『女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇』これから読みます ⇒読了

 装丁 國枝達也 カバー写真 大森裕之 

女たちのアンダーグラウンド――戦後横浜の光と闇

女たちのアンダーグラウンド――戦後横浜の光と闇

  • 作者:山崎 洋子
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 

 やっとというわけでもないですが、読もうかなと。

 以下後報です。明日あたり追記出来ればよいですが。

【後報】

読み終わりましたが、追記するだけの時間がとれず、明後日以降追記します。

(2020/3/11)

【後報】

『天使はブルースを歌う』の20年後に書かれた続編。前作も、亜紀書房から再版されてます。この人の気力はたいしたものだと。本書でも、まだ気力が残ってると書いてますが、ぜんぜんすごいですよ。山崎洋子を読んでみようシリーズ。

寝た子を起こしたのが横浜市で根岸外国人墓地を管理してる部署、健康福祉局というのかな、そこが、神奈川新聞記者が取材に行くにあたって、ヤマザキサンの取材同行を拒否してきたんですね、プロローグによると。どういう瞬間湯沸かし器か分かりませんが、ヤマザキサンは怒髪天を突いて、このような本を一気呵成に書き上げて、有隣堂の本店と西口地下に半年以上平積みして無言のアタックを継続したという……こわいですね女をおこらせると(暴言)おとなしく取材に来てもらえばそれで済んだのに。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

ぜんぜん気がつきませんでしたが、前作の読書感想書いた時に見に行った根岸外国人墓地の、うすれて読めなくなってる表示板も改ざんされてるそうで、1988年ライオンズクラブ横浜市が協議して設置、2000年横浜市が補修の際文面書き換え、2015年ライオンズクラブ側に発覚、何がどう変わったかというと、WWⅡ後に邦人女性とGIの間で生まれた子どもが埋葬、という意味から、WWⅡ後に埋葬された嬰児幼児などは埋葬者名不明が多い、に変わったそうで、不確定要素を除いた書き方になってるそうです。頁10

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20191012/20191012184939.jpg

すいません、どっちみち読めません( ゚Д゚) さらにその後、般若心経に書き換えられてても分からないかと。

怒り心頭に達したヤマザキさんの筆サバキは荒く、まず、前書執筆のきっかけやゴールデンカップスのその後に触れ、その後、横浜開港やらふぉん・しーぼるとの娘やららしゃめんやら赤い靴はいた女の子やら、ハマの女郎と外国人の夜の歴史について、そのおとしごについて、そうでないけれど欧亜混血やらユーラシアンやら、についてどんどん書き進めてゆきます。ひとによっては、この前半の概説部分は、知ってるよそれくらい、ということになるのでしょうが、作者のリライト力というか、知ってる半可通向けに書いてんじゃないわよ、知らない人にすらすら読めるように書いてんのよ、ふざけんなバーカみたいなパワーというのは、たいしたもんだと思います。どうもインターネット以降、パソコンで書く人というのは、こういう概説のリライトは、コピーアンドペーストになってしまう関係上、自分のことばでばりばり頭に入れてから書くということが出来ない気がします。私もURL並べて参照で済めばそれにこしたことないと思ってますし、そういう人間にはこういう文章を書くことは出来ないと思う。

横浜スタジアムのある横浜公園に日本庭園があって、そこの石灯籠は、安政六年横浜開港と同時に誕生した港崎遊郭最大手の妓楼岩亀楼の石灯籠と頁35にあります。今度見てみよう。

tokyo-bay.biz

hamarepo.com

そういう文章と並行して、戦災孤児のくだりで、ヤマザキサンの夫が戦後の食糧難の時代三食カボチャだったのでカボチャ嫌いになったことが頁44にあったりして。私の周りには、さやいんげんばっか食わされてインゲンがダメになった人がいます。山東料理の、インゲンのルースーメンとか食わせられない。さらにまた、頁54で、「関内」の由来を考えると、本来伊勢佐木町なんかは「関外」となるはず、と書いてみたり。頁59、チャブ屋の由来は英国の「チョップハウス」説を紹介してたり。

www.opentable.jp

これがチャブ屋だったら大変ですね。

ja.wikipedia.org

私は金田一少年の事件簿で、青い目は劣性遺伝と訊いていたので、アニメ映画「思い出のマーニー」で青い目のハーフ見て、そんなわけあるかいと思ったのですが、実際私は黒竜江省で、なんぼでもロシア人の血を引く青い目のじいさんやおばはんを見ておりまして、自分がこの肉眼で見たものより、神の雫キバヤシを信用してたんですね。人民服で青い目の黒竜江省の人びとは、髪染めてるに違いない、目が青いなら髪も亜麻色とかそんなんだろうくらいに推測していて。しかし本書頁71に、青い目でチェスナットブラウンの髪の女の子が、居留地在住のイギリス人と、横浜浮世絵師のおんなきょうだいの間に生まれていたとあり、青い目うまれんじゃんと思いました。まあ黒髪ではないので、そこは変わらないですが。その女の子のお兄さんの名前「キンキク」の綴りが分かりません。検索したら、「琴菊」という中国人名が出た。

頁75で、五大続くハマの白人系の人が、幼少時、遠足の学ラン日本人から、「ヘイユー!」「ヤンキー」とか「ジスイズアペン!」Ⓒ荒井注を連呼されたと、下記の本に書いているそうで、私は「パープリン」とかも言ってたかな。「ステューピッド」と言い返されたこともありますが、反省します。子どもは残酷だった。

そして本書はその後、前作を書く際使わなかった、大宅壮一文庫の混血捨て子養育施設に関するマスコミ資料を再利用して、その辺の歴史を語ってゆきます。大和市も鎌倉も出ますよ。この辺、最小のナントカで最大の効果を上げるすべをやはりよく知っておられると思いました。

劇映画 沖縄 | 横浜シネマリン

https://cinemarine.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/okinawa_main300.jpgこの辺から、ハーフの人のインタビュー起こしが縷々挿入されてゆきます。映画「沖縄」って、最近シネマリンだかなんかで再上映された気がします。本書が契機だったのかな。監督にパスポートがおりなくて、沖縄ロケはゲリラ撮影だったそうです。

 カシアス内藤の回想で、ガキ帝国ハマバージョンみたいな時代について、本牧のナポレオン党がどうのとした後、横浜駅西口の朝鮮人グループが最強だったと言っていて、キャシー中島浅野忠信のオカン、石川ジルのツレのサリーという人も同じ意見を述べています。こっちだと、南京町の中国人とするどく対立していたとしてる。西口、あんまコリアンタウンぽくないのですが、どの辺だったんだろう。ムービルの方なのか、ハマボウルの方なのか。あるいはヨドバシカメラ献血ルームの方なのか。下は「ヨーハイ」Yokohama American School.

横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム

 ここから中華街の歴史を、作者が自身の小説と中華街でお世話になった人の名前も交えて進めていき、私は何度行っても、「山手中華学院」という珍妙な呼称が正しいと思い込んでいて、どっちが國府でどっちが中共かすぐ逆にしてしまいます。なんでかな。ヤマザキさんは、放火後のヤケコゲ時代の関帝廟をナマで見たことがある人です。私は再建後。子どもが当たり前のように中国語でやいやいやってるのが、奇跡のように見えた時代を経て、今はなんも珍しくなくなってしまった。你逃课了吗みたいなガキがいつでもゲームやりながらその辺うろうろしている。

 その後のコリアンインタビューは、先のハーフブームの頃の人たちの回想録であった、西口最強グループに関するものがまるでなく、華人たちの回想にある深刻な左右対立の歴史記述もなく、なんかちょっとでした。華人の闘争歴史も、ハマはほんとちゃんと書いてると思います。京都の光華寮事件とか、どこまでちゃんと書かれた記録が残っているのか。

光華寮訴訟 - Wikipedia

その後は黄金町浄化作戦の系譜。いやその前に、ほんらいそこまで手を広げるつもりもなかった沖縄について、フェイスブックとかのつながりで、さいたま在住の沖縄女性がヤマザキさんを訪ねてきて、べらべらアメラジアンがどうのと語って帰ってゆきます。それでひとつ章が増える。黄金町浄化作戦は、作戦に参加した地元有志が熱く歴史を語り、作者が取材した店が、後でそっちからウラとると、取材時言ってたのとはまた違うウラの顔、ぼったとかそういうのが分かったりとかです。黄金町浄化作戦は、ほかにもまとまった歴史本があるでしょうが、ここでも作者のリライト力が光る。

現在の黄金町、アートタウンとしては、カンフル剤なしにはなかなか盛り上がらないが、しかし目を離すとすぐまた前のような人たちが戻ってきてしまうので、盛り上がらないままゲージツ家にいてもらうしかない悩ましい現状が語られます。

で、最後は、こんなこともあろうかと作者は予感していたのか、タイの女性人身売買についてのスタディツアーに参加していて、そのルポです。こうやって日本に来てるんだ~という。私は前世紀、たんなる観光旅行を越えて、こうしたスタディツアー、オルタナティヴツアーがこれからどんどん重要に、そして発展してゆくと勝手に考えていたのですが、ヤマザキサンの参加したツアーも、彼女と女子大生の合計二人しか参加者がおらず、さびしいのうとしています。

最後は大団円で、行政も変わりつつあるのかなというところで終わり、やーよく書かはったと思いました。宮津からハマに来て、そしてこれが集大成。ヤマザキサンの人生。以上

(2020/3/14)

【後報】

在日コリアンのインタビューで、宮本さんという方が登場し、私は在日コリアン通名で「宮本」姓を知りませんでしたので、へーと思いました。自身も横浜出身の新井英樹の『宮本から君へ』の宮本も横浜出身という設定ですが、ほんとにハマの宮本さんを出して来るとは。へー。エレカシとの関係は知りません。

(2020/3/19)