『李家荘の変遷』《李家庄的变迁》『李家莊的變遷』"Change Comes to Li Family Village" (岩波文庫)読了

積ん読シリーズ 

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李家荘の変遷 ★★★  階級的に目覚めて行く主人公鉄鎖の半生の歴史は、また李家荘の二十年間の推移でもある.中国人民文学の偉大なる達成を示す記念碑. 著者別番号 赤 29-1 赤 1010

李家荘の変遷 - 岩波書店

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訳者による解説によると、小野忍訳としては、1956年の河出版現代中国文学全集の旧訳を大幅に加筆訂正したとのこと。ほかにもいろんな人が訳してるそうですが、改訳に当たっては、新潮社の現代世界文学全集の岡崎俊夫訳を参考にしたそうです。岡崎俊夫さんという早逝した中国現代文学者は、私も先日丁玲の『霞村にいた時』(岩波文庫)で読みました。

李家荘の変遷 (岩波書店): 1958|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

小野忍 - Wikipedia

訳者の人は、21世紀にも再版されたヘディン『馬仲英の逃亡』や、カールグレンの左伝研究、中野美代子が引き継いだ岩波文庫西遊記など、多彩な業績が目を引きます。東大退官後は、好太王碑日本軍改竄説の李進熙と同じ和光大学(匿名課長の柳沢きみおも輩出)なのですが、私としては別にどうでもいいです。

趙樹理とは - コトバンク

樹里、否、樹理って名前ですけど、監察医朝顔とは関係なく、男性で、もともとは礼拝天の礼で樹礼だったとか(北方方言での音はいっしょ)

趙樹理 - Wikipedia

1959年には『紅旗』への寄稿が「右傾思想」と批判を受け、1964年には『中間人物描写論』の開祖として批判された。さらに1966年、周揚(中国語版)らを頂点とする文学体制の崩壊に伴い、さらに激しい批判・攻撃を浴びた。

文化大革命の時期には反動派とされ、紅衛兵たちからの攻撃を受け、1970年9月厳しい迫害の中で倒れ、そのまま意識が戻らず死去。その死は8年間公表される事はなかった。

人物
1970年春、病院を訪れた際に医師に「あなたが作家趙樹理か?」と聞かれ、「今の時期に、別人が私の名前を騙るわけはない」と述べたり、娘が労働者や農民になりたがらないのを見て「幹部の子弟がいまだに封建時代の誤った階級観念で労働者や農民を下に見ているのは問題だ」と嘆いたりもした。

Zhao Shuli - Wikipedia

赵树理 - 维基百科,自由的百科全书

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読んだのは昭和四九年(1974)の六刷。定価星三つってなんだよ、と思うかもしれませんが、私もそう思った。1954年のツーブロッカー。

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たぶん伊勢佐木町有隣堂の隣の、狭い小道のオロチョンラーメンのほうの古本屋で買ったはずです。ビニルカバーがついてます。朝鮮族のひとの東北料理はまだあるけど、カプセルホテルは取り壊されました。

共産党アレルギーのネトウヨの人が読むと十五回憤死しそうな小説ですので、人間たまには憤死もいいじゃいかと思いますし、読んでみたらいいさ。『鬼滅の刃』は若いうちに読まないと、頭が固くなると読めなくなる気がしますが、これは逆に、純粋真っすぐ君(Ⓒ受験勉強略してケンベン、親指大)の時に読むより、ある程度人間が見えてから読んだ方が面白いと思います。共産化したら村はよくなるかと思って出稼ぎから帰ってみたら、既に村の権力者たちが幹部として村を組織して牛耳っていて、党から指導に来ていた頭でっかちの青二才は簡単に篭絡されていて、しかもその青年党員は、農繁期の収穫期に毎晩勉強会を催そうとして、人が集まってこないので、この村は勉強熱心でない、党の活動に積極的でないとマイナス評価を下してるという、そのくだりだけで大笑いしました。そりゃ文革紅衛兵から迫害されて死んじゃうかな。

もちろん党の方針にそってなので、そうした諸問題は或る意味ご都合主義で解決されるわけで、そこを心理的に余裕をもって読めないと、読むことは難しいかと。カムイ伝の玄蕃や横目のように、打倒されても打倒されても腐敗した資本主義の村内権力者とその走狗は不死鳥のように蘇るわけですが、これはカムイ伝がこうした左翼闘争小説を参考にしてるともいえます。そこにカムイ伝は暴力闘争、戒闘のエッセンスをたくさん取り入れてるのですが、趙樹理にはフィジカルな暴力行動としての一揆的要素はあんまりなく、中国なのでひたすらしつこく、コミュニケーションツール、交通工具としての言語による談判、交渉を延々やります。あくまで「政治」により駆け引きをして、ブン殴ったりとかは、抑圧する側しかしない。される側は終盤まで、いちいち逆切れしてぐんづほぐれつということがない。もちろん搾取する側のほうが頭はいいし、銃や軍服などの小道具の使い方も心得てるし、躊躇なくこそ泥や強盗、性的ナントカをしでかす度胸もある。やられるほうは、人がいいというか、やられることになれた人生というか、そういう豹変が出来ない。

プロパガンダ小説として、大いに思うのは、この小説では日本軍より、国府や、山西モンロー主義で大学受験の高校世界史にも登場する(しないかな? 少なくとも山川の用語集には載ってたはず)軍閥閻錫山がより悪党として描かれてるという点。ジュリさんは1943年に父親を日本軍に殺されてるそうですが、小説で、個人英雄主義じゃないけど、唯一スーパーマンみたいに大岡裁きをバシバシやる党のすぐれた人物が、あっさり万人抗に生き埋めにされる箇所では、それをしたのは日本とその傀儡(維新)ではなく、国府中央軍ということになっています。この小説は1946年の発表で、国共内戦を見据えて、ほんとに閻錫山が残留日本軍と協定を結んだ、リアルな蟻の兵隊的勢力バランスで、さあ行くぞ国共内戦Oh, No, レッツゴー的に終わってるので、日本軍より閻錫山や国府がワルモノになってるんだなあと冷静に思うです。そういうふうに読めるのも、こちらが年をとったから。いいことだ。

日本軍と八路軍は、平型関で板垣師団壊滅とか、ネトウヨの人が即座に、アカは息吐くようにウソをつく、と脊髄反射しそうな記述(頁107)も出ますが、後半、「会戦」としかいいようのない、へんぽんとした平野で、遠路はるばる行軍してあちこちの山々にひそみ、そこから出てきた大軍同士で、野砲をバカスカ撃ちまくって戦闘する場面があり、それが、あくまで遠目からそれを見物する村人や後方に組織された「担架隊」の面々の視座から語られ、非常にリアルでした。映像を見てるみたいだった。

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人名は、清音濁音は有気音無気音にあらずルール。でも、ピンインに引き摺られたのか、"lengyuan"をロンユンと書いていて、ロンユンだろと思ったし、そうかと思うと、主人公"tiesuo"はティエスォでなくティエソーです。

頁6

 宋じいは、飯ができると、大どんぶりに盛り、それを片手に持って廟を出、片手をうしろにまわして廟の門に錠をおろし、村のいろいろな役員や当事者に知らせに出かけた。飯を食いながら、家々をまわってあるき、飯も食いおわり、家々もまわりおわると、最後に、よろず屋の福順昌へ行って、主人の王安福ワンアンフーに知らせ、それから小麦粉を二十斤受け取って、廟へ帰った。この二十斤の小麦粉は、よりあいの準備をする時烙餅をつくるのに使うものだ。以前、村役場がまだなかったころには、村人は、何か事件が起ると、総代にたのんでさばいてもらった。さばきのときには、総代、当事者の原告・被告、証人、堂もり、手伝いが、みんなそれぞれ一斤ぶんの烙餅を食い、さばきがおわってから、原告と被告のうち、勝ったほうが四割、負けたほうが六割負担した。中華民国になってから、新しく村役場ができた。その後閻錫山がうまく名目をつけて、訴訟取り下げ会をつくったが、何がどう変っても(以下略)

 後半にもドンブリ飯を食べながら家々各戸を回る人の描写があり、これ、リアルだな~と思いました。ほんとに村の夕暮れみたい。なんで食べながら歩くのか、夕餉どきに他人の家を訪問するので、オカズを呼ばれようと催促するわけじゃないよ自分で賄えてるとアピールしてるんだったか、逆に、各家庭からオカズ一個ずつせしめようとしてるんだったか、忘れました。私は幼少期、歩きながら飯を食ってると乞食になると、かなり厳しく戒められ、しつけられて育ったのですが、躾けた人はそういえば兵隊で大陸帰りでした。

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この小説は、けっこうあっちこっちに、「飯をたく」という記述があり、読んでるこっちは、北方は粉モン主食なので、莫言山東小説にでてくるようなトウモロコシのパン、〈窝窝头〉とかじゃないのと思って、この、「たく」という言葉が不思議でした。民衆のものは針一本盗まない(棒)の八路兵が粟を携行してその都度炊く描写があり(煮炊きの薪は地元農民が供出)炊くのは白米のコメでなく、粟飯やコーリャンということだろうかと思いました。山西を舞台にした『私は蟻の兵隊だった』には「麦収」というタスクが登場し、要するに麦が実る頃、農民が刈り入れる前に兵隊が勝手に刈り取って食べてしまう行為を指すのですが、それを山西の日本兵はひっきりなしに行わなければ糧食欠乏をおぎなうことが出来なかった、というくだりはおいといて、麦ならやっぱり種無しパンとか作るテだよなあ、「飯をたく」ってなんだろう、と思うです。蟻の兵隊のその場面は1945年で、本書の1945年は、もうそういうことや供出が度重なるので農民が耕作放棄していて、畑には雑草のヨモギが人の背丈より高く生えているだけだった、ということになっています。主人公の奥さんは十一歳になる息子をつれて流浪の物乞い生活をしているのですが、故郷に帰って、何を食べるかというとエンジュの葉を煮て食べてます。頁226 そういえば、私は『温故1943』読んでません。

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パールバックの『大地』を読んだ人は頷くと思いますが、中国は人口の流動性が高く、旱魃や洪水で簡単に村落や耕作地を放棄して、物乞いの流民生活に入るということで、なのでこの小説の村人も、半分くらいなのかなあ、「よそもの」と書かれる、山西人でない、河北省や河南省やらから来て、居着いた農民です。主人公もそうじゃいかな。父祖の代らしいですが。こういうことを考える時、私はいつも、中国ってアフリカに似てるよなあ、本人たち意識してないけど、と思うです。

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本書巻末に関連地図があり、本書の主戦場は下の方の沁水あたりだけなのですが、山西の二大都市のひとつ、大同は長城のほうだよ、とか、もうひとつの太原は大同より河北省の石家庄のほうが近いよ、とかが分かる地図になっています。中国銘酒のひとつとして名高い汾酒は、左の臨汾のあたりでしたか、ちがいましたか、忘れました。


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頁23、先述の冷元という青年に、若造の意味の〈家伙〉をくっつけて、冷家伙と呼ぶと、弄家伙という無鉄砲ものを指す言葉と引っかけた洒落になるという記述があり、〈冷〉は"leng"、〈弄〉は"nong"ですから、引っ掛けられるかなあと思いましたが、上海で、北京の胡同に相当する、「路地」である弄堂は、ンタンでなくンタンに上海語では変化するそうなので、山西は北方ですが、それでもそういうふうになるのかしらと思いました。あと、このことばのグーグル翻訳がバカです。

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弄家伙 クソ

 テレビもラジオもない時代の農村ですから、夜に、内職やらをやるわけでもない富裕層の地主が何をやるかというと、阿片を吸っていて、そこも、なるほどと思いました。鴉片はキセルで吸いますが、そことは別に、紙でとんとんまとめて鼻から吸引する「ヘロイン」の場面もあり、これ、原文どうなってるんだろうと思いました。白面などのスラングで書かれてるのか、音訳の海洛因"hailuoyin"で書いてるのか。この、阿片まわりの原注が実に冴えてます。ぜんぶ、閻錫山の組織。

  • 「おれも飛行機にのせてくれよ。」(銀紙にヘロインをのせて吸うことを飛行機にのるという—―原注) 頁63
  • 官製阿片(これは「断煙剤」ともいった。もっとも、お上でそういっただけで、民衆はみな「官製阿片」といっていた—―原注) 頁95
  • 禁煙調査所(官製阿片販売総本部—―原注) 頁97
  • 阿片販売委員(そのころ、各県にひとりずつ官製阿片を売る者が駐在していた。公の名称は「経済委員」だったが、民衆はこれを「阿片販売委員」と呼んでいた—―原注) 頁196

 阿片は山西産ではなく、内蒙古から来ていたようです。綏遠という地名が頁97に見える。

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作者は解放区、延安に近い人物、というか爆心地の人物だったろうので、頁149、八路が村人に退却戦について説明する際、当時まだ「持久戦を論ず」は出版されてなかったので、毛沢東が記者の質問に答えて述べた同理論にもとづいて説明した、との言い方をしてます。いや、ここは、1953年の原書改訂の際にそうなった記述かも知れません。

閻錫山の組織した特務機関についても、精神建設委員会、略して精建会、や、突撃隊、という組織が出ます。閻錫山は、忠臣より孝子(孝行息子)を望むと言ったそうで、それも頻出です。八路が山西で組織した民衆組織は、「犠牲救国同盟会」略して「犠盟会」

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「人」の字体が面白いので撮りました。本書には、"好铁不打钉,好人不当兵" を地で行くような、街道の辻々で私的検問所を設けて旅人や商人から身ぐるみ剥ぐ正規兵や脱走兵、敗残逃亡兵がいたるところにとぐろをまいている描写があります。白髪三千丈なのか、事実に基づいたスケッチなのかは、いまとなっては神のみぞ知る。で、蒋介石国共合作西安事件前夜まで狂ったように掃共戦をやってた頃は、その検問で、身ぐるみはぐだけでなく、あやしいものを持ってたり、死人に口なしが得策だったりした時は、共産党員とみなして、ためらいなく容赦なくバカスカ殺すという説明(舞台となった県で、防共保衛団を組織して、多い日は一日に百五十人くらい殺したとか)があり、特に通貨価値の高い貨幣(山西の紙幣は閻錫山が刷らせたインフレ紙幣)を持ってるとやられたとか。どういう業種が殺されたかの中に、生姜の行商人とあって、笑ってしまいました。ショウガを行商するという発想がまずなかったので。マークしたのは、長征で根拠地を作った延安のある陝西省から東に旅する連中ということなので、山西のショウガは陝西省から来るのだろうかと思いました。頁98

この小説も、役割語を使っていて、農民は農民語、思想的に成長した「目覚めたひと」の革命戦士になると、なぜかです・ます調になります。私はこれの原書は読んでませんが、《小二黑結婚》は読んだことがあり、別に、百姓だから、ですだ、とか、啥子不烧的とか云うわけでもなかったと記憶していますだ。たぶんそうですだよ。オッス、オラ、極右。

イラストが四枚ありますが、どこから来たか不明。有吉佐和子が目を白黒させたように、権利とかアレでしたから、新華書店から「友情」でもらった絵かもしれません。

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以上