『田村俊子』 (角川文庫)読了

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)

表紙は横尾忠則。キャンベルのスープ缶が横にあるかのような。
大友克洋がむかし双葉社版ショートピースの表紙*1についてあとがきで、
後から時間が経って手を入れるとグロテスクみたいなこと言っていて、
こんな処理だったかな、と検索しましたが、違いました。
それはそれとして、主題の田村俊子さんは、明治の方なのですが、
本文によると、隆鼻術や歯列矯正をされていたとのこと。
その時代にそんな技術があったのかとひとしきり(ry

<関連読書感想>
『旅人たちのバンクーバー わが青春の田村俊子
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150423/1429802017
田村俊子とわたし』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150501/1430483722
田村俊子 谷中天王寺町の日々』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150501/1430484696

結論から言うと、バンクーバー朝日田村俊子のクロスラインの
記載有無の確認が目的でしたが、この本にも当該記載なしです。
北京や上海での生活についての記述は豊富で、かなり読ませました。
内縁の夫、松魚の姓である田村でなく、実家の佐藤姓を名乗っても名乗っても、
田村のほうが通りがよいので田村と書かれ読まれ、この本の題名もまた、
という構造も興味深く読みました。

頁7、王府井わんふうちんは分かりますが、頁8、
三条胡同さんてあほうとん、紅楼飯店ほんろうふぁんてん、頁10、
六国飯店りゅうごうと、だんだん怪しくなるカタカナがきに、
作者の北京時代を重ねて合わせて読みました。
あえて今風に読むなら、三条はさんてぃあお、飯店はふぁんでぃえん、六国はりうぐお。
頁7で、北京に渡航することを渡燕と呼んでいるのはよかったです。
頁57、哈達門の韓記飯店は、地図検索で発見出来ず。あとは後報で。
【後報】

頁100
 女にはその少女時代に、恋に恋する一時期があるのだ。恋文は、必ずしも特定の相手でなくてもいいような、恋文を書く行為自体に恋の心が満足させられ、人を愛しているという甘い錯覚におちる時代だ。
 いくつになっても「恋なしでは生きていられない」女のタイプがある。これはあくまで「男なしではいられない」という意味とは違うのだ。後者は肉欲だけが対象であるのに対して、前者はあくまで、少女趣味的なロマンチックな情緒派なのである。
 このタイプの女にとって、恋人は、人でなく、恋そのものなのだから、現実の相手が何度変っても、彼女じしんは一向に傷つかないし、彼女の魂の無垢さというものは、いささかも穢されることがないのである。
 俊子もまた所詮はこの「可愛い女」にすぎなかった。
 悦への恋文が、気恥ずかしいくらいに純情可憐なのも、この恋の性質が、肉欲的でなく、少女趣味的だったのによる。
 暗示にかかりやすい「可愛い女」の通性を、俊子も充分にそなえていた。
 じぶんの書く恋のことば、愛のささやきに、俊子はじぶんから恋の暗示にかかていってしまったのだ。
「あなたが恋しくて泣きしずむ」
 と書く時、俊子の目には本当に涙がわきだし、
「あなたが恋しくて、何もできない。ごはんも、ほしくない」
 と書く時、俊子の身体はたちまち、半病人の症状におちいり、食欲はなくなり、発熱し、頭は痛みはじめる。

よくここまで書けるものだ、と思いました。相手は故人だから、だからこそ書けたのか。
頁118に、飯倉の聖アンデレ教会*2に三、四度通ったと出てきます。
唐突なので、びっくりしました。

頁118
旧教のこの教会の雰囲気は、当時の俊子の心情には非常にマッチしたらしく、はじめていった日は、感激のあまり、涙を流して、失神しかけるほど純粋な感動にうたれたと、感激的な筆致で悦へ告げ知らせた。牧師の話なんか聞かなくても謙虚な気持ちになるだけでもいい。恋の苦しさと別れの悲しさをまぎらすのに神にすがりたいという俊子の願望は一応充たされたわけである。ただし、俊子の「神」という観念は、必ずしもキリスト教的「神」であらねばならぬというのでもなかった。旧教でも新教でも俊子には問題でないばかりか、六月十八日が「観音様の日」だからといって五時起きして浅草へ詣り、またの日には「人肌観音」へ日参するというふうで、「お寺に入つて尼になつて神に近づく」というようなことばが何の矛盾もなく口をついて出てくるのである。要するに、「何かしら崇高な偉大な力」をもつものが、俊子には「神」であって、特定の何々宗教というものは必要がないのであった。
「神があなたを救ひ守つてくれます」
と書く時も、人肌観音に「あなたの幸福を祈願した」と書く時も、俊子のうちには同じ一つの「神」の幻影が描かれていたのである。

いやホント見てきたように書くなあ、と。

頁259
「何を謝るんです。私はいつだってあなたを愛しているんです。あなたとは別の愛しかたで、あの人を愛したんです。自然に愛を感じるのは仕方がないじゃありませんか。私は罪悪をおかしたんじゃないんです。私のしたことに責任をもてばいいので、何もあなたにあやまることなんかありはしない。二人を同時に愛するのは私の自由です」

頁260
「よし、もうすべては終った。I君、君はこの女を伴れてサッサと出て行きたまえ。君にのしをつけて呉れてやる」
 と叫んだ。
 Iは覚悟していた声ですぐ応じた。
「そうですか。ではいただきます」
この時俊子がいきなりがなりたてた。
「何をあなたは云うのっ、私を伴れて行くんですって、私をあなたと一緒に何処へ行くんです。馬鹿を言っちゃいけない。私はあなたを愛してやったんだ。唯それだけだ。でももうあなたなんか厭になった。これっきり、もうあなたとは交際わない。帰ってちょうだい」
 これらの言葉は、興奮しきって、支離滅裂に俊子の口から飛びだした。

大変だなあ、と思いました。修羅場なんていつでも大変だと思いますが。
そういう彼女のカナダ時代は、やはり、工藤美代子の本*3のほうが詳しい、
と思います。晴美の本は、晩年の中国時代が詳しい。
中国名“左俊芝”を名乗って四季を通じて派手な中国服を着ていながら、頁301、
会話は最後まで中国語を覚えようとせず、中国人との重要な話は、すべて英語に拠っていた。
武田泰淳堀田善衛などの若い世代からはなま暖かく見守られていたとか、
奥野信太郎ら大東亜文学者会が南京で開かれた時には旧知に再会し息を吹き返したとか、
久保田万太郎阿部知二、三橋敏子を巻き込んだ大晦日元日の酒乱醜態…
(邦人文化サロンにハブられたのに気付いて乱入逆上大立ち回りの六十代)

頁307
 火の気もないアパートの部屋は、いっそう孤愁を骨身にしみとおらせてくる。そんな夜は、隣室に住む金髪のユダヤ娘の部屋のどんなひくい話し声にも神経がいらだった。
 気の弱いおとなしいその娘は、娼婦と呼ぶのが痛々しいような女だった。故国のない娘の宿命に、日ごろは充分同情もし、娘の淪落の生計に、心から哀れみも感じているくせに、そんな夜の俊子は、自身の寂しさにたえきれず、隣の壁に手あたり次第に物をなげつけたり、ヒステリックに廊下にとびだして娘のドアを叩きつけたりしながら、
「やかましい!」
「淫売!」
「うるさい、眠れないじゃないか!」
 など、浮ぶかぎりの罵声をあびせかけるのだった。髪をふりみだし、地だんだふみ、目を吊りあげて泣きわめく俊子の姿は、暗い廊下の灯かげにもはや幽鬼のように見えた。

彼女は自室に誰も招いたことがなかったので、人力車で脳溢血のあと、
通夜のため遺骸を運び込んだ知人たちはそのわびしさに息を吞んだそうです。

頁326
 その時、思いがけない客がドアを叩いた。遠慮がちなノックの音に、戸口に近く坐った者が出てみると、暗い廊下の灯かげを背にして、黒い喪服をつけた可憐な金髪の若い女がひっそりと佇んでいた。青い瞳の中にいっぱいの涙をため、女はだまって、手にした花束をさしだした。あっけにとられているまに、女はすばやく身をかわして隣室のドアの中へ消えていった。
 俊子が何かにつけ、ヒステリーの対象にして、怒鳴りつけたり恥しめたりしていた隣のユダヤ人の娼婦だった。

草野心平も出てきますが、喪主は内山完造だったそうです。(頁327)以上
(2015/5/12)