『新年の二つの別れ』(朝日文庫 い 10-8 池波正太郎エッセイ・シリーズ 3)読了

常盤新平が紹介してた本。というか、この本の巻末対談がトキワ。
カタカナでトキワと書くと、下記のマンガのキャラをすぐ思い出します。
デビューマン 1 (ヤングキングコミックス)

デビューマン 1 (ヤングキングコミックス)

何からどう書いていいか分かりませんが、例えば、頁101〜102で、
池波正太郎の小学校の先生は、電話応対やお尻の拭き方を学校で教えたそうです。
対談当時はもう学校でそんなこと教えなくなってるのでケシカラン、みたいな。
頁113による池波正太郎は年賀状を八月につくるとか。そういう流儀だろうです。
あとのほうを読んでると、どんどん早くなって、三月につくったりしてる。
頁122の岩梨*1は食べたことないので、どんな味か知りたいです。
頁137、金沢の金箔工場で、

「金の中で暮しているのは、いい気持でしょうな?」
と、つまらぬことをきいたら、主人は、にっこりして、
「金箔業者は、みな長生きをしとります」
と、こたえた。
金粉を吸いこんでいると躰にもいいのだそうである。

頁148、静岡旅行では、生活保護の受給者が全国で最低と県の広報課担当から言われる。
頁156、近江旅行では、鹿児島の高校生は修学旅行で関が原に来るとある。
島津の退却(突破)ルートをなぞって歩くのだという。
池波正太郎は働き出すのも早かったですが、

頁222
 まだ小学生だった私は、浅草へ行くたびに、この鍋ものが食べたくてたまらず、母がくれる二銭、三銭の小づかいをためこんでは食べに出かけたものだ。
 十二か十三のころだから、まさかに酒はのめない。
 はじめて入って行って、
「蛤なべに御飯おくれよ」
といって、いきなり二十銭ほど出すと、銀杏返しに髪を結った食堂のねえさんが、
「あら、この子、なまいきだよ」
 と、いった。
 それでも、月に一度ほど行くうちには、すっかり慣れて、
「ワカダンナ、今日は、鳥にいたしますか?」
 などと、からかわれて、真赤になりながら食べたものだ。
 それでも「いっぱしの大人の気分」が味わえて、なんともいえぬよい気持だったし、また、たまらなくうまかった。
 むかしの東京の下町には、私のような「マセた子供」が、どこにでもいたものである。

頁300には、下記の噺が出てきます。

頁361には、西瓜伝来前の寛永時代に西瓜を食べる描写を書いた失敗談。
頁375には新暦旧暦の開きに触れ、頁381では池波正太郎は必ず年号の下にカッコして、
西暦も併記してると記している。
地理に関しては吉田東伍ハカセの『大日本地名辞書』を手垢がつくまで使用してると頁386。

吉田東伍 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%B1%E4%BC%8D

重金敦之とトキワの巻末対談では、長谷川伸門下では、
大学出で年下の平岩弓枝が先に直木賞を獲ったので、そこから猛然と勉強したとあります。
で、直木賞選考では海音寺潮五郎が反対し、棄権したとのこと。

酒は仕事のジャマしない程度にだけ吞んだとありますが、
夜仕事して昼寝る生活だったことは、ここには書いてません。いやあ、太いしとだ。