『女文士』(新潮文庫)読了

女文士(新潮文庫)

女文士(新潮文庫)

カバー装画 堂本右美
女文士 (集英社文庫)

女文士 (集英社文庫)

何で集英社文庫からも出てるんでしょう。
これも、台湾カルチャーミーティング*1のレジュメに記載されていた、
台湾を描いた日本語文学の一冊。
というか、モデル小説です。下記の女流作家……、
身上相談と数々の浮名で有名?な人が主人公。福井県生れ台湾育ちなので、
それでこのカテに入ってる感じ。でも、例えば、
「今日ママンが死んだ。太陽が眩しかったから」
は、アルジェリアを描いた仏語文学ではありますけれど、
カミュの小説主人公は、けしてティピカルな植民地二世ではないと思います。
それといっしょで、眞杉静枝がこういう人なのは、台湾育ちだから、
ってわけではないと思います。

真杉静枝 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%9D%89%E9%9D%99%E6%9E%9D

でも上記Wikipediaにも、日本台湾学会の眞杉静枝論文がリンクされてる*2ので、
そうしたもろもろから、この小説がレジュメ記載の一冊に入ったのかなあ。

お話としては、林真理子新潮45に連載してた小説なので、
一筋縄にはいかないです。以下後報
【後報】

頁41
(略)彼女は「植民地育ちの女」と呼ばれることを何より嫌っていたが、目をくるりと向ける大げさな表情や、食物の好みに彼女が南の国の育ちだということが現われてしまう。

これとか、ホンマかいな、レッテル貼んなや、と思ったりもするのですが、
この部分は、「コケシちゃん」というお弟子さんの個人の感想というかたちで書いてあり、
そのへん流石林真理子は老獪だな、と思います。

頁41
 眞杉はピーナッツを細かく砕いたお茶漬けという奇妙なものに目がない。家事万端が苦手な眞杉であるが、ビーフンは手早く上手に作った。眞杉に言わせると、日本でもこの頃店で食べさせるようになったビーフンは、油の使い方が全く下手なのだそうだ。
「たっぷり注いでね、強火でちゃっちゃっと炒めないから駄目なのよ。そこへいくとうちの母親は本島に上手だったよねえ」

母親も福井の人で、確かに内地の人がほとんどいない台湾の田舎にいたのですが、
どこまで現地と交流し、文化を吸収していたかが具体例などで書いてあるわけでないので、
この辺作家の筆が滑ってる気もします。

頁66
女のかけている丸縁の眼鏡で、女が内地人だということはすぐにわかった。「四ツ目」と呼ばれて嫌われる女の眼鏡は、台湾ではあまり見ないものである。

こういう、台湾雑学によって小説のリアリティを補強してるのは分かるんですが、

頁75
 親切な富士子に案内されて、千日前の繁華街を歩いていた時のことだ。静枝は自分の着ているものが、他の女とまるで違うということに気づいた。袂たもとのあたりがぺらぺらと軽い。(中略)富士子の袖口そでぐちをじっくりと観察するまでもなかった。女たちは裏のある衣裳をまとっているのだ。
「私もね、おかしいなあと思いましたんや。こっちでは五月とゆうても袷あわせの季節ですからね。そやけど台湾の人はそういうもんやと思いましたん」
 静枝は恥ずかしさのあまり、箸を置いてしまった。台湾は四季をとおして単衣ひとえものしか身につけない。袷を着るのは婚礼の時ぐらいのものである。
 なんと物識らずの女だこと、やはり日本の女ではないのよと、陰口を叩かれているようだ。

こういう描写と、直接はリンクしないものの、胸元をはだけがちな、
「だらしない着物の着方」などの描写があいまって、
読者には知らずイメージが浮かぶ。しかしそれはあくまで読者の自己責任。
作者がそう直球で述べているわけでない。やるなあ。
だから林真理子新潮45のケミストリー、化学反応はおそろしい、と思いました。

頁131
 小説に書くことはあっても、静枝は台湾のことを話題にする人間が大の苦手である。自分なりに都合よく言い繕った過去が、そこからほどけてしまうような気がするのだ。

邱永漢など、出てくる余地もなし。下記は武者小路実篤の癖で、要するに林真理子は、
個人の嗜癖をけっこう原因(環境や個人の性向)があって結果がある、ふうに分析して、
描きたい人なのではないかと思いました。

頁124
 彼は奇妙な癖をいくつか持っていて、魚は真ん中にちらりと箸をつけるだけだ。後で使用人たちに食べさせねばならぬ貧乏公家のなごりらしい。鯖や鰯は青魚と呼んで絶対に受けつけない。何でも子どもの頃、祖父の妾であった老女から、こういうものは下品で毒のあるものだと厳しく言い渡されたというのだ。
 ところが鰯は静枝の好物である。七輪で尾が真黒に焼けたものに醤油を垂らして食べるとこれほどうまいものはないとさえ思う。台湾での身がぶくぶくした川魚とはまるで違う。鰯の味は大阪の祖父母の家で憶えたものである。

台湾のボラやなんかがぶくぶくしてるかどうかは知りませんが、台湾人の日本ツアーに、
焼き鯖を大皿とりわけで出してる中華レストランがありました。焼き魚は和食だから、
何も中華で出さなくても…と思いましたが、日本に来たからには青魚を食わせたかったのか。

頁230
いくら「文士を大切にする鎌倉」といえども食料を配給してくれるわけではない。近所の女に教えて貰い、相模原の奥の方に米を買いに出かけたが何軒も断られた。
「今どき、見も知らない家へ来て、金で米を買おうなんて無理じゃん」

林真理子は山梨なので、こんなとってつけたようなじゃんか言葉しか使えない、
わけではないと思うのですが… これは練れてない。

主人公は戦後ポン中になるわけで、頁258を見ると、
夫のDV(酔ってのこと)からの逃避が契機とあり、そこは同情したのですが、
頁292では火野葦平の洋行記に登場する眞杉をお弟子のコケシちゃんが読んでの感想という、
まわりくどいマトリョーシカのような入れ子の構造で、
看護婦だった彼女が、いつでもやめられると自己責任でハマっただけだ、
と突き放して書いています。林真理子新潮45のケミストリー。

Wikipediaを見ると、林真理子は作家として、眞杉の人生から、
エピソードを取捨選択して書いているのだな、それは当然だろうな、と分かります。
なかよきことは美しき哉、と出会う前のほかの男との心中未遂。
南京一番乗りの林芙美子に嫉妬するくだりはあれど、
1941年に長谷川時雨円地文子らと中国・広東へ日本軍の慰問に出向いたことは割愛。

巻末に遺書直筆が載ってますが、載せなくてもいいのにと思いました。
旧かな遣いですが、漢字は略字や新字。「許す」が、後半、何度も角打書くうち、
“许”になってるとこだけ、へえと思いました。
解説は安西蔦子。鎌倉で文人研究をするサークルが、眞杉を取りあげて、
林真理子に講演会を依頼する前半のくだりがよかったです。以上
(2016/5/20)