『松風はかへらず』読了

作者 Wikipedia
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芥川賞をとった『乗合馬車
『日光室』を読んで、
その後の作品も読みたくなり、
借りた本。
晩年のエッセー的作品で、
最初が歌舞伎の海老蔵
(どの海老蔵だか、私はよく知りません)
次が出入りの鍛冶、鉄工芸の職人親方。
その次が出入りの和服のお店と、
洋服の仕立て屋さん。

頁85「放生」
 呉服屋であるから、何でもといふのではない。特徴は、帶と染物、いはゆる小紋、友禪などに秀れた技[彳朮亍]があつた。ぱつと人眼を惹くといふ風合ひではなく、傍で見れば見るほど、目立たぬ丁寧な仕事で、傳統的な古風な柄ゆきである。しかし、大勢の宴席などでも、その目立たぬ柄ゆきが、むしろ新鮮に目立つ。老舗の控へめな自信であらうか。
「これは一品ものでございます、」
 と、よく主が言つた。一品ものとは、帶であれ着尺であれ、これと思ふ柄を織らせ、描かせた品物で、大量生[文厂生]でないといふことである。
 それぞれの客筋に見合ふやう、工夫したのである。それがその通りにゆかず、納まらなくとも、一年とは寝かせず、同じ顧客のなかで納めるのが、手腕であつた。その點では、顧客も、明日着る着物を今日作らうといふのではなく、充分ゆとりがあつて、氣に入つたものがあれば、いつ何時でも買ふといふ人たちで、あちらこちら買ひ漁るといふこともない。いい品物を納めてゐるかぎり、客は動かず、支拂は、まちがひなく一度に振り込んで貰へる安心した商法であつた。
 戰後、東京の復興につれて、關西の店が、どつと進出してきたが、上林も、京の店をしまつて、東京は日本橋の、以前、すし春のあつた小體な店を買つて、呉服店を開いた。しかし、店には、品物はあまりおかず、從來通り、主人が番頭さんともども、大きなつづらに荷を入れて、車で客の家をまはつて來るのである。

「顧」「服」「徴」「的」なども、現在の活字と少し違うのですが、
再現出来ないのでよしにしました。手腕ていうのがいいですよねえ。
荷を積んだ車で一軒一軒廻るのも、懐かしいです。こういう凄腕に、
なりたかったですね。自分の好きな商品で。安月給と二代目に、辛抱出来なかった。
店も時代的に、サビ残とかパワハラとかブラックとかのことばは、
まだなかったけれども、状況は先んじてそこに向かっていた。

頁99 同
「流行はかまはないとしましても、上着丈を短くいたしませう、スカアトも、短く、」
「[广𣏟]だから、皺になるから、前の折襞をたつぷりととつて、タイトだとずりあがるわ、」
「ほんとは、タイトにして、膝まで、かつちりしたスタイルがいいと思ひますがね、」
「食べすぎると、お腹の線にひびくやうなのは駄目よ、舎監の先生思ひ出すわ、」
「……さうですね、仰有るやうな形でも、着こなしておしまひになるから、前襞で、すこし裾も開きめで、腰が細くていらつしゃるから、上上着丈までぴつたりに、」
「衿は立ち氣味にして、首すぢにつけて、」
 だけど、全體にゆつたり仕立ててね、はい、承知してをります、ゆるめの餘裕があつて、どう動いても、きゆうくつにならないのがお好きですよね、むづかしいんですよ、わからぬほどにゆるみで強弱を出すのは……洋服屋さんは、肩から卷尺をかけて、サイズを丁寧にたしかめる。

湘南はほんとうに不思議な土地で、郊外という概念をいまだに拒否しているところがある。
農村と都市、という考え方で湘南三浦を捉えると、捉えそこなう気がします。
東京のほうが大いなる田舎に見えてくる。私がよく言う、中央線にグリーン車はないけれど、
横須賀線にはあるという奴(総武線にもあるけど)職人さんを洗練させるおおだな、
座間だと、どうかなぁ。養蚕が盛んだったころにも、いたかなぁ。
前世紀にまだ存在していた、地場産の醤油工場の社長とかなら、あるいは、かなぁ。
湘南三浦は、なんかいろいろゴロゴロしてそうで、たいしたもんだです。

次が、病気快癒後の、立木山へのお礼参りの話です。

この山を、着流しの和服で、草履で石段上り下り。足袋のこはぜを二つずつ外したとあります。
むかしの人が八十年代に上ったので、水分補給は、しない。気が萎えるから。

頁141
 ビニール敷きの段段を、スリッパを履いて昇降しなければならないとき、わたしは、スリッパを脱ぐ。スリッパと階段といふものは、質的に適さない。滑る。[月兌]げる。スリッパの底もビニールであれば、無用の形式にすぎない。素足と言つても、足袋なり、靴下なりつけてゐるであらう。階段のよごれを恐れるのか、足袋の裏のよごれを恐れるのか、スリッパを履くのが禮儀とでも思つてゐるのか、習慣としてもわからない。廊下の掃除がゆき屆いてゐれば、べたべたしたスリッパなど履く理由はない。昔、吉原の女性たちは、ばたばたと、草履をひきずつて廊下を渡つたと仄聞してゐるが、その名殘が、今、屋[入冂]の、スリッパに殘つてゐるのであらうかしら。

上流を盲目的に崇拝するもんじゃない、という一節。トンチンカン。
スリッパ、促音を小文字で書いてるんですよね。作者のルールは面白い。
カギカッコの中の文章を句点で閉じず、読点で閉じるルールは変わらずですが、
旧漢字旧かな遣いと言っても、送り仮名は、戦後の、ひと文字多い送り仮名なんですよね。

装画:芹沢硑介 
ここも、
裝畫 芹澤硑介


奥付も、𦾔字。
𦾔字で、
著作權繼承者 スクリブナー圭
と書いたある。

定價 一千圓

さいごが、伊勢物語で、
在原業平を考察する話ですが、
直筆で、草書になっちゃうなら、
草書でええがなっちゅう感じで、
頁145、「戀」は「恋」と書いておま。

いや、[幺亦幺心]か。
ごんべんがマタになり、
糸から小が消えただ。
われもこう。吾亦紅。

おしまい。