庭園の紅葉の向こうに楽天本社。
五島美術館 ふと気がつくと、十二月ようかまでで、もう終わりそうだったので、行きました。
庭園の眺望のよいところから望んだ楽天本社。
トランジションとシンクロニシティーの違いが分かってませんでしたので、途中まで勘違いしながら見た気がします。東アジア各地で近世に同時発生した美意識の相似とか伝播かと思った。最初に第二展示室から見ました。中国宋代に始まった銅活字が、文永の役だか弘安の役の後朝鮮経由で日本に伝わり、それまで日本は書写主流で、印刷版本はあっても、頁ごとの一枚木版刷だったのですが、銅を木に置き換えて、木活字として印刷した書籍が登場し、一時期隆盛しそうに見えたが、(展示では書いてませんが)たぶんかな文字の多さとくずし字をどう表現するかと、あと木の活字は金属でないので、すぐ欠けたりへたったりしたろうので、それらがネックだったのか、やはり廃れて、江戸時代の、頁ごと一枚彫りの木版に戻ったということです。
その次に、日本では北ベトナム、コーチシナを指す「交趾コヲチ」と読んでいた焼き物の展示があり、コーチと呼びながら実は中国漳州窯からの輸入だったとか。カボチャはカンボジアから来てないのに南瓜とか、ジャガイモはじゃがたらから来てないのに馬鈴薯とか、さつまいもは鹿児島では唐芋(からいも)とか、そういう系列の話かなと。
次が布地やその模様の展示で、この時代が麻から木綿への転換期だったとか。家康晩年の寝間着が白地の藍染絞り染めだったり、小早川秀秋のは、まー見ましたという感じですが、輸入した布地の端切れで、当時の安土桃山人がパターン集みたいのを作っていて、そこには、ジャワ更紗のバティックみたいな模様とか、インド綿のインド人が好きな模様とかがバンバン並んでました。
陶器の絵で、小さな"v"を並べて、v v v v v v v v にして、それを草に見立てるのが、西洋いうところの過渡様式、トランジショナル様式と言うんだそうです。ここで、ポスターにも載ってる、愛知県陶磁美術館(個人寄贈)の景徳鎮青花人物図瓶が出ます。五島美術館は館蔵がたくさんあって、企画展も館蔵品をコンセプトにあわせて抽出したものが多いように思っていたので(単なる思い込みかもしれません)、今回他からの借り出しが多くて、学芸員、キュレーターがやってみたかったのかと思いました。意欲的な試み。
漆塗りの木器では、中国では別の呼び方をしていた模様が、日本では、ぐりぐりしてる感じなので、「屈輪」と書いて「ぐり」と読み、屈輪文(ぐりもん)と読んでるのが面白かったです。オノマトペの国。
書画では、今回の展示の「過渡期」のもうひとつの意味が語られ、中國に於ける明の滅亡と清の大陸支配という、東アジア全体を揺るがした一大イベントにより、明に殉じて自裁した黄道周や倪元璐、野に下って道士となった傅山(こういう人を「明の遺臣」と呼ぶそうで)明清二朝に仕えたので「変節漢」と呼ばれた王鐸らの筆が並んで展示されていました。思想や行動、その人の人生、生き様が、その字その芸術とどう関連するか、それぞれの書の違いが分かろうハズもなく、チンプンカンプンでしたので、販売コーナーに二玄社の中国書法家シリーズがあったので、傅山と王鐸の巻をそれぞれ立ち読みしましたが、傅山の巻では、王鐸は努力の人だが傅山は天才肌として傅山を持ち上げ、王鐸の巻では、傅山はクセがあって万人受けしないが王鐸はフラットなので受け入れやすいと王鐸を持ち上げ、って感じで、ようするに玉虫色でした。
上野毛の環八沿いで見かけためだか。
この庭園のみちしるべ、東は江戸なので簡単に読め、南も、最後の、大坂のあとの二文字以外は読めたのですが、ひらがなのくずし字の分からないかなしさ、簡単なはずの北と西がさっぱり分かりませんでした。西は、補陀落浄土で「すくえん了」なんでしょうか。マサカ。
展示の目玉品、クルス文の螺鈿については、ルイ・ヴィトンに至る過渡期ではないとしか言えないです。
花唐草七曜卍花クルス文螺鈿箱 | MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART
以上です。おしマイケル。