『谿の思想 中国と日本のあいだ』読了

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%BA%8C
<著者のほかの本でここに感想書いた本>
『ストリップ一代 浅草駒太夫ひとりがたり』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160706/1467806220
『私の中国捕虜体験―証言 昭和史の断面』 (岩波ブックレット214)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160630/1467247482
1980年6月25日初版
装幀者不詳 フェイントですが、
読めないタイトルの漢字「谿」は、
訓読みで「たに」と読ませるそうです。

自筆、谷神は死せず、これを
玄牝という… の表紙中表紙、
老子の一文が、ヒントか。

作者の訳では、この老子の一文も、
「谷の神」「玄妙不可思議なる牝」
となるわけで、適語に訳せなければ、
註を使うという技が嫌いなのかな、
と思いました。

1969年「対(つい)の思想」に次ぐ
中国文学評論集みたいです。

こんな真面目な本も書けるのに、
笑話や艶笑など、
軽いものを積極的に紹介
していったのは、激動する当時の
中国の「政治」を
視るのも嫌だったのかと。
それに共感出来る、
私もそんな年齢になったと思いました。

頁157「中国人民文学小史」、
1954年9月、兪平伯の紅楼夢研究を、
山東大学を卒業したばかりの
二人の若手研究者が、
読者を革命逃避へ向かわせるだの、
封建社会に対する
深刻な批判の抹殺だのと攻撃し、
自己批判させたくだりを改めて読んで、
どんな文化人に対しても
右なら国家、左なら革命に対し、
貢献やら実践をしないと
批判の対象にする若者なんて、
今はどれだけいるのか考えました。
前者はいるでしょうが(所謂炎上)、
後者はほぼ絶滅したかと。
小林よしのり曰くの
純粋まっすぐくん
文革チルドレン、毛沢東チルドレン。

以下後報。
【後報】
無為自然とかタオとかなんとかいろいろありますが、
作者は表紙の文章をひとことで言って、「柔弱」とし、それが肝要としています。
実際の作者の艶笑路線は後世の私たちの等しく知るところであって、
ではそれが、どうしてそうなって行ったか、が、この本を読んでも、
順繰りに、だんだん、沁み込むように分かってゆく、気がします。

頁116「魯迅の「鋳剣」について」私はこの小説を単に意味不明と読み飛ばしてて、
こんなにじっくり解説出来るとは思ってなかったので、驚きました。
"汶汶郷"を日本語で「ぼんぼんきょう」と読むとは知りませんでした。
また、魯迅が日本語の手紙で「へんてこ」を「変梃」と書いていたとも知らなかったです。
そして、鋳剣も「幻燈事件」に収束させる評論の手腕にドライブさせられました。
(「藤野先生」と「鋳剣」は執筆時期が同じで、段祺瑞政権から逮捕状が出て、
 北京を離れ厦門で執筆したと言われてしまうと、そうなんですかとしか…)
で、頁121「「藤野先生」における真実」で、「藤野先生」≠事実、の考証を挙げ、
尾崎秀樹が、「幻燈事件」も虚構だ、事実のとおりには見てないかもしれない、
と爆弾発言したことを挙げ、それが魯迅の核心に迫る道では、としています。
こんなスゲー論旨の組み立てが出来る人が、艶笑に行くんだから、
艶笑は、幸せです。そう思います。

頁148「中国人民文学小史」
 趙樹理の作品は農民のしたしみやすい形で書かれている。「小二黒の結婚」は民話の、「李有才板話」は板話(歌物語)の、「李家荘の変遷」は伝統的な講釈(白話の長篇小説)の形をとって、農民にわかりやすい言葉で語られている。一人で読む小説というよりも、みんなで一緒に聞く物語である。善玉と悪玉をはっきりわけ、善は栄え悪はほろびて、めでたしめでたしと結ばれる。その発想は「文学者」的でなく、農民的である。しかも農民をよろこばせ、勇気づけるという「文学者」的なすぐれた工夫がこらされている。趙樹理の作品が、文学大衆化の道を切り開いた作品として賞讃された所以は、これらの点にあろう。
 しかし、この長所には同時に短所がはらまれている。それは「問題」の「解決者」が主人公である善玉自身ではなく、「小二黒」の場合は中央から派遣された区長であり、「李有才」の場合は農民救国会の楊同志なのである。区長も楊も、物語のおわり近くに登場してきて解決者の役割をする。「李家荘」の場合はこれが党員指導者小常と八路軍になる。それによって物語はめでたしめでたしと結ばれるのである。つまり「解決者」は常に小説の主人公自身ではなくて、借りものの他者なのである。
 登場人物の善玉悪玉的類型化と、特定の「解決者」によるハピイ・エンド。「趙樹理の方向」に学んだその後の「人民文学」はみなこの鋳型にはまってしまうのである。

小二鄢结婚はうわっつらだけ読みましたが、そのほかは暴風ナントカくらいしか知らず、
すぐ王蒙などの文革以後作家に目移りしましたので、こういう構造的な話、
全然知らなかったです。で、コマダ先生は、その後の「人民文学」、
暴風ナントカや丁玲桑乾河も挙げてますが、あらすじ見て印象に残ったのを、
書きます。まず“呂梁英雄伝” 検索して、“白樺天皇行状記”とか、
“東洋鬼軍敗亡記”とかエラい副題ついてるなと思いました。邦訳は京都三一書房とか。
つぎ、“蝦球伝”検索すると、邦訳はさねとうけいしゅう。なつかしー。
副題、“香港の浮浪児” 何故か作者名の最初のひと文字が、国会図書館検索で出ない。

黄谷柳(こうこくりゅう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%BB%84%E8%B0%B7%E6%9F%B3-62035

コマダ先生は、ここで、なぜかベチューンを「バツーン」と書いている、と思ったら、
1951年の邦訳が「バツーン」でした。

Béthune の発音 フランス語 Forvo
http://ja.forvo.com/word/b%C3%A9thune/#fr

あと、“しぼまぬ花―開不敗的花朶”読んでみたいです。
作者は満洲出身なので、当然日本語も踏まえて、
こういう筆名にしたんだろうと思います。

馬加(ばか)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E5%8A%A0-1579349

上のほうで兪平伯の件を書きましたが、その前に1951年の武訓が挙げられています。

武訓伝 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A8%93%E4%BC%9D
武訓 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A8%93

頁154 5/20人民日報社説のコマダ先生訳
「中国の人民が外国の侵略者に反抗し、国内の反動的封建主義者に反抗して、偉大な闘争を推進した清朝末期に、武訓は、封建経済の土台およびその上層建築には一矢もむくいず、逆に封建文化の宣伝に狂奔し、自分の持っていない封建文化宣伝の地位を得んがために、反動的封建支配者に対して奴隷としての卑屈なつとめを果たしたのである。このような醜悪な行為を、我々は賞讃しなければならないだろうか。  人民大衆にむかってこのような醜悪な行為を賞讃し、ひどいのになると<人民のために服務せよ>という革命的スローガンをもち出して賞讃し、さらには革命的農民闘争の失敗を逆に賞讃するようなことを我々はゆるすことができようか」

同じ趣旨で二宮金次郎批判する人が日本にもいたと思います。

また後で続き書きます。
(2016/8/10)
【後報】

頁159 中国人民文学小史
 胡風は一九三〇年代から周楊と相容れなかった。抗日戦争の直前(三六年)、周揚が「中国文芸家協会」の中心として「国防文学」を提唱したとき、胡風は魯迅を中心とする「中国文芸工作者」に属してそれに反対し、「民族革命戦争の大衆文学」というスローガンをかかげて張りあったことがある。抗日戦争中は、周揚が武漢陥落後、延安へゆき、延安大学校長、魯迅芸術学院々長、陝甘寧辺区教育庁長として「解放区」の文化運動を指導したのに対して、胡風は国民党地区にとどまり、国民党政府の分化工作委員会委員(主席委員は郭沫若)になり、また重慶で「七月社」を主宰して文芸運動を行ない、路翎や舒蕪などの新人作家を育てた。「解放」後は、周揚が文芸界の事実上の指導者になったのに対して、胡風は毛沢東の「文芸講話」にもとづく周揚らの文芸政策を、作家と読者につきつける「五本の刀」であるとして、これに反対した。「五本の刀」とは、つぎの五項目をいう。
 一、完全無欠な共産主義世界観がなければ社会主義リアリアズムの創作はできない。
 二、労働者・農民・兵士の生活だけが生活であって、日常の生活は生活ではない。
 三、思想改造をしなければ創作はできない。
 四、過去の形式だけが民族形式である。
 五、題材には重要なものとそうでないものとがあり、それが作品の価値を決定する。

この後、作者は、胡風が追い詰められ、自己批判してもなお許されず、
逮捕されるまでを、たんたんと時系列で語ります。

頁161 同
 一文芸家の発言に対し、共産党が全力をあげて批判を展開し、最後には反党反革命分子として摘発したこと、その総指揮をとったのが一九三〇年代から胡風と対立していた周楊であったことは、非党員の知識人に深刻なショックをあたえた。胡風批判以来、「百花斉放・百家争鳴」の時期まで、知識人の沈黙がつづいたのはそのためであろう。

その百家争鳴という名の毛沢東の釣り声明と釣られた文化人の弾圧を、
これまた作者はたんたんと記述し、その後、プロ文革発動後、
今度は周楊も趙樹理も批判される側に回ったことを記し、こうしめくくります。

頁164 同
(前略)周楊を抹殺したということは、周楊に抹殺されたものをもふくめて、既成のものすべてを抹殺して新しくやりなおそうということであるとしか受取りようがない。

これを、1969〜70年にNHK中国語講座のテキストに連載したというのが、
作者の真骨頂な気がします。文革バリバリの時期ですやん。

劫火 コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AB%E7%81%AB-61494
毘藍婆 コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%AF%98%E8%97%8D%E5%A9%86-614023

そういう現代中国のやりきれない一面がなければ、コマせんせーは、
頁179、中国古典では「桜」という漢字は「🌸」の意味ではなく、
「ゆすらうめ」を指すが、近代以降の文学では、日本留学組などが、
「さくら」の意味で「桜」を使っている例も散見される。
また、「松柏」は「まつとかしわ」ではない。中国では、「柏」は、
「このでがしわ」の意味である。といったことを、楽しく書き、
それによって喜びを得つづけたであろう、と思います。以上
(2016/8/31)