『未来国家ブータン』"Bhutan --the future state--" 読了

 ブータン料理を食べに行ったので、なんとなくブータンの本を読もうと思って借りました。ブックデザイン 坂野公一 (welle design) 装画+本文地図 影山徹 巻末に参考文献 初出は小説すばる 2011/8~2012/3月号 読んだのは単行本。

未来国家ブータン (集英社文庫)
 
未来国家ブータン (集英社文庫)

未来国家ブータン (集英社文庫)

 
未来国家ブータン

未来国家ブータン

 

高野秀行 (ノンフィクション作家) - Wikipedia

 この人は変化球作家なので、内戦下の事実上の国家ソマリランドとか、西南シルクロード(猿岩石が空路でスキップしたアジアハイウェイの道なき道を踏破)とか、ビルマ、ワ族のアヘン栽培地帯とか、そうしたクセモノが得意で、かつ、クセモノじゃない地域を、あたかもクセモノのようにフェイクしてしまうテクニックにもたけています(イスラム飲酒紀行のマラッカとか)そういうヨゴレかつ百戦錬磨が、ブータンのように「幸せな国」とか「平和な国」のイメージが強い地域を書くのは、向いてないんじゃいかと思いましたが、杞憂でした。

・生物資源、生物多様性を利用した研究開発のベンチャー、日本・マレーシア合弁企業からのオファーでブータンに行くことになった。

ブータンは雪男(ゾンカ語でミゲ)が地域に根付いていて、かつほかのUMAもいる。

ブータンというと和服に似た伝統衣装着用義務があるので、ほぼそれかと思いきや、妖怪アンテナみたいな帽子の地帯や、昆虫みたく触角をたらした帽子の地帯など、予想の斜め上の地域が続出し、単一民族を標榜しつつ実は多民族であるブータンの実情がサクッとぶちまけられています。ゾンカ語でない地帯、ブータンチベット仏教ではあっても、多数派のゲルク派ではないのですが、その辺の説明と、実はあるゲルク派地帯が登場します。(ニンマ派もいることは頁166にあります。サキャ派は不明)

・東部国境を越えたインド側のチベット文化圏にも話は及ぶのですが(ギャワ・リンポチェ亡命の道だとか)さすがに会社としての使命を帯びた出差ですので、インドは出ません。

 頁38

 ツェリンさん宅に帰ると、もう夕食の準備がはじめられていた。私は酒が飲みたくてしかたなかった。それが訪問の主目的なのだ。

 酒、酒……と思っていたら、テレビでは歌謡大会が終わり、酒の番組がはじまっていた。あろうことか、アルコール依存症矯正施設のドキュメンタリーだ。いかにアルコール依存症がおそろしい病気であるか、いかにここの人たちが大変な思いで酒を断とうとしているかが綿々と語られている。

 ブータンは酒好きの人が多いことで知られる。死因の二位が「肝硬変」という統計からもそれがうかがわれる。ツェリン・パパも酒好きで、「私たちが飲みすぎはよくないですよと言ってもお父さんは毎日飲んでしまう」とツェリンさんがこぼしていたのを思い出した。彼らが会話もそこそこにテレビを食い入るように見つめているのもそのせいだろう。

 なんて間の悪い番組だろう! と私がいらいらしはじめたとき、ツェリンさんがテレビ画面を指さして言った。重度のアルコール依存症から奇跡的に復活した人だという。

「この人は近所の人です」

 知り合いが出ているから熱心に見ていたのか。すると拍子抜けした私の前に、焼酎の杯が出された。ブータンでは焼酎のことを「アラ」と言う。そのアラは甘くて雑味がなく、おいしかった。ミャンマー北部や インド東部の焼酎とほぼ同じ味だ。

 酒が入ってくつろいだので、雪男のことを聞いてみた。(以下略)

 ガイドというか、アテンドの同行者、公務員のツェンチョくんが、河相我聞みたいな顔です。

 頁124

  ツェリンさんは私たちを迎えると、さっそく酒を出してくれた。一口飲んで驚いた。かつて私が長期滞在していたミャンマー・ワ州の村の酒「プライコー」そのままの味なのだ。雑穀を壺の中で発酵させ、そこに水を注ぎ込んで造る、アルコール度四、五パーセントの酒だ。

 作者は御多分に漏れず虫さされに悩まされるのですが、ダニと、あとは正体不明みたいな書き方をしています。南京虫が主力だと思うんですが。小野田寛郎を見つけた鈴木紀夫が雪男を探しにネパールに行って失踪し、小野田寛郎が捜索に行った時、やっぱ南京虫がベッドに出て、ランプの明りの下で、マッチ箱に追い込んで、マッチで火をつけて、ポンと爆ぜてころす場面があります。高野秀行がそれを知らないわけがない。

頁154

 石風呂から上がれば、食堂でごちそうが待ち受けていた。

 当地名産の松茸の煮物、スイス風のチーズを肴に、スイス人の協力で作られたというビール「レッドパンダ」をぐいっとやる。ほてった風呂上がりの体に発酵の強い冷えたビールがしみわたる。

 極楽だ。 

 作者は、割とオフィシャルに役人にも会うたびなのに、出発前にうっかり金髪に髪を染めて出かけます。ブータンで、西洋人旅行者に写真を撮られたそうなので、西洋人から「パツキンのブータンハケーン」とでも思われたのでしょう。

作者によると、ルンタには「運気」という意味もあるそうで、「ルンタがアガる」(運気がアガる)みたいな言い方をしてるので、へえええええええと思いましたが、よく見たら「アガる」でなく「上がる」でした。

以下後報

【後報】

頁177

 おかみさんは綺麗な人だった。村の人と思えないほど、趣味のよいピンクとグレーのキラ(女性の民族衣装)を身につけ、グレーの髪をきちんとまとめ、いつもどこか遠くを見るような目をしていた。少女がそのまま大人になったような感じだ。

 だがこの人はキャンプ地に到着するなり、焼酎を一気飲みし、草地に転がって寝てしまった。ダンナが馬に餌をやったり、荷物を整理するのを手伝う様子もなく、ぼんやりしている。私たちとは目も合わそうとせず、食事もほんの少しである。

 ところが食後に「飲みますか」と焼酎を見せたら、パッと目が光り輝いた。

「トゥチ、トゥチ」と言いながら、いそいそと椀を受け取ると、ぐいっと一息で半分ほど飲んだ。

 ぷふーっと息を吐きながら、こっちを見ると、首を傾げてにこっと微笑んだ。目が潤み、照れているのか酔いのためか頬がやや赤らんでいる。

 かわいい。なんてかわいいおばさんなんだろう。でも間違いなくアル中だ。(以下略) 

 この夫妻はブータン辺境の遊牧少数民族村(テントではなく夏冬の家を使い分けるタイプなので、それは定義上「遊牧」ではない気もするのですが、作者はこの手の論文も読みこなしてるでしょうので、釈迦に説法かも知れず、スルーします)に紛れ込んで幾星霜のチベット人(難民)でした。ので、私がトゥジェチェでおぼえている、ウー、ツァン方言のありがとうを言うという。

こういうのを読んで、日本人の手でブータン自助グループを作ろう、とか始める人がいるかもしれませんが(アウターモンゴリアのように)、また既に始めてる人がいるかもしれませんが、基本的にはやっぱその国の人自身でやらないといけないんじゃないですかね。最近ベトナム自助グループのサイトがあったので見たんですが、公式ではないと断り書きのついた英語版しかなくて、ハノイサイゴンはそれなりに活動してるようでしたが、ダラトだったかニャチャンだったか、チェアマンだかなんだかが夏期は本業休業してバカンスに行くので集会お休みですと書いてあって、大笑いしました。観光ビザの英語教師が、更新再入国のためタイにでも行くのかよ、と思った。施設の視察の話は以前聞きましたが、まあ、大変そうというだけでしたかね、施設は。ベトナム有識者が現地の自助グループの話聞くと、共産圏ゆえに、自由にはやれない点はあるにせよ、やっぱそんなんやってんね、気楽にやろうだし、なら信仰団体としてもそれなりにしか対応せえへん、と思うかもしれません。なんでベトナム語がないかなあ。

頁250
 なんと、ドフー先生はカルテをゾンカ語で書いていた。ブータンで誰かがゾンカ語の文字を書くのを初めて見た。ふつうは、メモをとるのも友だちや家族とメールを打つのも英語だからだ。

作者がブータンでいちばん感心したことは、庶民が純朴で幸せ度数高いのは当たり前、高学歴のエリートまでが純粋でキラキラ、まっすぐな点が珍しいんだそうです。ヒネたりシニカルになるのが知識人の常なのに、それがないと。それがどうしてか、作者の考察は本文中にあります。まさにフィリピンとかが大失敗した、高学歴教育だけ重視で經濟が伴わないと国民全員が海外出稼ぎと遊民にしかならない、というケースの真逆かと。

でも2010年のだかの作者取材時は、まだブータン都市部以外にテレビが入っていなかったそうで、その後、テレビの破壊力で、社会が変容する可能性も当然作者は指摘していて、その後どうなったかは、調べないと分からないことです。

そんな本です。とりあえず辛いものはやみつきになるので、またブータン料理店に行ってみます。誰か相方探して。ではでは 以上

(2019/7/5)