『酒・戦後・青春』 (酒文ライブラリー)読了

酒・戦後・青春 (酒文ライブラリー)

酒・戦後・青春 (酒文ライブラリー)

これもほかの酒呑みの本、確か、一人称「おいさん」の人の、
酒育のススメ*1かなんかで取り上げられていた本、のはずです。
名著とのことで、実際に名著でした。

今検索して驚いたのですが、ワイン業界のものっそい人*2なのに、
この本や上記の紹介ではまったくそれに触れていなかった。
まだワインにかかわる前の時代について書いた自分史だからですね。
企業勤め人としてものっそい業績を築く人になる前の揺籃期を、
新聞の抜粋などからみた世相や国税庁等の統計も絡めて、鮮やかに描いた本です。

昭和二十年(1945)の終戦(作者は事実に基づいて敗戦と明記)から、
講和(独立じゃなくて講和なんですね)、
朝鮮戦争(作者は朝鮮動乱と記載)、特需をはさんだ、
昭和二十九年(1954)吉田内閣総辞職までの、
すぐれた時代誌生活誌文化誌、みたいな感じで読みました。

勤労中学生が動員先で進駐軍を待つ日々、特攻隊用の備蓄「航空葡萄酒」(頁15)
食糧危機に際して酒造原料のイモ穀類を配給に回したため、
二億円の酒税減収が見込まれた昭和二十一年。(頁18)
国民一人当たりビール配給年1.4本なのに、進駐軍は将校一日3本兵士1本免税配給。大瓶。
それでも例えば吾妻橋のビール工場は飲みたりない米兵の強奪事件が一日400件あり、
警備のため常駐したMPが毎日生25ℓ大壜80本あけたという挿話。(頁44)
マッカーサーの昭和二十二年二・一ゼネスト中止命令、(頁22)ドッジ・ライン、(頁99)
血のメーデー*3

頁121
 堀端に駐車してあったアメリカ人の車が、いとも簡単にひっくり返され、何台も炎上した時、あのどす黒く渦を巻いて立ちのぼる紅蓮の焔に、胸につかえていた叫びが、のりうつった思いがしたものだ。
 いまでは忘れている人が多いであろう。あのとき、そのつい数日前まで、私達の国は連合国軍の占領下にあったのである。
「オレ、マークされちゃってるから」

このような時代の飲み方は荒かったようです。出る酒もカストリメチル密造酒。

頁33
 取り締まりや監視の声とは裏腹に、巷には、
「ただ、飲めばいいのである。酔えば、いいのである。酔って目がつぶれたっていいのである。酔って、死んだっていいのである」と太宰治が『酒の記憶』に書いた酒飲み達の修羅の叫びが聞こえた。

太宰に加え、ボートのオリンピック選手でもあった田中栄光の薬物酒併用についても、
ともに埴谷雄高の文章を引用して紹介しています。下はウスケ自身の文章。

頁58
 それは多分、酒を飲む目的が「酔い」にあると、割りきった認識しか持ちあわせていなかったためであろう。酒のおいしさには、まったく気がついていなかった。世の中の大多数の飲み手も、酒に求めていたのは「味わい」ではなく、ただひたすらに「酔い」であった。魂が飛んだ境地としての「酔い」であった。そこへ、より早く、より深く、すべり込んでいく手段としてアドルムに手を出す人達を、責めるわけにはいかない気持ちが私にはあったように思う。

頁82
 そういえば、あの頃の焼酎やウイスキーには、「メチルアルコール検出セズ」といった文言を小さな文字で刷り込んだ封緘紙が壜のキャップに貼りつけてあった。それがどれだけ役に立ったかはわからない。それよりも、思い返すと、バクダンやカストリの、よくもあの不味さを我慢して飲んだものだと不思議な気がする。それほど酔いたかったというよりほかに、説明のしようはない。多くの人達にとって、社会は「酔わずにはいられない」ほど病んでいたのだと、いまにして思う。

平成25年はそういう時代じゃないですけどね。イラクじゃあるまいし。

頁83
 あの頃は、酔いと死が隣りあわせにあった。今は、遠くにあるはずの死を、軽はずみに呼び寄せてしまう。

作者はそんなふいんきを脱しようとする世相のなか、
のちのメルシャン*4に就職します。
で、雑酒、国産ウイスキー創世記の逸話の数々、

頁141
野積の甕にもぐり込んだ蛇をさいて、オカウナギの蒲焼きで一杯やることなど朝飯前であった。

長野の大ブドウ地帯に本格的に転勤する迄の修業時代でこの本は終わるわけですが、
川崎のマッカリ(頁97)や日本のドブロク(頁127)、本直し(頁254)に触れる一方、
業界の、清酒の三倍醸造合成酒のせめぎあい、市中で勝手に混ぜて売る問題、(頁250)
芋が原料なのでビールとは呼べないミリオン・ビーヤ、(頁241)
社内事情にも時効なのでさりげなく触れます。

頁177
 このとき、「オーシャン」は後にも先にもたった一度、モルトに香料を添えた。このことを、私は決して忘れはしない。

頁239
「生ブドウ酒の割合を減らせないか?」
「どのくらいですか」
「可能なら、ゼロ」
「完全な合成ワインですか?」
合成清酒だって、理研酒って言ってた時、そこから出発したんだ。だからいま、米を五パーセント使っただけで三増酒に負けない品質になってる」
 変な論理だが説得力はあった。

アレですよ、バイトがブログですぐ書くのはあかんし、
寝かせて醸造せんならんですよ、お家事情は。

こういうところまで行くと、企業の倫理、モラル、理系人の哲学の有無になるわけで、
著者は後年独立してコンサルタントになるくらいなので、
大見得を切るセリフは持っています。

頁210
アルコールの工業的生産が近代化するのは、軍需を契機として巨大化したことと、化学物質としての純度と収率の向上を達成したことにあったのだということがわかった。これは酒類生産としての近代化ではない。例えば、スコットランドのグレインウイスキーは、この近代化と対立する。だから連続式蒸留機の進歩に逆らって、性能の劣るカフェイ式蒸留機に固執したのであった。翻って日本では、酒の精髄であるスピリッツと、化学薬品として純度を追求したアルコールは、同じものと認識されている。本来、この両者は究極において同じ物質であるとしても、思想的は異質であるべきものではないか。

この本読みながら、モーニングツー買ったら、もやしもんまだ学生やってて、
企業編だとどういうことになるんだろうと思いました。
http://kc.kodansha.co.jp/kc_up/image/MAG/2227/cover/2227.jpg

もやしもん(12) (イブニングKC)

もやしもん(12) (イブニングKC)

企業編だとあたりさわりのないことしか書けないか、
ベンチャーの耳ざわりのいいセリフ(数年後に検索してヒットするか勝負)しかない気がして、
やってもつまらないかなあと思いますが、
それでも、過去を扱ったノンフィクションで素晴らしい作品に出会えると、
現在を扱った作品で理想と現実の具体的衝突例を手に汗握って読みたいと、
無責任に思ってしまいながら夜明けを迎えました。おしまい