『下町酒場ぶらりぶらり』読了

下町酒場ぶらりぶらり

下町酒場ぶらりぶらり

ここ数日開いたまま寝てしまった本。やっと読了。
相変わらずの著者独特の節回し、名調子で、
今回はテレビドラマ『翔んだカップル』の轟二郎の口真似だそうですが、
ボキの一人称からなる別人格のカタカナ文を連発しています。
翔んだカップル [DVD]

翔んだカップル [DVD]

一応頁145では、多重人格は酒場放浪の同行者で、
著者はダニエル・キイスはキイスでも、アルジャーノンのほうだということになってます。
まあ、体力ないとか下腹出てるとか、
そういうのもろもろ含めて、韜晦ぶりは別にいいですよ、とも思います。
実物はこんな立派な壮健な人だし、結構会話も押しが強いの、読んでて分かるし。
http://tcc.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/08/17/yoshidarui2_14.jpg
http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-299e.html
同じ店の紹介が多いと思うかもしれませんが、
それだけちゃんと定期的にお付き合いを続けている店があるということ。
だからいいんじゃないんですかね。出禁ばかりの人の酒場紹介を誰が読もうか。
だいたい、腰落ち着ける店が何軒かあれば、そんな浮気しないですよ。
新規開拓とか面倒。著者は、よくこれだけの数の店と知己だなと、感心します。

この人は韜晦ばかりで、現在の家族を守れている食わせられている立派さについて、
語ったのをこちらはまだ読んでないのですが、アル中にならなかった理由も含めて、
ざっくり切ってる印象的な箇所がありました。

頁18
「よかないよ。それにね、オレにそういう血が流れてるってことが問題だ。自分でもときどき恐くなるよ」
「血が騒ぐことはあるんですか?」
「いや、それはないね。子供放ったらかして出ていくなんて度胸は、オレにはないよ」

アル中はしがらみからの逃避願望的な一面(とても迷惑ですが)もあるんじゃないかと思うので、
ここで、著者はしっかり踏みとどまることを自覚的に選択した人なんだな、と思ったのです。

あと、印象的な箇所列記。

花見コーラ見て。

頁42
 今どきの若え衆が酒を飲まねえって話はよく聞くところですし、コーラがいけないとは言わない。二日酔い覚めやらぬ真昼に飲むコーラは実にうまい。ンなこたぁ関係ないが、いくらなんでも、ここでコーラかい。
 え? だっておいしいんだもんてか。それはいいよ。でもさ、なんつうかさ、ちょっと調子が狂うじゃねえか。じゃ、なにかい?兄さんたちゃ花札やるにもさ、花見でコーラ、月見でなっちゃん、とか言うんかい? え? スポーツドリンクもあるってか。おいおい、待ってくれよ、そりゃあさ、アタシみたいにアホほど飲めとは言わないよ。酒に比べたらジュースのほうが身体にやさしいってのもわかる。でもなあ、でもなあ、

気をつけたい箇所。

頁71
 また今日も夕方早くから酒か、なんてさっきまで思っていたのがウソのように、浮いた気分になっています。これだこれだ、この気分になれないと、生きてる気がしないんだなオレは。などと思いつつ、ハッと気がついた。
《コ、コノ気分ヲ通リ過ギルト、サ、最近デハ、死ンダ気ニナッテ飲ンデルコトガ、多イナ…》

死んだ気分なのに飲むのがやめられないと、やばい。と思う。

頁84
 仕事場を出る。外は夜を迎えようとしている。駅へ向かうが、家まで混雑した電車に乗るその前に、やはり、少し飲みたい。ビール一本でいい。そんなことばかり考えていた頃は、よく、立ち飲みのモツ焼き屋さんのお世話になった。
「西口やきとん」がまだガード下にあった頃のことで、店から道へと流れ出る煙に吸い寄せられるようにして、客の輪のいちばん外側に加わったものです。
《ビール一本、タン塩二本。千円デオ釣リガ来ル。ソンナ酒ダッタンダナ……》
 渋いね。これだけでさっと帰る。うん、渋い。見込みがある感じだ。帰りの電車の中では本を読む。ますます見込みがある感じだ。
 しかし、電車を降りる頃になると、またも、こうも思ったものです。
《バ、バスニ乗ル前ニ、モウ一杯ナンダナ》
 で、またビール一本、タン塩二本。今度は家が近いために気が緩んで焼酎とモロキュウなんかも追加してしまう。でも、やっぱり千円ちょっと。あんまり見込みが感じられないような気もするが、JR西荻窪とか三鷹とか、あるいは京王線の千川とかに、安くて一人で気楽に入れる飲み屋があって、そこでは読書も放棄、いよいよ見込みのない感じになってただぼんやりしていた。

経済面だけ気にするとキオスクでワンカップハイボール買って路上飲みになると思うけど、
精神的なこと考えると店に入るほうがいいと思います。
店に入れないメンタルの人は飲まないほうがいいような気が。

関連で。

頁88
 立ち飲みは物理的に疲れるのですが、座りながらの長時間飲みも、けっこう気持ちが疲れる。もちろん、誰か人と飲んでいるときの話ですが、最近ではこの傾向が顕著になってきて、今夜は長い酒になるなあと思うと、飲み始めの頃からソワソワしてしまっていけない。
 人の話をじっくり聞けないし、こちらも何かの話をゆっくりするなんてことができない。競馬新聞でも読みながら中華屋で餃子メンマビールレモンハイ三杯パターンなんかに突入しているときは心配ないのですが、誰かと飲むというのが、最近では輪をかけてうまくいかない。

職業的なマンネリ感もあるんでしょうが、ね。
このあと、立ち飲みだと人と飲んでも疲れないとあるから、ほっとしました。

で。

頁94
 なにしろ、先日などは、ある酒場で急激にケツがムズムズし始め、まあ落ち着けよと自分に言い聞かせるものの、どうにもムズムズが止まらず店を飛び出してしまった。で、店を出たところで追いかけてきたママさん、きっぱり言ったもんです。
「オータケさん! お金もらってない!」

頁144にもそんな述懐があり、ちょっと違うのかもしれませんが、
クレプトマニアという言葉を想起しました。
頁205の都心の小公園の昼酒も、考えてもやらないところが著者のいいところだと思い、
頁217、佃界隈で江戸初期から根付いた家の老人に十数年前出会った昔ながらの家屋が、
そこだけ空地になっていたという箇所、
東京の移り変わりだと思いますが、酒で身上潰したなんて言葉もあるので、
もし酒で絶えてたらそれは嫌だな、と思いました。