『首相官邸の前で』(英語タイトル:Tell the Prime Minister)劇場鑑賞&トークシェア参加

結論から言うと、3.11からずっと抱えていた、もやもやというか、話しにくい想いを、
ひとつおろすことが出来たので、よかったです。なぜ電源ロスを未然に防げなかったのか、
私はずっと考えてきました。もうそれだけですよ。それがすべてです、私にとってこれは。
公式 http://www.uplink.co.jp/kanteimae/

ほかの人のブログで拝見して、観よう観ようと思いつつ、昨年は時間がなく、
今年もやってたので観ました。よかったロングラン上映。

映画館を地図検索したら、映画館のむかいが、2ちゃんで、某選手の家族の噂から、清水エスパルスを「壺」と呼ぶとまとめサイトにありましたが、実際そう呼んでるレスは、見たことがない、「ツボ」と言ってもボーツー先生、坪内祐三のことでは無論なく、という場所になっていて、ニュースでやってたのでもうみなさんご存知でしょうが、私は「神霊」「教会」が「家族」「連合」になってるとは知りませんで、そう看板に書いてあるので、ほほうと思いました。そして渋谷、宇田川町はここの所有するビルとか多いよ、と、晴海でやってた頃のコミケで、売ってた同人誌に書いてあったので(マップとか添えて注意喚起しながらメッコール飲むマンガ)、いつも文化村に行く時は神泉で降りて「仁川アップ仁川アップ、東電OL殺人事件」と呟きながら歩くのですが(うそ)、今回はさすがに考えて、代々木八幡から歩いてもいけることが分かったので、戦前徴兵拒否で非国民といわれ、戦後は花火大会で有名な宗教のところを経由してゆけば中和されると考え、そうやって歩いて映画館につきました。奥琵琶湖ならぬ奥渋。肉屋や魚屋がみな弁当を売ってました。あと、走ってるクルマが目の保養になりまくりでした。外車かカスタムばっかし。

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

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〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

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小熊英二 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%86%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C
実物を見ると、若く見えるのですが、Wikipediaを見ると、そうだよね、そのくらい(53?)だよね、
という年齢で、それが、実物を見ると、若く見えます。もともと上に上げたような著作は好きで、
枕にもなるし、人を叩くと痛いくらいの厚みがあって、よくこういうジャンルやるな、面白い、
と思っていました。論点そらし、人格攻撃以外で、真っ向から渡り合える論客は、
少ないかったですね。今アマゾンで著作をぺらぺら見ていて、牛とコンピュータのインド、
日本人の境界も読んだと思いました。知的興奮を喚起させる本です。で、この人が、
原発に深くかかわっているとは、全然知りませんでした。ほかの人のブログ読むまで。

聞きたいことはトークで聞いたので、さっぱりしました。なので、
聞きたいことがある人は、トークのある隔週水曜に行けばよいと思います。
それか、週末夜でないとアレな人は、公式見れば探せば、
関東ならそれなりにあるようです。二月の茅ケ崎は、上映だけかな?
よくそれをやる胆力があると感心しますが、まだしばらく、隔週でやるそうです。
個人で多数を相手にし、引き出すのはなかなか大変でしょうに。
そうしたやりとりを拡散する気は毛頭ありませんが、
中文字幕版鋭意作成中とのことで、それだけメモっておきます。

鯉のぼり青年のところだけ音声と画像がずれてるとか、
オランダ人が英語で自国を呼ぶ時ニダランドと呼ばず、
ホランドと言う場面にニヤリとさせられる、とか、
ジァンジァン*1て今はもうないのか、そう言えばアップリンクフェールオーバーも、
小劇場ぽいな、座布団とかあるし、と思った、とか、
バナナのかかってる席は予約席です、と言われ、耳を疑ったら、
バンダナのかかってる席、の聞きまつがいで、疑われた耳はバカでした。

群衆ドキュメンタリー映画というと、マイケルムーアもすぐ感動的な音楽流して、
エモーショナルな展開に流そうとするし、天安門のドキュメンタリーも、
確か途中で崔健の一無所有をバーンとかけてじーんとさせようとした。
この映画もそういう要素がないとはいいませんが、極力そういう、
ポピュリズムを抑えて、記録を残すという本来の目的を達成しようとした、
そういういじましさを感じました。このままだとせっかくの膨大な映像が、
未整理のまま、拡散して埋もれて、或るものはブラックアーカイヴ化して、
記憶には印象しか残らない。それでは、玉砕戦術暴動戦術を選択しなかった、
かつセクト化を避けた、という保存すべき行動の軌跡が、後世に共有されえない。
財産にならない。そりゃ困る。そういうことなのでしょう。

抑えた筆致でよく冷静にバランスのとれた記録を残したな、と思う反面、
残されたこれが公式な歴史となるのだろうし、そのへんの計算もあるだろうな、
とも思いました。どっとはらい著者監督の口ぐせは「たまさか」

【後報】
一夜明けて考えますに、私のように何の拉关系もない人間が、予備知識なしに、
この映画観ると、もうプロテストは終息したのかと勘違いするかもと思います。
私の場合はほかの方のブログで、まだ官邸前毎週金曜夜は、言いっ放し聞きっ放し、
やってると知識としては知ってますが、別に実態を体感してるわけではないです。
…昨年夏時点、再稼働くらいまでの区切りで、続編があって、さらに、
現在の簡便な紹介位につなげられるといいようにも思います。
それも、この監督の仕事なのかよ、というと、人間は時として、
思いもよらぬことが、ライフワークになったりしますので、
(それはまさに映画登場人物のひとりが、
「まさか自分がおかつもとい活動家、運動家になるとわ誰もおもてへんかったくさ」
 というような大意のことを独白していたのと同じ)
オブザーバーのような立ち位置の映画を作りながら実はフィクサー
というかコーディネーター、プロデューサーという立場に、飽きずに、
納得出来れば、よいかと思います。

昨日はあのあと法政大学でも上映があったとかで、法政大学というと、
セクトは無論、例の和服のひと、講義中、東京中央緑のひときわ濃い方を眺めながら、
火炎びん投げてえとごちた、と2ちゃんに書かれていた記憶がありますが、
(いっさいそんなエビデンスは見つけられず)その人が大学トップの座に上り詰めた、
そこなので、実況厨のしとならそっちも行ったかもしれませんが、
別にそういう人生は送ってないので、帰りました。反原連という名称は、
むかし、鶴巻町でも民青でもない、ノンセクト系サークルで、あったな、
と思いました。よくある名称は、よくある。

あと、小熊英二は、左から右へ華麗なる転回を遂げた、最近読んだ、
清水幾太郎の伝記を書いてるようなので、読んでみようかな、と思います。

清水幾太郎―ある戦後知識人の軌跡 (神奈川大学評論ブックレット)

清水幾太郎―ある戦後知識人の軌跡 (神奈川大学評論ブックレット)

(2016/1/14)
【後報】
この映画の存在をご教示頂いたブログ:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20150810/1439206007
(同日)