『天使はブルースを歌う 横浜アウトサイド・ストーリー』"Angels sing the Blues" 読了

 ハードカバー 読んだのは毎日新聞社版 造本 岩瀬聡 カバー写真 戸崎美和 山崎洋子を読んでみようシリーズ

天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー

天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー

 

 今年亜紀書房から再版されたのですが、差異は聞いてないか、忘れました。ぱっと見て、普通に表紙はちがいます。さらにまた表紙の違う電子版もあったのですが、今はちょっと見えないです。初出は未記。

 根岸の外国人墓地にかつて立っていたという九百もの白木の十字架と、それが戦後哀歌の埋葬嬰児のものではないかというストーリーがまずひとつ。それからメリーさん。それからエディ藩という人。雪村いずみ鈴木いずみの『ハートに火をつけて!誰が消す』にこのバンドをモデルにした人たちが出てくるというので、そこにも飛び火してますが、だいたい上記の三本柱で進むノンフィクション。

エディ藩 横浜ホンキートンク ブルース - YouTube

エディ藩 - Wikipedia

ブルー・ジェイド

ブルー・ジェイド

 

本書頁023ではこのアルバムは全19曲だそうですが、現在フツーに買える<生産限定低価格盤>では九曲。最初はジャズスタを削ってオリジナルだけにしたのかと思いましたが、そうではなくて、オリジナルの"Heart And Soul", "Close Your Eyes", "Dancer", "Chaser", "Missy Blue", "Yokohama"と、ジャズスタの"On The Sunday Side of The Street" とミッキー吉野作詞作曲の"Hide Away"がおさめられていないようで、あと一曲再版未収録があるですが、本書も18曲しか曲名書いてないので、残念閔子騫で終わらそうと思ったですが、検索したら個人の方のブログで、チャンと"Blue Neon City"だと分かりました。オリジナルかジャズスタかは知りません。

ブルー・ジェイド

ブルー・ジェイド

 

https://www.chinatown.or.jp/feature/wmctown/vol003/

まず、「藩」姓が珍しいと思ったのですが、上記ウィキペディアによると、もともとは「潘」だったようで、日本だと草冠付きの字のほうが廃置県などで知られてますので、何処かでそうなってしまったんだなと。ガンダム世代ならララァの声優で潘恵子を知ってますので、そんなまちがいはしないのですが、グループサウンズの時代、その辺どうだったのか。

潘 - Wikipedia

潘金蓮 - Wikipedia

ワイルド・スワンの漢字が出ないのでいらっとして簡体字"鸿昌 横滨"で検索すると、父の死後も母親が店を守ったその店は2006年閉店だそうで、レジから金をとってはギャンブルざんまいだった(頁021)彼が音楽業に専念するためとどこかに書いてありました。本書の1999年時点では、日米ハーフの妻と別れた後はやもめとなってましたが、上記ウィキペディアではしのぶさんという奥さんが書いてあります。「しゅくちん」と書いてスーザンと読ませる"淑珍スーザン"という歌は、ビザ切れで香港へ帰る恋人への未練を歌った歌ですが、客観的に考えると時代的に、香港から出稼ぎに来た女性と、在日華僑のお金持ち青年の恋なので、本気でないと思います。野毛大道芝居が縁で知り合った評論家の平岡正明に、エディを知らずしてハマのブルースを語るなかれとかいろいろ言われたので調べたり聴いたりしだしたんだとか。私は、平岡正明という人は、三島由紀夫の本名とごっちゃにしたりします。あと、どこかで見てると思ったら、湯村の竹中英太郎記念館で知って古書で買って積ん読になってる竹中労水滸伝 窮民革命のための序説』の共著者だった。

平岡正明 - Wikipedia

メリーさんはもともとよく知らないので、白内障とか、今でもあるビルか知りませんが、エレベーターホールの定位置(定住所?)とか、岡山帰郷とか、知識として読みました。

Google マップ

hamarepo.com

座間にも、もともと戦災被災者だったのか知りませんが、防空壕だか横穴に住み着いた「おまちゃれババア」(人が通りかかると「お待ちやれ」と手招きする)という人の話を聞いたことがあるので、それを思い出すだけです。

頁120 昔ドブ板通りで働いてた女性の懐旧談

(略)ドルはグリーンダラーって言ってたんだけど、一ドルが三六〇円でしょ? でも横浜へ持ってくと四百円……もっと高くなることもあったわね。だってドルが自由に買える時代じゃないもの。外国へどうしても行きたい人が買ったんじゃない? 商売とか留学とかで……。中華街なんかで取り引きされてたみたいよ」

 どぶ板通りは黒人オフリミットだったとか、そういう話の後に、日本にも闇チェンがあったという話。本書は自分史と重ねながら戦後高度経済成長を書き連ねていってるので、頁168のように、突然前後の脈絡なく安井かずみが登場したりします。

安井かずみ - Wikipedia

ここで出てくる『キャンティ物語』(幻冬舎文庫)は読んでみますが、安井かずみという人自身の本は、どれを読んだらいいのかよく分からないです。彼女の前が中ピ連だった気がしましたが、中ピ連は昨日の感想に書いた本に出て来て、本書では登場しませんでした。安井かずみの後は寺山修司の天井座敷。

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)

 

 雪村いずみ鈴木いずみの前フリは、エリカ・ジョングの『ぶのが怖い』で、この本のタイトルから「翔んでる女」という流行語が出来たとしていますが、特命係長島耕作著『翔んだカップル』からだと思ってました。頁179で書名を『ぶのが怖い』と書いてるので、そのまま検索して「該当する資料はありませんでした」の壁にあたって一秒ほど思考停止しました。電子版や亜紀書房版では直ってるといいですけど。

飛ぶのが怖い (河出文庫)

飛ぶのが怖い (河出文庫)

 

 著者はエディ藩と根岸慰霊ソングを作るのですが、その辺りの活動に絡んで、下記の人も出て来ます。通りの名前にまでなってるんだから、たいしたもんです。

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でまあせっかくなんで私も行ってみました、根岸の外国人墓地

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横浜にけっこうある、字がとれて読めないシルバー説明板。

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根岸外国人墓地 THE NEGISHI FOREIGN CEMETERY 左側の通用門からお入り下さい 根岸外国人墓地 THE NEGISHI FOREIGN CEMETERY

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The Negishi Foreign Cemetery 横浜市根岸外国人墓地

最近予算をつけてつけたような看板と、歴史ある看板と、かっとび'80年代ロック風の看板が並んでいて、歴史を感じます。

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根岸外国人墓地管理事務所 THE NEGISHI FOREIGN CEMETERY OFFICE

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REST IN PEACE 慰霊

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これが片翼だけの、嬰児というかエンジェルを模したのか模してないのかのモニュメント、慰霊碑。毎日新聞社版の表紙にもなってる像です。

で、戦後、パンパンの人が米兵との間に生まれたGIベイビーをひっそりと埋葬しに来たというフォークロアのもと、写真があったらなあと思うのですが、一時期は木の十字架が九百も並んでいて、その間隔を考えるとその下に埋葬されてるのはやっぱ大人じゃないんだろうなあ、というのが、ほかの人、墓守の人が書いた本の風景らしいのですが(その後撤去されたそうで)ということは、まとまった広い場所がその跡地なのかしらんと考えて歩きました。

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ここかなちがうかな。

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石が並んでまんがな。眺めもええし。九百も十字架があるなんて既製品としか思えないと誰もが思うと思いますが、厚木基地からロハで入手出来たんだそうです。ということは、パンパンの人だけでなく、米軍の、ひょっとしたらキリスト教関係のしとが絡んでてもおかしくないなと。そう思います。

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三段くらいのレイヤーがある墓地なので、これは上段から中段を眺めた圖。

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草むらの向こうに白い首輪のない猫がいました。

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頁258

 というのも、占領下にあった頃、米軍と横浜市の間に取り交わされた書類の多くが、意図的に焼却されたからある(ママ)。市民のものであった土地、建物を米軍が強制的に取り上げたことに対して、接収解除後、市民から賠償責任を問われることを恐れた市が、証拠となる関係書類を消してしまったのだ。 

 これがほかの東アジアの国だったら、文書の価値と重みを十分にわきまえてますので、こっそり残してると思います。戦後なんだから、残してもいいのにと思います。

あと、撮った写真並べます。

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右は、西洋式の墓碑の前に戒名(「尼」の字があるので女性)が書かれた薄い石板様の墓石が立てかけてあって、同一人物の異なる宗教ごとの墓なのか、宗教の異なる連れ合いや親子の墓が寄り添って連理樹なのか。

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この後中華義荘に行ったのですが、それは蛇足。

作者がエディ藩と小田原競輪に行ったら、偶然内田裕也に会って、裕也は著者の五歳年上だそうで、で、知人がいろいろはさまって、その後、エディ藩は止めたのですが、飲食店経営者が有名人の裕也を自分の店に連れて行って飲ませたら案の定で、絡み酒になって、どうもエディは安岡力也の系譜にそこでは連なる役割を担っていると作者が感じる場面がありました。まったく本筋と関係ないのですが、面白かった。

エディらが演奏する店の名前が、「ストーミー・マンデー」で、本書とは全く関係ありませんが、こんなところにも狩撫麻礼と思ってしまいました。座敷ぼっこのようだ。今でも普通にあるんですね、こっちは。

以上