『オリガ・モリソヴナの反語法』読了

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

さいきn暑いんで、睡眠時間をとるため、意図的に読書ペースを落としています。
読んだのは2002年の単行本ですが、表紙は同じ絵。
装画 N・V・パルホメンコ  装丁 スタジオ・ギブ
下記で紹介されてた20冊のうち、未読のなかで、読んでみようと思った本です。
はてブ京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫ - 天狼院書店 京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫ - 天狼院書店
…別にこれから狂う人生もないですし、特にこれを読んで狂うとも思いませんでした。
しかし、それは私が、或る程度中国の下放とか労働改造とかプロレタリア文化大革命とか
その前の右派闘争とかを描いた中国作家の作品を、軽く食傷するくらいには読んでるので、
(20世紀後半の中国作家を読むというのはイコールそういうこと)
ついついそれとラーゲリを比較してしまい、ソ連はなんてシステマティックなんだろう、
最初にユダヤ人とドイツ人が殺された、とある割に、彼らに学んだ官僚主義機能効率が、
社会の隅々まで躍動している。中国はけっきょく「人治」のひとことで片付けざるを得ないほど、
おんなじ共産主義/極左冒険主義でも内実がじつに異なる。前世紀の政治思想は最後まで、
民族文化の壁を乗り越えることは出来なかったんだなあ、と思うだけです。
社会主義国がほろびる前、ソ連旅行はインツーリスト、中国旅行はCITS(中国国际旅行社)が
ハバを効かしてましたが、テレックスでバウチャーが入手できればその通り旅行出来るソ連と、
現地の人と人との力関係で何でもメイヨウ、ヨウ、が揺れ動く中国、全然違ってた(と聞きます)

インツーリスト Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
中国国际旅行社 Wikipedia(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E9%99%85%E6%97%85%E8%A1%8C%E7%A4%BE%E6%80%BB%E7%A4%BE%E6%9C%89%E9%99%90%E5%85%AC%E5%8F%B8

頁56
「今のロシアじゃ、猫も杓子も市場経済になびいてしまって、金、金、金に狂っているから、本当のロシアのインテリゲンチャはいなくなってしまったなんて嘆く人が多いけれど、真実をと自分の良心に忠実なホンモノのロシアの知識人に会いたいのなら、アーカイブへ行けって、言われているのよ」
アーカイブって、古文書館や資料館のこと?」
「そう、スズメの涙のお給金で、ああいうところに勤め続けるなんて、真のインテリゲンチャにしかできないことよ」

この本の「なう」は、ソ連崩壊直後と思います。急激なインフレで、
コペイカ投入で乗り降りするよう作られたバスや地下鉄入口が機能しなくなって、
それでも運転手や車掌は職務に忠実に社会インフラを運行させ、
乗客はすべてタダ乗りしていたあの頃。
(秩序が保たれていたのは、モスクワや旧レニングラードだけかもしれませんが)
栗本慎一郎がこんな本を書いた頃ですね。アメションならぬオロション本。

作者はエッセーしか書かなかったのかと思ってましたが、これは小説の体裁です。
事実は小説よりも奇なり、をこれも地で行っているので、ノンフィクションだと、
しらじらしくなるのを危惧したのかもしれない。あと解体されたとはいえ、
KGBとかの組織と圧力があちらの関係者に及んでは麻烦わしいと思ったのか。
身近な友人の母親がベリヤの毒牙経験者とか、ちょっとあれだもの。
毛沢東の舌にコケがはえていたみたいな記述を好む人と、その体験者とじゃ、
温度差がだいぶある。そういうことだと思います。ベリヤのペド嗜癖は、
自衛隊とはそういうところだ」の名台詞でお馴染み、島田雅彦のデビュー作、
『優しいサヨクのための嬉遊曲』で読んだことがあり、それで十分でした。
歯槽膿漏とか嫁がグルジア人とか、そこまでは知ってもなあ。

頁100
 ちょうど三学期が始まる日だった。母親とともに志摩は校長室にいた。
「五年間も日本の教育制度から離れていたのですから、日本の教育内容に追いついて行くのは非常に時間がかかります。できれば、一学年ほど下げて編入させられないものでしょうか」
「というと、志摩さんを本来編入すべき二年ではなく、一年に入れろとおっしゃるのですか」
 五〇年輩の校長は、無表情な顔と同じく話しぶりも抑揚がない。壁と話している気分になってくる。
「それは、無理です。わたしの一存では出来ぬことですし、手続きが煩雑な上……」
「手続きは、こちらでいたします」
「今まで、それが通ったためしが無いんです。外国から帰られたお子さんの例は、わたしも初めてですが、病欠続きなどで学業が遅れた子供の例はいくつもありまして、いずれも却下されとるんです」
「それはまた、なんでですか」
 母は食い下がる。
「留年ということになりますと、お子さんの将来にも好ましくない影響が出ますし、何よりもお子さんが劣等感を持たれ、それを一生引きずっていかれる心配があります」
「うちの子は大丈夫です。それより、授業について行けないほうが、よっぽど苦痛ではないですか」
「とにかく無理です」
 しばらく押し問答が続いたが、校長が、
「では、別の用件がございますので」
 と席を立って出て行き、打ち切りとなった。
「まったくもう、お役人みたいな校長だわ」
 母は腹の虫がおさまらないようだったが、志摩にとっては、日本の教育制度を支える考え方の基本を知る上で非常に興味深いやり取りだった。
 子供ひとりひとりの心の内、理解の程度、ものごとの受けとめ方は異なるはずなのに、とにかく外側からは、なるべく同じに整える。差は極力目立たないようにしてあげる。外見上は、皆同じ。それが平等であり、公平である。皆と同じであることから外れるのは、恥であり、恐怖である。そんなことが決して表に現れないように保障してあげることが、学校側の思いやりであると考えているらしいことだった。

まあ分数の割り算が出来ない高校生を量産するほうが、のたり松太郎みたく、
中学九年生のモラトリアム大男が年下の同級生のおいどや胸をさわりまくるより、
まだいいという発想なのかなと思います。外国人児童が増えた今はどうなのかなぁ。
本音を言えば平均値まで来れない落伍者は残酷に排除したいんだろけど、
そういう態度を見せてはいけないのは、洋の東西を問わないとも思います。

頁139のソリャンカスープは食べてみたいと思いました。

ソリャンカ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AB
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5b/Soljanka_with_olives.jpg/375px-Soljanka_with_olives.jpg
……で、作者がこれを小説のかたちで発表したのは、作者が日本で職業舞踏家を断念した、
そのあたりの金銭にまつわる腐臭の毒を吐くにあたり、仮名でしか言えなかったのでは、
とも思いました。

頁119
 それに、プレゼント攻勢でプリンシバルのステータスを確保するのは、日本の少なくない有名舞踊団で半ば公然と行われていることだ。
 亜紀バレエ団で、藻刈富代が凡庸な才能とバレエには全く不向きな股関節の持ち主であるにも拘わらずプリンシバルの座を射止めたのは、藻刈の父親が団長の亜紀雅美に都内一等地のリハーサルスタジオをプレゼントした見返りだというのは、すでに日本バレエ界の常識になっていた。団を維持するための必要悪として団員たちも諦めている。
 一度「ジゼル」で、藻刈が主役を踊ることになったとき、亡霊になってからの衣裳が気に食わないと言って、駄々をこねたことがあった。お気に入りの衣裳を勝手に作ってそれを着けると言って聞かない。日頃、藻刈にかなり気を使っている団長の亜紀も、この時ばかりは藻刈の要求をはねつけた。
「富代ちゃんの衣裳を替えるだけでは済まないのよ。コールドバレエの衣裳とのバランスがあるでしょう。三二名、全部替えるだけのお金が無いのよ。だから、堪えて欲しいの」
 一週間後、藻刈は自分のお気に入りの衣裳に合わせて、コールドバレエ全三二名分の新しい衣裳をバレエ団にプレゼントしたのだった。
 イワイ嬢の母親は、日本バレエ界の一部に根強い習慣に則ってボリショイ・バレエに対しても振る舞っているだけなのではないか。そして、国からの財政支援がストップしたボリショイ・バレエにも、それを受け容れる素地があったのだろう。

頁391
「あたしが踊りを捨てたのはね、日本ではダンサーの社会的地位も収入も低くて苦しかったこともある。舞台舞踊に対する需要が極端に限られているのだから、そんなことはもともと覚悟の上だったけれど、実際に飛び込んでみると、本当に苦しかった。だって、舞踊団に寄付した額と、公演のときにもらえる役の重要度が比例しているんだよ。それでも実力を認めさせてやるって歯を食いしばって頑張って、初めて主役を射止めたことがあるんだ。でもね、わたしのいた舞踊団では、主役を踊るダンサーが、他の全てのダンサーとスタッフのお弁当を、公演期間中を通して面倒見なくてはいけないことになっているの。スタッフというのは、照明から衣裳からタイムキーパーまで含めた全員なのよ。公演期間中というのは、リハーサル期間も含めてのことなのよ。異常だと思うでしょう。でも、バレエ団などでは、もっと大変みたいなのよ。プリマに指名されたバレリーナは、お弁当だけでなく、客寄せ用に外国から招待する男性スターダンサーの、往復旅費、滞在費からギャラまで負担しなくてはならないのだから。亜紀バレエ団なんか、一度、宮様の姫君が「くるみ割り人形」の主役マーシャの役を踊ることに決まった時は大変だったんだから。宮様にお弁当代を出させるわけにはいかないということで、準主役の子供たちの親が泣く泣く分担させられたらしいの。
 で、約二週間一〇〇名ほどのお弁当を提供するということは、日本の平均的サラリーマンの年収分に相当する出費を意味したの。亡くなった父の遺してくれたわずかな遺産をそれにあてがった。お金の問題だけじゃないの。毎日のお弁当に変化をつけるよう繊細に配慮しなくてはならないの。お弁当がまずかったり、ケチ臭かったりすると、他のダンサーやスタッフにあからさまに嫌な顔されて協力してもらえなくなるのよ。踊りそのものではなくて、そういう矮小なことに神経すり減らす毎日だった。その公演も終わりに近づいたある日、楽屋の化粧室で、突然何もかも嫌になったの。それはね、ダンサー仲間たちの楽屋での会話。今まで聞き流してたのが、お弁当の評判が気になって、気になって、毎日毎日、盗み聞きしていたの。そして、その内容のあまりにも愚劣なのにハッとしたの。芸能人やお互いのゴシップばっかり。あとはファッションと飲み食いとセックスの話。ゴシップがダメっていうのじゃないの。あたしだって、ゴシップは嫌いじゃない。憂さ晴らしにはもってこい。でも、二週間、ずっとずっとそればかりなの。彼らは高校を卒業以来、本を一冊も読んでないの。それでも平気なの。これからずーっと自分の人生の圧倒的多数の時間を彼らと共に過ごしていくのは耐えられない。そのうち自分も彼らみたいになってしまうって、いきなり思えてきたの。自分が今まで耐えてきたのが不思議だって……それで逃げ出すようにやめてしまった。その上、駄目押しがあったんだ。あたしが主役を射止めたのは、実力のせいなんかじゃなくて、別れた夫が舞踊団に寄付していたおかげだということが漏れ伝わってきた。本人は慰謝料のつもりだったんだろうけれど、あたしは立ち直れなくなっちゃった」

強制収容所スターリン時代の粛清、大虐殺、あとベリヤにヤラれるとかに比べ、
資本主義社会のショービズで歯を食いしばっての自分のその苦労って、なんなの、
辛いんだけど比較したら甘いじゃん、みたいな(かつ上から目線交じりの)告白があり、
それを受け止めて慰めるかつての同級の親友たちがいて、そして、その瞬間、
偶然の神さまが微笑んで、初恋の留年金髪少年の王子さまが、実は作者を気にしていた、
ことが分かり、しあわせになります。この辺のバランス感覚のドトウは凄かった。

私は、作者が、ソビエト学校ではあるけれども立地がプラハなのに、
何故そこまで板についたロシア語話者になれたのか、不思議でしたが、本書、
チェコソ連に「解放」されるずっと以前から、ロシア人の一大コロニーがあり、
19世紀から代々住んでるロシア人も、革命後の亡命者も多数いた、と、
頁385にあり、それが納得の一助になりました、流石「中欧」の中心地プラーグ。
でももっとそこは知りたいです。以上