『ゼルダ −愛と狂気の生涯−』読了

ゼルダ―愛と狂気の生涯

ゼルダ―愛と狂気の生涯

Zelda: A Biography (English Edition)

Zelda: A Biography (English Edition)

ゼルダ・セイヤー Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC
禁酒法ジャズ・エイジの本を読んでいくと、どうしてもこの夫妻を避けるわけにはいかず、
しかし私は、楽園のこちら側は吉田秋生版しか読んだことありませんし、
偉大なるギャッツビーは、化粧品だと思っているわけではありませんよマンダム、
と言って座を白けさせるのがせきのやま、ありていに言って読んでない。
なので、最初にこれを読みました。スコット・フィッツジェラルドアイルランド系で、
どちらかといえば生活苦の家庭出身だったことなど、まったく知りませんでした。
ワスプの上流階級だと思っていた。まあアイルランド系と言われてしまうと、
その飲酒癖、濫飲はもうそれで説明がついた気になってしまうのですが…エーシーってことで。
奥さんのゼルダについては、まったく予備知識がなかったので、南部娘で、
元祖フラッパーで、益若つばさきゃりーぱみゅぱみゅ、それは違うだろう、と思いました。

大橋吉之輔 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E5%90%89%E4%B9%8B%E8%BC%94

頁430 あとがき
 なお、この訳業については、折があれば今後何度でも推敲を重ねてみたい気持でいる。読者諸賢の率直なご叱正をお願いする次第である。

本書の味わいは、その多くがこの翻訳者の端正な訳に依るものだと思います。
ゼルダは、スコット・フィッツジェラルドが1940年四十四歳で死んでからも、
母と同居する自宅と病院を行き来しつつ、1946年病院の火事で四十八歳で焼け死ぬまで、
尚六年生きたとのことで、死因も火事巻き込まれという事故ですから、
火事がなければまだまだ御健勝のはずで、やはり夫婦は、
妻が死ぬと夫は急に弱るが、夫が死んでも妻は生き続けるものだな、
と思い、若い頃の乱痴気騒ぎ、焦燥を伴った奇行凶行があるだけに、
晩年についての叙述が、心洗われるようでした。

頁419 1948.9.Mar付:娘スコッティへの手紙
「なにはともあれ、今日は、大気には春のきざしがあり、山脈の上には陽光が照り映えています。平野部より山間のほうが天候も興趣に富んでいるようで、長い山すそを時間と回想がバラ色の奔流となってくだっていきます。……生まれた孫の顔を早く見たいものです、

頁410 1946年ハイランド病院
歩いているうちに雨が降りだした。春のこぬか雨だった。「しかし彼女はその不愉快さについて愚痴をこぼしませんでした。そうやって雨に濡れているのを楽しんでいる様子でしたよ。私たちはキャンプをするにあたって、まずたき火を燃やしにかかったのです。ゼルダはたき木を探しに行きました。はっきり覚えていますが、私はだれかと立ち話をしながら、見るともなく、ゼルダシャクナゲと濡れたイバラの中に入って、つけ木に最適の木切れを選んでいるのを見ていたのです。ハイキングは気力のテストみたいなものでした」その光景が、彼の脳裏に焼きついているゼルダの最後の姿であった――ぼんやりと煙る光と雨のなかでかがみ込んで、独りたき木を探している濡れねずみの中年の女性の姿が。

頁410 1946.26.Apr付:スコッティへの手紙
「なんてすてきなんでしょう。七ポンド半の男の子を産むなんて実に素晴らしいわ。わたしはちっともおばあさんになった気はしないけれど、世間のお年寄りなみに、ボンネットにあごひもでもつけたほうがいいかもしれませんね」

頁416 1947.14.Mar ヘンリー・ダン・パイパー訪問時の回想
 パイパーはゼルダから発散するエネルギー、彼女の張りつめた敏捷さを記憶に留めている。彼女は足早に歩き、動作は機敏だった。そのあと彼らは街の小さなバーに立ち寄った。パイパーは、ゼルダが絶対に酒類を口にしてはならないということを聞いていたが、彼女がどうしても入ると言ってきかなかったのである。パイパーはビールを注文し、ゼルダはバニラ・ソーダを注文したので彼はほっとした。

母の家アラバマ州モントゴメリーと病院のあるノースカロライナ州アッシュビル

頁383〜384のスコット・フィッツジェラルドの死(心臓発作)の場面も、
曰く言い難い迫力がありますが、引用はしないでおきます。
下記は、引用はしますが、コレクトネスについては、特に触れません。

頁235
風邪をひくように分裂症にかかるひとはだれもいない。患者は分裂症に「かかる」のではない。分裂症気質をもっているだけなのである。――R・D・ラング『分裂した自我』

頁86に、「日本人召使誠実紹介所」が出てきて、そこからハウスボーイを雇ったとあります。
夫妻は、ヘミングウェイとの交際だけでなく、日本人とも接触があったのだと、
思いました。以上