『東京的日常』読了

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東京的日常 (ちくま文庫)

東京的日常 (ちくま文庫)

読んだのは1990年のリクルート出版のソフトカバー。ですが、表紙の絵はまったくいっしょです。スイスアーミーのマークを入れると大人の事情的にアレなのか、スイスアーミーのマークは入っていない万能ナイフがTYOと書かれた日の丸と東京タワーの罐詰を開けようとしている。

【装画】小島武
【装幀】日下潤一
【カバー写植印字】前田成明(帯・扉・目次も)

前記を山口文憲、後記を関川夏央が書いた対談集。深夜のファミレスで数回トークしてそれをまとめればいいや、的な当初の目論見が、何故か出来上がったものがさっぱり面白くなくて、お蔵入りしてみたり棚上げしてみたりで二年以上かけて出来た本だそうです。担当編集は岡本達也という人だとか。巻末の、リクルート出版の本を見ると、田村隆一川本三郎、高田宏、中沢けい、宮迫千鶴、落合恵子塩田丸男藤本義一串田孫一谷川浩司大山康晴

ちくま文庫公式
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480028891/
国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002086751-00

ふたりのプロフィールは生年と星座と血液型のみ。四部構成で、第一部が旅、第二部が過去のライター生活、第三部はいつものエッセーと変わらないこと(残留孤児についてくどくど書いているのが目新しいかも)第四部は穴埋め。なぜこの対談集がつまらないかというと、関川のガードが固すぎるからではないかと。ソウルの練習問題や海峡を越えたホームランなど、韓国ネタはいっぱいあるはずなのに、山口にそっちを質問させるよう水を向けない。何故か山口のホームである香港ネタを語ったりするが、もとよりそんなに語れるわけでなし、また山口もすぐ茶化したり冗談にしたりして、どうもまともに語れない。アルゼンチンとパリの話でもすればいいのにと思いましたが、話すことがないか、お互いの知ったかぶりの殻を破ったトークが出来なかったか。

上は頁10の対談開始部分。いきなり「飲まなんだいから」という誤植があります。ファミレス店員に、注文は繰り返さなくていいよ、と釘を刺す首の太い柔道家関川節も収録。

頁23 第1章 たびたび旅を語る
関川 まあ、ヒッピー保守本流とは何かという話をしてもあまり意味がないかもな。教科書的な言い方になるけど、アメリカがベトナム戦争の一方の当事者であったことは大きい。日本はそうじゃなかった。傍で眺めていて、それでもうけていたし、高度成長の頂点へぐいぐい登って行った。若者たちは戦争はせず、しかし反戦運動やヒッピーの真似事だけは十分に楽しんだ、というわけだ。
山口 おいおい、それは私にイヤミを言ってるわけ? ああ、たしかにベ平連運動は楽しかったよ(笑)意義ある青春時代じゃないか、え?
関川 いやいや舌のすべり。他意はない。あるわけがない。

山口文憲はべ平連崩れだったんですね。「崩れとか言うな、崩れてないから」とか言いそう。

頁93、今で言う黒歴史のことを関川が「けっし」と言っています。「欠史」と思いきや、その場で書けないかったので、本でもひらがなです。

頁97、七十年代の下宿アイテムは必ずスチール本棚とありますが、コクヨが生産中止しなければ、今でも永遠にスチール本棚だったと思います。耐震とか考えすぎたんでしょうが、とにかくスチール本棚は収納効率がよかった。じょうぶだった。

頁109 第2章 かくかく過去を語る
山口(前略)その越後で、少年関川は、英文科出の母上から、越後獅子みたいに、英語を仕込まれてたんだろ?
関川 ああ、幼少のみぎりからな。そして母親のヒステリーに死ぬほど苦しめられた。いってみれば私は裏日本のにんじんだね。
山口 裏日本のにんじん変じて、東京の……。
関川 文豪となる。
山口 いや、高麗にんじんとなる、だろ(笑)
関川 いやなやつ。
(後略)

母親の回想随筆で、英文はなかったような…

頁118で、ユースホステルは毎朝ラジオ体操させられるからこりた、とあり、私は国内のユースホステルに泊まったことがないので、そんなものかと思いました。民泊やらゲストハウスやらがいっぱいある昨今、ユースホステルってどうなってるんだろ。ヨーロッパには木賃宿寸前をいろいろ食い止めてるユースがあって、私は同室者が鍵かけなかったので荷物ほとんど盗まれたことありますが、国内のアットホームなユースに泊まってみたかった。今からでも遅くないか。

頁133、ふたりの同世代プラマイ数歳のライターを列挙しています。足立倫行、猪瀬直樹沢木耕太郎、吉岡忍、橋口譲二山根一眞山際淳司戸井十月、生江有二、工藤美代子。

頁137、山口文憲は年金納めてないことが分かります。二年後の対談でも納めてなかった。今はどうしてるんだろう。関川は納めている。ゴチエイの話になり、ゴチエイが田中貴金属と取り引きがあるという一文が出ます。ワリチョーということばもなつかしい。

ページは忘れましたが、ベ平連は、中心のメンバーがみんな英語ばりばりで、国際電話かけながら国際協調した戦術をとっていた点で、他に類をみなかったそうです。

頁173のミッキー安川『ふうらい坊留学記』犬養道子『お嬢さん放浪記』は読んでみます。『森村桂 香港へ行く』は近隣の図書館に蔵書なし。

おもしろい者同士が効果を打ち消しあった例と思います。安部譲二とかも唐突に出てくる。以上

【後報】
追加で書いておくと、

(1)
二人は当時出だしたばかりの地球の歩き方を、欧米のどれそれを持ってきたもの、としてクサしてますが、それでも、どちらか忘れましたが、五冊も買ってその都度現地に置いて来たりを告白するなど、行ってしまうと重くて邪魔なのだが、行く前はないと不安である、という心理を普通に書いています。地球の歩き方は全年度版誰かデータベース化しないかと思います。すればツタヤ図書館が蔵書せずともよくなるし、全文検索で、日本人のたまる場所の変遷などがAIにも分かるようになる。韓国に関して言えば、バックパッカーのたまり場なんてあるのかなあ、とは思うのですが。私は個人旅行で行った時、サムゲタンとかひとりふたりだと食べきれないから注文できないからシェアしませんか?と現地で声かけてもらって、それが悪い人でなくて本当によい思い出になったことがあります。

(2)
二人はソウル五輪前後のポパイとかホットドッグプレスとかの、従来の積み重ねと断絶した、かろみのある韓国特集、うわべのオサレを捏造したかのような特集をナナメに見てますが、私は四方田犬彦も好きなので、あれはあれでひとつの「革命的な」視座ではないかと思っています。私は後年ネットでまずビョンシンチムを韓国の障がい者蔑視の証左としてえんえんやってるのを見て、その後ソウル五輪前後芸術として日本公演があったりいろんな人がビョンシンチムをもちあげたりしてるのを読んで、世の中ってほんと面白いと思ったりしたので。ビョンも、ネットだとやまいという漢字をあてていて、八十年代の雑誌は、「片」だったりした記憶があります。

(3)
七十年代ライター業界についていろいろ歴史的資料として記述がまとめられているので、その面ではこの本に価値があると言えるのかなと思いました。もっと正確に包括的にえがかれてる史料があったら、ムダになりますけど。こうやって食えてる人たちは、今でも何かで食えてるんでしょうけれど、後進はキツいんだろうなと思います。

(2018/7/15)