写真提供・マガジンハウス 装幀・レイアウト……澤地真由美
山崎洋子を読んでみようシリーズで読み進めていくうちに、彼女が時代のアイコンとして憧憬を抱いていた?オサレキャラがこの小柳ルミ子「わたしの城下町」やジュリー「危険なふたり」の作詞家で知られる人だったということで読んでみた本。ですが、完全にこの編者にヤラれました。生前刊行した本も図書館に蔵書あったので、そっちを直接読むべきだった。
安田成美とは関係ありません。
近代ナリコ(こだい・なりこ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
巻末に編者による解説と初出一覧があり、初出一覧のページに、「こんにちの観点から見ると差別的」以下略な文言があります。これは例えば、頁232のイスタンブール旅行ヒルトンホテル滞在記(羊肉嫌いな著者の羊肉文化圏旅行)とモロッコ自動車旅行追憶で、「コーランの不気味な大合唱」「みみずの這ったような文字文化(イスラム)圏の僻地」などの文章にハッとする点を指していると思われます。
頁029「はたちのモノローグ」
冬はスキーに何週間も夢中になり、春になるとよくゴルフに行った。夏は、車を飛ばしてメカニックによるスピードなんてものにとりつかれていた。秋には油絵の個展を開いた。その間に、ニーチェだ、フロイトだ、孔子、孟子だとか文学少女もやっていた。
哲学少女、心理学少女、東哲少女ではないかと思います。これをブンガクと言い切るあたりから著者のチカラ、パワーと、彼我のズレを感じ始める。
彼女は先輩から、なぜ絵を描くかというと、美しい女になるためだ、と言われ、感銘を受けます。
頁032「はたちのモノローグ」
そしてわたしは「絵をかく」という部分をいろんなことにおきかえて、そのつど、考えてきた。
「美しい女になるために詩を書く」
「美しい女になるために地中海を見に行く」
「美しい女になるために中国の歴史を調べる」等々。
最後のをやっても美しい女にはならない気瓦斯…いや、うそです。なれますとも。
頁046「フランス語ともう一人の私」
パリジェンヌをするためにはパリ風のいい回しをおぼえなくちゃ。それにはリヨンにいてはダメ。パリっ子とつきあうこと。それも素敵な子と。粋な子と。私はそんな彼等、彼女達から話し言葉を身につけた。
これ、ニューヨーカーから英語を学ぼうとかする人なら、気持ち分かると思います。北京っ子や上海ベイビーの言い回しを覚えたい気持ちはありますが、正直それより田舎の言葉を知りたいと思う私がいます。ただ、『小蓮の恋人』で、農村出身の残留孤児二世が、恋人の公費留学生の父母(文化人、知識分子、書香の家の人)に北京で会って、ことばとは相手を罵倒して屈服するためのものではない、おだやかに交わしあうものだ、とカルチャーギャップから気づかされる場面を思い出しました。セレブとは、こういうことか。
こういう文章が積み上げられているのですが、先に解説を読んでしまったので、すべて水の泡でした。著者の最初のエッセイ集が最初の離婚後であること、編者は好意的に著者の文章を見ていなかったこと、自然食志向なのにヘビースモーカーで死因は肺癌なこと。55歳で逝去するまで彼女は文章を書き続けたが、その十年前までの文章でじゅうぶんと、このアンソロジーには45歳までの文章しか収めていないこと。
解説
新しい分野に女性が踏み込んでいくとによくみられることだが、既成の方法には無頓着に私流で押し切ってしまう行き方で、安井の自らの歌の世界を築きあげたのだろう。
内田春菊の初期作品は、フキダシの中のセリフの改行がデタラメというか、センテンスごとに改行されてないですが、こういう理由なのかと。
編者の罠に嵌ったのか、初めて読むズズの人は、金井美恵子か森茉莉か中勘助か、という感じになってしまい、これの何処がファッションアイコンやねーん、と思う結果に終わってしまいました。こんなにおいしいゴハン追求してる人が愛煙家って、ホンマかいな。
編者のぶった切り方が凄いので、著者より編者に興味がわきまして、これから少し読んでみます。以上
【後報】
しかしほんとにまあ、今なら益若つばさみたいな人なんだろうかと思いながら紐解きましたが、こりゃ違うだろうと。フェリスとかよく分かりません。
(2019/10/22)