思想の変化」山科清春(違星北斗研究会代表)
和人(大和民族)と「日本人」は違う。民族と国籍は違う。
違星北斗サンがそこまで明確にエスニシティ―とナショナリティーの違いを認識していたかどうかはさておき(大いに疑問)山科サンのこの意見はワンアンドオンリーだと思います。それ以外解はない。以上
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*2:
*3:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*4:
アイヌ出身である違星北斗による「この遺跡はアイヌのものではない、現代人によるニセモノではないか」という反論が、同じく『小樽新聞』に掲載された(略)
現在戦前のフゴッペの壁画は現存しない。
違星北斗同様、金田一京助も戦前のフゴッペ壁画がニセモノであると断定し、昭和天皇に尋ねられた際にも知人のアイヌが少年時代に描いたイタズラ書きであると伝えたという。
*5:
余市町でおこったこんな話 その113|まちの紹介 |北海道余市町ホームページ
同書中には、フゴッペの語源や付近に住んでいた人々についての言及があります。そこには「鍋を持たない土人(原文ママ)がゐて生物ばかり食べてゐた」ことを理由にして、その土地を余市アイヌは「フーイベ」と呼んでいた