- 作者: 獅子文六
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2015/05/08
- メディア: 文庫
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【後報】
獅子文六が薩摩治郎八を書いた『但馬太郎治伝』を読んで*1、
作者のほかの小説も少し読もうかと思って、Wikipediaで名前の出てるもののうち、
幾つか選んで借りたもののひとつです。「再発見」後、ちくまから近年出版の文庫。
カバーデザイン:宇都宮三鈴 カバーイラスト:JUN OSON
解説:千野帽子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E9%87%8E%E5%B8%BD%E5%AD%90
知らない人なので、若手の女性かと思いましたが、いそじのオッサンでした。
じゃあ別に本書の古いベタなギャグとかも分かるだろうな、と。
本書は著者70で1960年に執筆されたそうで、翌年倉橋由美子が、
同じ「新幹線前の東海道特急」を舞台に別の小説を書いたことなど、
解説に明記してあって、仕事してると思いました。でも、古いギャグの説明とかは、
ぜんぶ注釈をつけてまとめたほうが良かった気もします。
註が嫌いな読者もいるでしょうし、勞多くして利少ない註作成の意味を、
認めなかったのかもしれませんが。
解説のとおり、業界小説で、グランドホテル形式の小説です。
多彩な登場人物がてんやわんや。三谷幸喜が脚本書いて映画化してもいいくらいな。
東京大坂を七時間半で結ぶ特急「ちどり」の食堂車クルーと、
戦前の「列車ボーイ」がGHQの鶴のひと言で女性に変わった、
隠語で「メレボ(めんたの列車ボーイ)」、正式名称ちどり・ガールの、
恋とかイヤガラセとか客へのチョッカイとか客からのチョッカイの小説です。
「ちどり」の塗装はライト・グリーンだそうで、もっと早い特急が就航しており、
頁18ライト・グリーンも貧血の色のようで、愛惜と同情が湧き上ってくるのだがとのことです。
頁176日本人の習性で、紙屑といわず、ミカンの皮といわず、やたらに、その辺に散らかす。
もうそういう習慣が改められたあとの日本人が中国なんかに行くと驚いたものですが、
あちらも設備はキレイになって、さて習慣は改められたか。ツバはもう前世紀に、
列車内なんかでは吐かなくなっていましたが。
カレチというのは、それをタイトルにしたマンガでは、使いッぱしりみたいでしたが、
この小説では、頁292事実上の列車長でした。
この小説には「岡首相」という首相が登場し、解説によると、岸だろうとのことでした。
頁332
「おおかた、百万円は、い(入)っとるで」
「一億円かも、知れん」
「アホかいな。一億円ちゅうたら、一万円札でも、ビール函一ぱいはあるわ」
「どのお客のを、とりよったんやろ」
「知れとるやないか。岡はんに、きまっとるわ。総理大臣いうたら、税金は、獅子文六の半分も納めとらんのに、どんだけ収入があるやら、知れん商売やもの……」
同じページに、扈従(こじゅう)、次の頁に踝(くびす)などのことばがあり、
註に入れて膨らませてもよいかな、でもそれが価格に反映されて高くなったら、
よくないのだろうなと思いました。おそらく鉄道ことばの「レキ」、
関西でスリをそう呼ぶらしい「チボ」が、註が欲しかったです。
チボ コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A1%E3%81%BC-566384
スリを漢字で書くと「掏摸」で、これは「とうぼ」と読むらしいので、
町人漢学の進んだ関西では、それを訛ったか、あるいはどこか南方?の唐音訛りで、
(行燈あんどんや暖簾のれんのように)チボと読んだのかと思いました。
北京語ではチボとは読めないので… 中国語でスリを意味する"扒手"、
Weblio*2で見てましたら、"扒窃"という言い方があり、
"窃"ならチエなので、ひょっとしたらそれが混ざったかもと思いました。
頁323
「ええいうて、何が……」
「返事聞かして貰わんかて、ええようになったの」
「何いうてなはるんや。あんた、あ、あれほど、わしに……」
「そやから、うち、喜イやんに、詫びいわんならん、思うてまんね。ほんまに、ムリいうて、心配かけて、えらい済まんことしたわ。あんた、こらえて、くらはる?」
彼女は、まるで、少女のように潤んだ眼で、喜一を見上げた。
「ほな、あんた、わしから、何も、聞くことないのか」
「ええ、何も……」
「オヤジさんの跡継いで、わしと一緒に、ま一度、アイノコ弁当の店始めるいうことも……」
「あないなこと、アホらしなってきたわ。女ゴは、女ゴらしゅう、家の留守番して、良人の帰り待つ方が、なんぼ、ええか知らん……」
「何で、そない、急に、変りなはった?」
「何でいうこともないのやけど、こない気持になってしもたんやわ」
彼女の口調が、あまりにも、拘りがなく、無邪気なので、喜一は、判断にあまって、対手の顔を、見つめるだけだった。
「そやから、もう、あんたの返事、聞く必要ないの。あんたは、うちのことかまわずに、ええコックはんになるように、これから、一所懸命、修業して欲しいわ」
これがむかしのよろしい関西弁なのか、ハマっ子獅子文六のアレが混ざっているのか、
さっぱり分かりませんでした。谷崎も関西人じゃないしな。
作者はプラットホームも「フォーム」と書きますが、
「相手」ということばも使わず、毎回「対手」と書くので、この小説の、
ヒゲのハカマ姿でえんえん食堂車でちびちび酒を飲む壮士豪傑くんじゃないですが、
爾後國民政府を對手とせず、の近衛宣言を毎回想起しました。
「對手」と書くことで、敵じゃないよ、との言外の意味を込めたかったのですが、
同じ漢字文化圏だから伝わって卓袱台、との近衛政府の思いもムナシく、
左の頬を張られた側の蒋介石は右の頬を差し出したりはしなかったのでした。
クリスチャンなのにね。以上閑話休題。以上(2017/1/28)