アマゾンの関連商品で出てくるので、知ってはいたけれども、
なんとなく手が伸びなかったアンソロジー。
近隣の図書館の分館に所蔵があったので、取り寄せるのでなく、
そこまで行って借りてみました。
いやあ、山あいの小さな公民館に、なぜ、この本が。
出典・著者略歴を除くと、225頁ほどの本にこの執筆者の数ということで、
ひとつ作品あたりだいたい2〜3頁。1頁あたり15行で、1行40文字。
従来の同種のアンソロジーに比べ、一本一本が異様にとても短いです。
キレだけで勝負って感じ。原稿用紙4、5枚でしょうか。
これだけ短い作品を集めるのが実は大変ではなかったかと。
抄録と明記してある作品はひとつくらいだったです。
行間隔にゆとりがあるので、読みやすい。
編者は、奥付まで見ないと出て来ず、検索してもよく分かりませんでした。
FBも、同名のどの人かまでいちいち見なかった。
いろんな本を編集してる方たちのようです。
吉行淳之介や山口瞳や田中小実昌や田村隆一的な人の名前、
今でも女性のほうのアガワとかボーツーとかいろいろいらっしゃるのでしょうが、
そうしたご芳名を使わず、
集めた作品だけで勝負しようというシリーズへの意気込みを感じました。
よく集めたな、と思いましたが、初出年月日を書いて欲しかったな、と。
全集や、ほかのアンソロジーから採った作品もあるわけで、
初出が同人誌や内輪っぽい雑誌だったりで、初出不詳も少なからずあるのでしょうが、
分かる範囲で、それぞれ短くもない人生を生きた著者たちの、
どれくらいの時点のエッセーだったのか、パッと示してほしかったと思います。
いきなり川上弘美のところで、川上未映子の作品かと思って読み始め、
かなりあとで間違いに気付きました。間違いに気づくまで、
原田マハとか山崎ナオコーラもそのうち出てくるかな、と、
読み進め、出て来ない感じで、あれっと思い、
どうもコンセプトが違う、思ったよりがっしりしてると気付きました。
大道珠貴も出て来なかった。
阿川弘之の頁112で、フィンランドのアミラーリが潰れたことを知りました。
耳にしていて、忘れていたのかもしれません。
例のトーゴービール。すごく苦い奴。
http://www.canmuseum.com/Detail.aspx?CanID=5830
http://www9.plala.or.jp/Jussih/amiraali/fakta.htm
星新一がビール工場で、ホップは何のために入れるのか質問し、
誰も答えられなかった頁124も面白かったです。
頁125 星新一
コーヒーも、あれ、かけねなくうまいものなのか。ムードのせいじゃないのか。ミルクと砂糖抜きで、子供に飲ませればわかる。この、後天的な美味を作り、楽しむのが、つまりは文明というものなのかもしれない。
文明まで行ってしまった。私は蕗煮とか好きなのですが、あれも文明かな。
きんぴらごぼうはまだ甘くしてあるが、蕗煮は苦いだけ。
頁157、千野栄一がチェコビールの話で、イジー・メンツェルの、
"VESNICKO MA STREDISKOVA/MY SWEET LITTLE VILLAGE"*1
という映画を紹介してたので、
予告動画探しましたが、本編フルしか出て来なかったw
小沼丹のコラムが、簡潔に英国パブをまとめてました。
頁168 小沼丹
大抵の酒場は店の主人の好みを反映してゐて、いろいろ趣向をこらしてゐる。しかし、一番いいのは店自体が二百年、三百年と古くて、昔の名残を留めてゐる酒場だらう。田舎へ行くとそんな店があつて、それは大体駅馬車時代には旅籠だつた家で、駅馬車専用の廏の跡がサルウンになつたりしてゐるから面白い。
今書き写していて、旧かなづかいではあるけれども、駅は旧漢字の驛ではなく、
けれど厩は廏だったりするのだな、と、思いました。編者の意図は分かりません。
頁171 田中小実昌
アメリカでは、今でも、禁酒町や禁酒地区がある。しかし、そんなところでも、ビールとワインは飲めるようだ。だとすると、サンディエゴのビールとワインだけのバーは禁酒バーか。
もっとも、アメリカのアル中のひどいひとのなかには、ワインばかり飲んでるのがいる。ビールを飲み続けてるアル中もいる。アル中のこともWINOと言ったりするが、これはWINEからきたものだろう。
ただし、はじめからビールばかり飲んでたのでは、アル中にはならない。なったとしても、アル中ではなくて、泡中だろう。
WINOにしたところで、ウイスキーやジンでアル中になり、それから、WINEびたりになるのか。禁酒地区は、アル中のための地区かもしれない。
何も飲めないところもあると思いますが、いつごろの話なんですかね。
現在とはいろいろ違うと思います。
頁189 丸山健二
私はといえば、ビールを吞まない人間になっている。ビールもウイスキーも酒も一切のアルコールを口にしない風変わりなおとなになってしまっている。だから、かつての級友が集まることがあったとしても、私はジュースしか吞まないであろうし、ほかの者たちにしてもあの夜のビールのようには旨くは吞めないであろう。
青春の日々、飲み始めの日々と、人生の澱が溜まったあとの日々では、
酒についても、酩酊についても、同じならずということみたいです。以上
(2015/5/17)