台湾カルチャーミーティング第2回「激動する歴史 外部から見つめる文学――台湾人作家たちの作品と人生」聴講

公式 http://jp.taiwan.culture.tw/information_34_45427.html
東方書店のメルマガで紹介されていて、台北駐日經濟文化代表處なんて、
台北で、ニーツァンリウグーアルマ?とか、ウォーメンホニーメンブイーヤン、
シォンジーガハイズドウクーイーダラ、とか言われ、九份や新竹では、
全然理解出来ない閩南語や客家語を手加減なしにまくしたてられ、
ようするに日本人と思われなかった私には、縁のない場所だと思っていたのですが、
(工事現場のフィリピン人タイ人だと思われたときもあった)
申し込んだら返事が来ませんでしたが確認したらオッケーでしたので、
それで参加したフォーラムです。虎の門なんですが、
ぴあMAPGoogleマップ見ましたら、
新橋から歩けるようでしたので歩きました。支那中国はウイグルの人権抑圧をどうの、
共産党はどうのと演説してる人たちが駅前にいました。
で、しばらく休日の人のいない霞が関を歩いていましたら、

民進党支持者が大挙して歩いてるのかと思ってびっくりしましたが、違った。
ここで言う民進党は勿論台湾のもので、日本の民進党ではないです。
緑は台湾だけだと思いましたが、日本のも緑でしたでしょうか。

それでまあ聞きましたが、面白かったです。主賓の人は手加減して喋ってましたが、
それでもコンダクターの通訳がないと、やっぱわかんないとこは分かんなかったです。
1920年代台湾人主体の組織が次々に結成されたところを立て板に水でまくしたてた時、
1928年台湾共産党の次の1929年の団体名が聞き取れず、司会の方も少し??という
顔をしたあと分かったような顔をしたのですが、訳す時は忘れたのか言ってくれず、
まあでも、はしょったとかまるめたとかではないと思います。設営スタッフの女性が、
始終けわしい目で司会者を見つめているような気がしましたが、気のせいでしょう。
誰でも分かることですが、同時通訳は難しいです。
「反植民地」が「抗日」になってしまう違いとかありましたが、
マルケスとかカルヴィーノの名前が即座に訳出來るとか、流石文学者と思いました。
聞いてて全然分からんかった。質問コーナーも日本人院生が続々と漢語で質問してて、
主賓の方は顔をほころばせてました。私が今回誘おうと思って忘れてた、
ネトウヨの知人が夢みるような、閩南語での質疑応答やりとりはありませんでした。
ぜんぶ國語。北京語。まんだりん。これを普通话…と言ったら、この場合語弊がありますか。
“呢”を「ネ」とはっちょんするのが、台湾ぽいかなと思いましたが、
ちがうかもしれません。司会の人は、もっとゆっくり丁寧に漢語を喋れば、
単語ぶつ切りの冷たい自信の無い早口みたいに思う人もいないんじゃいかと思いました。
嗚呼、あと、アミ語とかの質問もありませんでした。族群のところで、
さすがというか、移民についてスラスラ語られるあたり、本職って、
素晴らしいと思いました。天理の訳者の人も悠揚迫らざる落ち着いた方で、よかったです。
あとまた何か思いだしたら、追記します。以上