『田村俊子とわたし』読了

http://maruoka-hideko.net/tyosaku_3small.gif
http://maruoka-hideko.net/mokuroku2.htm#tyosaku_3
表紙と題字は粟津潔 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E6%B4%A5%E6%BD%94
          http://www.kiyoshiawazu.com/

田村俊子とわたし

田村俊子とわたし

田村俊子バンクーバー朝日がクロスしてないか、適当に借りて読んだ本。
カナダから帰国したタムラと著者が知り合い、
なんというか、浪費壁放蕩癖のあるタムラのイネーブラーになってしまった著者が、
就職先を斡旋してもあっさり蹴られたり、戦時体制での女性の軍事協力如何とか、
いろいろ忙しいのに、タムラが妻子ある男性と恋に落ちたので、さすがにこれはあかんわ、
底ついたわ、となって、そうするとタムラはさすが依存症の敏感な嗅覚か何かでそれを感じ、
転地療法で中国に行ってしまう。そこで終わる、回想録です。

中公から出た本の増補版、ドメス出版の第二版を読みました。
再版かかったんですね。よかったよかった。

タムラがその人間的ミリキで作者を籠絡し、まず最初にカネを引き出す場面が頁53で、

頁53
 その月の末のことである。
「自動車会社からですが」と運転手が集金にやってきた。自動車に乗ったおぼえなどない、何かのまちがいではないかというと、
「いいえ、今月の何日に、三十代の美しいご婦人を乗せて、本町アパートまでお送りしました。そのとき、こちらに代金をつけておくようにということでしたが」
 と答える。わたしは、ああ、そうだったのかとわかると同時に、やれやれとため息をつく。当時、俊子はもう五十歳を過ぎていたのに、三十歳代と見られたわけである。この若さは、誰もが認めていた。
 自動車で帰ったその日、俊子はわたしの出かけたあと、ゆっくり朝食をし、わたしあての手紙を書いて机の上に置いておくことを忘れてはいなかったが、そのなかにも自動車のことには触れていない。
 《まささんが、ちゃんと六畳へテーブルを据え、椅子を運び、畑を前に食事の出来るやうにしてくれました。畑を見ながら四辺の風景を賞しながら、とてもとてもおいしいせんぎり大根のお味噌汁と白菜のお香々でご飯をたべました。お味噌汁は実にしじみ汁以来、初めて食べたのです。また、まささんの田舎から来たお餅をたべ干柿を食べました。ほうれん草もおいしかった。メーちゃんが、このほうれん草はほうれん草らしい味がするといった由、子供のフレッシュな感覚には大人は全くかなはない。子供は直ぐにほんたうを感じるから。
  いいお天気ね。
  まささんを見ていると、これが人間かと思って勿体なくなる。それほど、あの人は実に善良ね。まささんのお給仕でメーちゃん栽培のほうれん草をたべ、大根のお味噌汁をたべて、この景色を見晴らして、人生はまことにいいものだとつくづく嬉しくなって帰ります。 俊》
 いい気なものだ、と思いながら、電話もかけないでいるところへ、その日から二、三日たってのこと、彼女の方から電話がかかってきた。このあいだの礼かしらと受話器を取ると、
「秀子さん、至急のことですまないけれど、二十円だけ、すぐ都合つけてちょうだい。いますぐ使いを出すからね」
 というなり、返事もさせないで電話を切ってしまった。するともう使いの娘がやってきていた。アパートに働いている顔見知りの娘は、
「すぐ、お読みくださるようにということでございます」
 といって封筒をさし出した。
 《先日は御馳走さま
  宜しくお願ひいたします
  二十八日日曜に、あなたの所へ
  行くかしれません  俊
   航空母艦さま
  使ひには原稿料といってあります
  お金といふこといっておかないといけないから》
 達筆に、このように行を区切って書かれている手紙を見て、わたしはまた吹き出してしまった。それは“航空母艦さま”についてであった。
「あなたはわたしの航空母艦ね」
 と俊子はよくいった。
「冗談じゃあない。そのおだてにはのりませんよ。勝手なときだけの航空母艦さまなんだから」
 というと、彼女はムキになって、
「そうじゃあないのよ。本気でそう思っているのよ」
 ムキになって見せながら、彼女は、キャッ、キャッとおどけた笑いかたをした。
「その笑い片でわかりますよ。わたしはあなたのめんどうを見られるような立場じゃありませんよ。めんどう見てほしい立場です。あべこべでしょう。ほんとうに冗談なあない」
 と怒った顔をした。
 しかし、「至急」とあるからには、よくよくのことだろう。どうしても間に合わせなければならないと思ってしまう。だが、しがない通勤者の毎日の財布のなかに、二十円の大金があるはずがない。いまなら四万円以上にも当る。
 だから、やっと百円そこそこの月給のなかから前借りしなければならない。それは、わたしにとっては辛いことである。至急という文字が、文字どおりわたしを慌てさせて、会計係りに前借りをたのんだ。

結局それは三越で見つけた、ステキな柄の大島袷の代金でした。
航空母艦の属性って、そうなんですかね。艦これ。
http://himazines.com/wp-content/uploads/2014/06/kankore-kuubo.png

頁60
 好きな物、美しいと思う物があると、矢も楯もたまらず、欲しくってしょうがない。そうなると、誰彼れへの迷惑なんて考えられなくなってくるらしい。この帯だってそうなのである。買いたくて買ってはみたものの、財布はカラだから、わたしの方へまわしておく。いつかまた、わたしのところから持っていって自分で締めればいい、ぐらいのことに考えているらしかった。

世間ではお金にルーズなタムラ(現佐藤)に非難囂々ですが、
作者はイネーブラーなので、にくみきれません。
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/160/2013/3/2/32fb838d6160f7b704b7e48a6411a5569f55f6391386623432.jpg
作者は夫に先立たれて女手ひとつで娘を育てながら(やっと小学生になる)、
戦前の農協、農協の前身団体で働くけなげな人です。
下記は職場で待遇改善と配置転換を直訴する場面。

頁130
君の生家は造り酒屋だということだね」
「ハイ、そうでございますけれど」
「それでご両親もいらっしゃるのだろう。それなら、君がこんなに苦労しなくても済むはずではないかね。勤めを持ったり、下宿人をおいたりしなくても、親子二人ぐらい、何とでもできる家のように聞いているんだがね」
 不思議だという表情で、わたしをじっとみた。
「おっしゃるとおりだと思います。たのめば何とかしてくれるだろうと思います。ただ、わたしがたのまないだけのことなのです」
「どうして」
「ハイ、それ以上はお聞きにならないでいただきたいのです」
「そうかね。ではそういうことにしよう。しかしだね、もうひとつ聞きたい。亡くなったご主人の家だって困る家ではないはずだし、両親も揃っていらっしゃるし、君たち親子をこのまま、放っておくことはおかしいと思うのだがね」
「そのとおりでございます。この方もいま申し上げたように、わたしがたのめば面倒を見てくれます。彼の家に帰るよう、両親も何度か申してくれました」
 わたしは、姑にあたる母が、
「こうしておいては、死んだ息子に対して申しわけないから」
 といい暮していることを思い出しながら、答えていた。

全然関係ないですが、頁135で、作者は、笹子トンネルの先に見える富士山を、
富士山だと気付かず、あの山は何という山でしょうと尋ねて、周囲の失笑を買っています。
これは、私には、三島由紀夫が松の木を指さして、あれは何という木かね、
と尋ねたエピソードを連想させました。あと、頁171ザ・エンドという定冠詞の読み方。

バンクーバー朝日はまったく出てきませんでしたが、それなりにせつない本でした。

頁188
 わたしが二つの盃に一本の銚子の酒を注ぎ終えると彼女は、
「かんぱいじゃあないの。かんぺいなの」
 といい返した。
「かんぺいは外国語です」
「そうです。外国語だから使いたいんです」
「外国語を使ってはいけないんです。テニスは庭だま、ベースボールは野だまというんです」
「あなたはいつから翼賛会の理事になったんですか」

以上