装丁画:ⒸTsering Döndrub(著者と同姓同名の別人で、ソルタンジャ映画の美術担当だとか)表紙が雌で裏表紙が雄の野生のヤク(ドンと云うらしい)の絵。装丁:志岐デザイン事務所(萩原 陸)いつか読んでこます本リストの本。何処かの書評で読んだか、東方書店のメールニュースで見たか。図書館リクエストしようと思ってずっとそのままでしたが、コロナでいろいろ行けない時に、ボーツー先生特集のユリイカ増刊といっしょに紀伊国屋ウェブサイトで買いました。
上が翻訳者たちの公式サイト。いや、しかし、作者の経歴と、この顔写真。私は私の人生の中でかなり狼狽しています。人の名前を覚えては忘れる人生だったことを、かなり後悔というか、いかんともしがたいというか。
何故か中文と英仏でリンクがない作者のウィキペディア。作者の故郷の河南蒙古族自治県というのは、なんかどっかの親王が封ぜられたとこだったですが、その後忘れられて周囲のチベット文化圏に同化してって、しかしテントのかたちが、チベットは黒い四角のゲルなのに、ここだけ白の丸いパオで、なんかそれで後世再発見され、あんたたちはモンゴル人なんだよ、だからゲルでなくパオなんだ、ほーそうですかい、みたいな話だったと記憶してますが、違うかもしれない。
ええとですね、それで、翻訳者集団はまあそこまで言及せんでもよかろと思ったのでしょうが、下記の本などで知られる熱狂的なチベットサポーター、イシハマ先生の研究分野がここ、青海ホショト部だかホシュト部だかだったはず。
表題作は表紙と裏表紙にチベット語で書いてあるので、それをいっしょうけんめいPRC版のチベット語で打ち込みました。ཝ་ནག་ལུང་བ། だって作者のウィキペディアに作品のチベット語タイトルが書いてないからコピれなくて。訳者代表星泉のあとがきに全収録作品のチベット語現代のアルファベット転写が書いてあるので、それをワイリー方式で入力すれば出ると思ったのですが、「黒狐の谷」の原題アルファベット表記"wa nag lung ba"をティセで打って出るのが ཝ་ནྒ་ལུནག་བ で、「ちがーう!」と頭を抱えてしまい、これ以上やるのも精神衛生上悪いので、ほかの収録作品の原題はチベット語表記分からないままです。
帯は見返しと同じ色、同じ紙です。仕事してる。
本書はほんとに看板に偽りなしで、ベンセー粛々がネトウヨとかそういうのいいからって感じで、「チベット文学の神髄、ここにあり!」は伊達ではないです。VIIVの頃から習近平前夜までの、各時代ごとに発表された作品、チベット語で発表してれば躱せた時代から、漢語がチベット口語会話に流入する現状を反映せざるを得なくなった作品、漢語でオーダーに応えて書いてから自身の手で藏語訳した作品。少なくとも、アムドの黄南と、ゴロについては、どんなに神髄と言っても、口が腐ることはないと思います。神髄でなかったら、隆務寺を燃やすと誓ってもいい。
「幸福生態村」とかいうと、華氏451とかソイレントグリーンみたいな中国型管理社会with街頭監視カメラを連想すると思いますが、読んでのお楽しみだと思います。ただ、この巻末作品に至るまでの作品のほうが何百倍もおもしろい。巻末の表題作は、ペシミスティックで、漢族の農村を描いた作品にも共通する、悲哀を描くのは分かるけど、描いても描いても変わらないじゃん、その辺の無力感どう昇華してるの? という感想がむくむくと頭をもたげてきてしまいます。それだけ、社会の貧困層という面で、少数民族と漢族の底辺社会が共通化というか、同化がこれだけ進んで、同じ「気分」を感じるようになってるのだろうかと感じます。
この黒いのが死の灰で、核実験の影響とかいうオチだったら本編は中华人民共和国で発表出来てませんので、そういうオチではないことが分かると思います。マーモット、関係ありませんが、ペストがあるんですね。おいしいって聞いてたけど、そうなのか。
左はカバーをとった本書の表紙。いっけん、藏語の本にしか見えないのに、手に取ってぱらぱらめくると、簡体字でない漢字と、「の」などの文字が見え、《你果然是小日本的间谍!!!》と半狂乱になった民警が牛追いスタンガンであなたをビシ!バシ!… ということはないと思います。右は裏表紙の雄の野生のヤク、ドン。訳者集団公式の本書紹介ページにも裏表紙の画像はあるので、撮らなくてもよかったかなと少し考える。
作者の出身地は本書あとがきでは河南ではなくソクゾンとチベット語で書かれ、「ソク」はモンゴルで、「ゾン」は県の意味だよと書いてあります。よくブータンの本を読んで、ブータンの行政単位が「ゾン」であることを頭の隅で覚えてる人は多いと思います。そういう人が本書を読むと、ははーんとなる。で、覚えておきたいのは、ここのモンゴル人は半ばチベットに同化して、テントの形式や伝承で周囲のチベットと「ちがう」と認識されてる存在ですが、青海省にはツァイダム盆地から西、海西と呼ばれる広い地域(都蘭など)に青海モンゴルといわれる人たちが住んでいて、彼らはふつうにモンゴルです。漢族に同化している人もふつうに漢族に同化したモンゴル。ウランバートルやフフホト、ブリヤートなんかとは、方言差はあれど、モンゴル語で話が出来る人たち。それから、西寧の近くの、互助とか民和とかには、土族という名称だけれども自称が「モンガル」で、モンゴル系なんだけれども農耕してて纏足の習慣もあるからモンゴルでないと民族定義された人々もいます。ほとんど漢族に言語的に同化してる気もしますが、現地通でないので、分かりません。
甘粛省のほうの保安族や東郷族もモンゴル系だった気がしますが、何がちがうのか知りません。そういう人たちと、「ソクゾン」の、ゴロ的環境の中で、ゲルがパオなだけのモンゴル人は違うということを覚えておきたい。黄南には、ほかにもそうした同化モンゴル人の隠れ部落が以下略
<以下各作品>
『地獄堕ち』dmangs rabs tu dga' ba'i zlos gar「民間文芸」1995(共訳)
巻頭を飾るにふさわしいジャブの連続攻撃。読者はノックアウトされること請け合い。笑いのるつぼの狂躁曲。
頁027
俱生神の陳述が終わるや否や、常隨魔が手をぴんと挙げ、「先ほど被告人は自ら『私は表向きこそ唯物論者ではありますが、本当のことを申せば一心に仏教を信じてきました』と証言しました。みなさまご承知の通り、地獄界刑法によれば、閻魔の法廷においてはどの宗教を信じているのか信じていないか、あるいはどの政党の党員であるかについて干渉することはないのです。むしろ大切なことは、自らの宗教なり思想信条なりに対して忠実であったかどうかなのです。さて被告のロブザン・ジャンツォは一切の宗教を信じない共産党員でありながら密かに宗教活動を行っており、これぞまさに党に対する面従腹背であります。このことからも、この男が信頼の置けない罪人であることがはっきりわかるというものです。
私はこの、「党に対する面従腹背」のところでまず大爆笑しました。チベット人が、生きるため嘘も方便で入党申請するのはごく普通のことですし、それがけっこう狭き門なのは中国のイケズですが、入党が前提の人民解放軍入隊後、口が軽いのでクビになるチベット人が毎年何人かいる話とか思い出してしまい、ゲラゲラ大爆笑です。ロブザンは、地獄の閻魔におべんちゃらですり寄ったにすぎないのに、宗教はアヘンだと誓っているなら貫徹しなさいよと逆に地獄で糾弾されてしまうという…
そのすぐ次の箇所に、ロブザンが還俗した(色に迷ってのことだが、本人は解放後、しかたなく還俗させられたと主張)年が1948年であり、彼の故郷が解放されたのは1950年なので、本人の「解放後」証言が嘘八百なのは明々白々、とあり、確かに下記の本でも、青海省は1949年10月までにすべてが解放されたわけではないので(一部は解放後もひんぴんと反乱を起こしてたびたび平定されている)下記の本の読書感想も書きかけなので、はよ書かな、と思いました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
改革開放後は官職を利用して公金で各地の僧院を訪れ、その予算も大きくワクをとって差額を着服したとあります。チベットやモンゴルの僧院を旅行してると、すっごく態度が大柄な地元の人っぽいのに出っくわすので、さてはそういう人の中にはこういう手合いがいたんだなと回想します。彼らがえらそうなのは、こっちを無信心と思っていて、無信心者カスと思ってるのと、世俗の権威である彼=官吏にこっちが無関心なので、敬意払えよとイキってるからです。訳者解説によると、本編はケサル王の逸話のひとつのパロディだそうで、閻魔が「これはまったく大きな問題だな」と言ってみたり、ロブザン逝去の報を聞いて駆け付けた神通力を持つ高僧(これがどの話にも登場するアラク・ドン。アラクは高僧、ドンは野生のヤクを意味するそうで、実在のモデルがいないとはっきり言うためこういう荒唐無稽な名前にしたと解説に書いてありました)に「話し合ってみようじゃないか」と言ってみたり、言うことがいちいち地方干部で、読みながらにやにやにやにやしました。文革中は小便をのまさせられた相手(ロブザン)を想うアラク・ドンのいたわりと友愛にうたれた閻魔はロブザンを現世に戻すのですが、アラク・ドンの目的は、親族の化身ラマ(私は古い人間なので、転生ラマと呼んでました)の党もしくは政府による認定のためだったという…
頁040「僧に従うのではない、ラマに従うべきなのだ」という漢人のことわざの原文を知りたいと思いました。
中央の批判は出来ませんが、地方幹部の腐敗、貪官汚吏ならこれくらいの風刺は許されるという、まさに潮目を読む力も正しく発揮された逸品で、どらどらと読み始めた読者を魅了するに足る、摑みはオーケー的作品でした。
『ツェチュ河は密かに微笑む』rtse chus khrel dgod byed bzhim「青海民間文芸」1988(三浦順子訳)
これもアラク・ドンの話。アラク・ドンが明々白々に架空の存在であると分かる名前だとすると、ツェジョン寺院、ツェジョン県、タクナク生産大隊も仮名かなあと思うですが、ツェチュ河は「澤曲河」という、どっかの山の中から発して、ぐねぐね曲がって、作者の故郷も通って黄河に合流する河と思われますので、ツェジョンという地名もありそうな名前だし、ゼコとかそのへんなのかなあと思いました。ナクマ(黒土)山というのが判ればな。納莫卡特曲という地名は山でしょうか。
年頃の娘がオッサンのところへのお使いを嫌がるには理由があるという話。この子がどういう戸籍になったか書いてませんが、たぶん両親(実体としてはその子の祖父母になるのか)の年の離れた恥かきっ子の弟ということにして、二人目に払う金を払うのではないかと。ヘイハイズにしてしまうよりは、ありそうなやり方。
あと、私はジュクンドォで歯医者にかかったことがあり、標高が高いのが歯にきたらしく、ずっとタバコスパスパやってたが、どうにもならないので、牙科の看板のある借家のあたりをうろついて、最初のテントは、チベット文字も書いてあって、遊牧民が見てもらってたのですが、ヤギヒゲの大夫に《没事没事,把你牙的虫子我杀掉。》といわれたので、速攻《我再来!》と逃げ出して、別の、浙江省だか江蘇省だかから流れてきた青年歯科医の診療所に行きました。《我相信你是日本人,我没看过这么好的治疗。》みたいなこと治療痕見て言われたかなあ。今なら言わないと思いますが。
『黒い疾風(はやて)』rlang nag 'tshub ma「チベット文芸」1997(星泉訳)
疾風と書いてはやてと読ませるのは、訳者がザブングル世代だからか(たぶんちがいます)血沸き肉躍る復讐譚。ラブランの門前街が武器をいっぱい売ってたというのは、有る話だと思います。私も、人民解放軍払い下げの銃剣がズラリと並んだの見たことがある。その後は、強力な規制が入ったのか、ショーケースからそれらの品々は一掃されてましたが。言えば出て来たかも。最初に見かけた時、この刃渡りだと日本では銃刀法に触れるので、持ち帰れないと断念したのを、今後悔してます。まあ持ち帰ってもx線で見破られて税関で没収されたでしょうが。その前の飛行機持ち込みについては、船で帰ったので。
オンマニペメフムを「オンマニペメフン」と書いてるのですが、さいきんはそう書くのだとウィキペディアを検索して知りました。
ཨོཾ་མ་ཎི་པ་དྨེ་ཧཱུྃ། - Wikipedia
のちに中華民國サウジアラビア大使になった、回教軍閥馬歩芳の軍勢が出ます。でもガンバン麵やポジョン麵を食べたり、モモ(ビンズ)を焼く場面が出るわけでもない。ゴロは商業的には回教徒ネットワークに握られていたと、中公新書『回教から見た中国』に書いてあり、実際にゴロクの人からもそんな話を聞いたことがあるのですが、そういう描写もないです。黄南では回族やサラール族はよそものというか、緊張状態だったからか、作者は回族をほとんど書いてません。書き割り程度の描写にとどめています。
ターラー菩薩が分からないので検索しましたが、ドルマのことなのか。
『月の話』zla ba'i gtam rgyud「青海チベット語新聞」1996(海老原志穂訳)
むかし、チベット語って、近代的な語彙、科学用語の翻訳とかどうしてるの、と聞き、いちおう訳はあって、テレビのチベット語ニュースなんかそれを言ってるが、普及してないのでいきなり聞いても分からない、と聞いたことがあります。また別の機会ですが、亡命社会では、科学のことばなどそのまま英語を外来語として取り入れてると聞いたこともあります。モーターカーがそのままチベット語に入ってるのは、エクスプレスチベット語にも例文があったような気瓦斯。トラックヒッチするから、必須用語として。あと、日本人のことも、漢語のリーベンレン由来のリビンネーインでなく、英語の分かる所では、ジャパンネーインと呼ぶやり方もあると聞きました。カトマンドゥーの亡命者学校の前通った時、偶然児童と会話して、ナウワットアーユースタディングと聞いたら、"Math."と竹を割ったように答えられた記憶があります。これを「マス」と書くと、"th"の発音が抜けてしまい、味わいが変わってしまう。
というような過去の会話が走馬灯のようによみがえる、「核兵器」「地軸」「南極」「宇宙ステーション」「レーザー」「ロボット」などの単語が次々と登場する話。そういう単語を使って小説書いてみろと挑発されたとしたら、あー誰がそんなこと言って回ってたんだよという。
『世の習い』spyi 'gros shig「ダンチャル」2000(大川謙作訳)
ここから「ダンチャル」という文芸誌に掲載された作品が登場します。「ダンチャル」という文芸誌は、知らないので検索しました。下記によると、アルファベットで表記すると、"Sbrang char"となるそうで、チベット文字で書かれた表紙の画像もあります。
東京外国語大学附属図書館第17回特別展示「旅するチベット語―縁は異なもの文字は乗り物」平成28年11月21日(月)ー12月26日(月)会場:東京外国語大学附属図書館2階ギャラリー
http://www.tufs.ac.jp/common/library/guide/shokai/tenji17.pdf#page=12
チベット語で書くと སྦྲང་ཆར། 西寧で出してる(出してた?)そうで。
下の小説『ブムキャプ』に登場する、タシデレの漢語訛り《扎西德勒》(ジャシデレ)と同じ音韻法則に則って、「ダンチャル」は漢語では《章恰尔》(ジャンチャル、捲舌音が訛るとザンチャル)と書くようです。青海民族出版社公式サイトに、2009年から2014年までの表紙や奥付がアップされていて、そこで確認しました。
མཚོ་སྔོན་མི་རིགས་དཔེ་སྐྲུན་ཁང་།
2014年以降がアップされてないので、はたして刊行されてるのかしらんと思いました。下の『あるエイズ・ボランティアの手記』が2016年度掲載なので、2016年も刊行されてるってことだと思いますが、なにしろキンペーちゃんはチビシーので。
この作品も実験的作品で、『月の話』がカルヴィーノのチベット版だとすると、こっちはラテンアメリカっぽくやってみた、というところ。解説によると、ふつうのチベット人公務員作家は、一作発表すると、承認欲求が満たされて、以後書かなくなるそうで、しかし作者がずっと書き続けたのは、こうした、世界の中のチベット人作家という視点を失わず、たえずタスクを自分に課していたからではないかと思います。
『ラロ』ra lo「ダンチャル」1991(11章まで共訳、12章以降三浦順子訳)
上記翻訳者集団ブログに、初出時のイラストが載っています。阿Q的作品というレッテルで済ましてしまうわけにはいかない、この短編集の核を成す、最高最大の作品と思います。作者の同級生の実話と云う点がほんと、素晴らしい。シラミの描写だけで、翻訳者集団に深刻な影響を与え、下記のようなウェブコラムを生んでしまった。今はシラミを殺すDDTも安易に手に入るわけではないし(ケジラミを殺すスミスリンシャンプーは埃をかぶったのを薬局で見たことあります)旅行に行ってうつされると困りますね。チベット好き女性はロングが多い印象があり、余計大変だと思う。
でも実際よくくわれるのは南京虫だと思います。シガツェでラマの寝たベッドに寝たら速攻やられた。まあ香港の日本人御用達ドミトリーにもいますし、私は吉林でもやられたことありますが。
何処の国の農村にも、ちょっと足りないけど怪力で、意外と実務はうまいのだが、芯から土性骨が腐っているので、少しでも安定するとすぐ怠けだすアホウがいるもので、近世社会、近代社会というのはこういう人が村落共同体からはみ出たところで都市のヤクザや半グレや黒社会が面倒みて、気が付くと川に浮かぶ土左衛門にして成り立っているものですが、漢蔵二重社会のチベット側だと、こういう感じになるのかという素晴らしい小説。
チベットの男女関係はユルいので、やさしいところもある力持ちは、ほかの欠落を補って余りあると女性からみなされることもあり、いろいろあるところも、漢族の農村小説とはちがうところ。魔術的リアリズムと嫉妬で構成する必要がない。
初出は1991ですが、第12章によると、11章までは1988年に書き上げたそうで、第12章以降は、1992年以降に上梓とのこと。「ダンチャル」編集部と読者から続編を望む声が多く、その後のラロはこんな人物になっていた、はどうかというアイデア(大富豪その他)も多数あったそうですが、少数民族文化人によくある話として、作者が県の拘置所に密告かなんかで(冤罪だそうで)拘留された折、本人に再会して、それでその後を追尾出来たそうです。でもそれは巡礼とその結末までで、放牧地の権利にまつわる老後は、ほかの人の話を混ぜてるかも。ラロは刑務所内でもおさげ髪をしていて、そこにシラミがおぞましくびっしり、タマゴもびっしりという描写があり、西寧の刑務所だったら丸ハゲに剃られるはずなので、これは省都西寧まで送られてないなと思いました。県城なんだろうなと。西寧でないので、石灰を採ったりの作業に従事してアスベストでどうとかにならなくてヨカッタデスネ。塀の上に銃持った歩哨が立ってる刑務所とかやでしょ。
ビャクシンが祈祷に使われると知りました。今度燃やしてみよう。チベットっぽいにおいになるでしょうか。
黒人女のように尻が盛り上がった看守がいて、「マニでっ尻」というあだ名をつけられるのですが、作者周辺に、黒人ポルノを持ち込む人間がいたんだろうかと思いました。あまり中国で見ないですよね、黒人ポルノ。それで投獄されたのだろうか。
張ツェテンという、漢蔵混血の犯罪者が、藏語は簡単な聞き取りくらいしか出来ないので、もっぱら漢語で話して、主人公がそれをラロに通訳するという展開も面白いです。だいたい自慢話とエロ話。
作者の拘置所内の食事は、家族からの差し入れの羊肉のみっちり入った饼子(本書の訳語では饅頭)で、これはたぶん平たいだろうと思いました。この話だったか別の話だったか、ラブランのパンはうまいという描写があり、どういった種無しパンのことを言ってるのだろうと思いました。回族商人の商品だと思うのですが。
ラロの子どものくだりは、悲しいです。サムイェかあ。サキャとか、カイラスまで足を延ばしてたら、そういう目にもあわなかったのだろうか。
この話にはよくミルク茶が出るのですが、インドやネパールのようなミルクティーがあるのは、インドやネパールに近いウー、ツァン地方で、アムドにはミルクティーないと思ってたので意外でした。で、頁201に、ミルク茶を魔法瓶で持ってきたはずなのですが、茶碗にバターを入れてからお茶をいれる描写があり、いやーそれはないだろうと思いました。ミルクティーにバターをさらに入れて、あまじょっぱいバターミルク茶を作るなんて話、聞いたことがないですが、私はチベットを馬で行ったこともないですし、分かりません。原文を訳す際になんかあって、チェック漏れだと思うのですが、どうか。ミルク茶にバター入れるのかなあ~~~~。
『復讐』dgra sha len pa「民間文芸」2005(星泉訳)
星新一のショートショートといっても通用するような、抑えの効いたムダのない話。字数制限があったかどうかは知りません。
『兄弟』gcen gcung「青海チベット語新聞」2008(星泉訳)
「マチュ河下流域のゾルゴン村」を調べようとしましたが、アバの草原の美しい写真にやられて、何も調べられませんでした。ゾルゲは昔行ったことがあるのですが、写真ぜんぶ捨ててしまいました。もったいないことをした。
放牧地をめぐる村同士の争いの話で、歴史的につながってるが、省をまたいだ地域というので、この辺かしらと思いました。下流の農村人口が増大で追われるというのは、どの辺の話なのかとも思いました。見てたら、ナラモシという、各民族のモザイク村が近くに見えたので、貼っておきます。
『美僧』btsun yag「ダンチャル」2003(海老原志穂訳)
酒に溺れる若い美貌の破戒僧の話で、娼婦の部屋に転がり込んでるところで、もうキャラが立ったと思いました。プロットもすごい。盗賊村との戒闘があるってのは、ゴロならありそうにも思いますし、さすがにここまで死人が出るような銃撃戦が頻繁にあるってのはないでしょとも思いました。で、性におおらかなチベット人でも、21世紀だと、都市に娼館がある時代になったのかなあとも思いました。四川省の、セルタや九寨溝の近くで、漢人旅行客が大挙してる地域で、チベット人社会だけを描いてるので、客がインビジブルなのかとも思いました。チベット人社会なので、僧侶が僧衣のまま泥酔してゲロまみれだといろいろリアクションがあるのですが、漢人はラマが千鳥足で歩いてもノーマターな気がします。だいたい飲む酒だって中国の白酒やビールだろうし。チャンはウー、ツァンに行かないとないんじゃいかな。と勝手に書きます。
インドで日本のキャバ嬢がキャバクラ始めるエッセーまんがで、現地で募集に応募してきたのがチベタンだけで、実際にチベタンの接客で店始めたのを思い出しました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
『一回の真言』ma Ni gcig「青海チベット語新聞」1996(共訳)
カルマとかバルドという、いかにもチベットな単語が飛び交う話。1996年発表なのにパソコンやインターネットが出るのは、西寧で海賊版のインディペンデント・デイや、CGのテレサ・テンがくるくる回るVCDを見るような人たちと交流があったのかもしれません。まだWindows98も出てない。例の、マニが書いてあるCD(在米チベット人社会から広まったとも)が一回転すると、一回真言を唱えたのと同じ効果があって、で、CDの回転数をもってすれば、の話を思い出しました。
CD再生の際の回転速度は、一秒につき、もしくは1分間につきど... - Yahoo!知恵袋
『D村騒動記』D sde ba'i klan ka「ダンチャル」1988(共訳)
改革開放後、競うように再建される寺院を見て、民族経済の勃興より寺院再建を優先させるとは、なんてチベット人は信仰があついんだと思ってましたが、そんなノー天気な話はなくて、やっぱ地域社会では重荷だったという話。そんでまた再建する寺院に行って宮大工を見ると、漢語をくっちゃべってる浙江省あたりから来てる漢人だったりするのがまたご愛嬌。解説によると、自身の手で1990年に漢語版が漢語文芸誌「青海湖」に発表されたそう。もやもや病みたいなチベット人は、文明との衝突で、この頃もときどきあったのだと思います。中国の高額医療は行政による補助がないので、西寧の省病院の西洋医学のほうでCTスキャンを一回とると、1990年代で数千元の実費になってしまい、チベット人に限らずですが、家族はたいへんだったはず。
『河曲馬』rma khug gyi ling「西藏文学」2013(星泉訳)
解説によると、テレビドラマのための脚本が最初で、それの漢語版ノベライゼーションが先に「西藏文学」に掲載され、それからチベット語版が2014年に書かれ、邦訳は両方参照したとか。本書収録の小説の中で、二番目に新しく、それだけに、同化圧力もそれだけ強まってる現状がひしひしと感じられ、胸が痛いです。と同時に、漢人にも読ませる話に仕上げる必要があり、小説読むような漢人は悲観主義者なので、少数民族がホロン部じたいはいいのですが、まあまあ中国は各民族に対し公正であるっぽい記述が入ってます。
この話で初めて冬虫夏草が出るので、漢族が好きそうなネタとして冬虫夏草出したのだろう、もう出まいと思ったのですが、この次の話と巻末の話でも出ます。雨季の草原で目を皿のようにして拾いまくる。あと、ホテル経営って、やっぱいい加減なのかなと思いました。スマホ予約で点数つけられる現在では、このような商売では通じない気もします。
頁294
ゴンポキャプはガフキのスマートフォンを見てすっかり興奮してまくしたてた。「父さんが買ってくれると約束した手機ショウチー(携帯電話)はこういうのだよ。うちの班パン(クラス)じゃみんなこういう手機ショウチーを持ってるんだ。これってすごいんだぜ。上網シャンワン(インターネット)もできるし、写真も撮れるんだ。それにチベット語も書けるし、チベット語で信息シンシー(メッセージ)を発ファ(送ること)できるんだよ。他にも功能コンヌン(機能)がたくさんあるし、遊戯ヨウシー(ゲーム)だってたくさんある」
残念なことにゴンポキャプが使った漢語の単語は家の人たちには誰も理解できなかった。
これと似たような漢語ないまぜトークは、映画「ラサへの歩き方」でも見ました。漢語で発表した小説だからこうしてるのかと思ったら、巻末の作品でも同じ手を使ってます。個人的には、清音濁音は有気音無気音にあらずルールのカタカナは好きじゃないので、ショウジー、ゴンノン、バンと書いてほしかった。東外大はこのルールなんですね。麗澤大とかだとどうなんだろう。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
オチをどういう悲劇にするかは、マルチでいろいろ並行して進み、悲劇は悲劇だけれども、どの悲劇か予測不可能にしています。泥棒が多いのは、ゴロだからとしか。
『鼻輪』sna gcu「ダンチャル」2008(星泉訳)
ギャンブル依存とイネーブラーの話。依存症は都市の病ですが、尻を拭く村落共同体の「講」という視座は、今までない気がします。フィリピンやタイでとっくに題材になってなければいけない視座。ベトナムでもいいけど、ベトナムの小説はギャンブル題材に出来ないかも。麻雀でそこまで行くかという疑問は少しあります。書いてないだけで、漢族の麻雀店に出入りしていいように食われるチベット人、という図式で見たほうがいいのかも。そうでもしないと、ほかの三人と店が組んでのかっぱぎ方がどうにも。良心の呵責とかどうなんだと。民族の軋轢があれば、その辺ヘイトでかっぱぎに行けそうに思います。開放されてたころのラサのゲストハウスで卓を囲むチベット人を見たことのある人だと、そういうふうには考えそうもないですが。
『親の介護をした最後の人』ches mjug mtha'i pha ma snyor skyong byed mkhan「青海チベット語新聞」2009(海老原志穂訳)
これもSFというか未来ものというか安倍公房というか。日本はこういう短編を書けなくなって久しいと思います。ネットで発散してしまうからか。
『あるエイズ・ボランティアの手記』e 'gog rang 'dun pa zhig gi zin thun「ダンチャル」2016(大川謙作訳)
収録作でいちばん新しい作品。性にユルいチベットでは当然エイズに警鐘を鳴らさなければならないという。梅棹忠夫の回想のモンゴルなんかで出てきたと思いますが、ラマ僧が新婚女性に対する初夜権を持ち、そのラマ僧に梅毒持ちが多かったので人口が減少するところまで行ってしまった、モンゴルの件はそう古い話でもないはず。中国でエイズについて発信するには慎重である必要があると思いますので、解説によると、綿密に取材した上でフィクション形式で仕上げたとか。四川省の漢族?に便宜を図った小役人が、接待で連れてかれた店で東北の娘とゴムなしでやって六年後という展開。
『ブムキャプ』'bum skyabs「ダンチャル」2009(三浦順子訳)
これも漢語混じりのせりふが出ますが、子どものせりふでなく、いい年こいた大人です。 བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགསタシデレの漢語なまりとか、電話ディエンホア、畜牧局シームージュー、草原站ツァオユェンジャン(草原センター)、報告バオガオ、桔子ジュズ(オレンジジュース)、鞋油シエヨウ(靴墨)、感冒ガンマオ、秘書ミーシュー、檔案ダンアン(人事記録)、推荐トゥイジェン(推薦)、etc.
書き写して気付きましたが、ここのカタカナは清音濁音は有気音無気音に非ずルールではないです。星泉と三浦順子で別ルールなのか。今、「とうあん」で〈档案〉という簡体字が一発変換出来たのに驚きました。いつの時代も、どこかで日中の漢字は混用が始まる。「いほう」では本書のとおり「彙報」が出ます。簡体字〈汇报〉(報告書)は出ない。上の、推薦は、〈荐〉という字が「薦」の簡体字でありながらおこもさんのこもとしても使う字なので、どう扱ったもんだか、寝不足でそのまんまにしてる気がします。
この話は、巻頭の話のロブザン・ジャンツォの妻の文化局長(非識字者)を男性にして引き延ばしたような話で、これは少数民族の話ですが、漢族になるとコロナ流出研究所だったりするからこわいです。主人公は〈厅〉のはっちょんがうまくないそうで、原文だとどう書いてるんだろう。致命的なんですが、〈车〉のはっちょんがうまく出来ないので、バスを降りる際漢族の車掌や運転手、乗客たちから爆笑された牧地のじいさんを思い出します。あれまさに作者の故郷方面に向かうバスだった。日本人も〈车〉のはっちょんは苦手。子どもはチベット語の民族学校でなく漢語を使う普通科に行かせるくだりで、一人称の語り部もそうしてるとありましたが、これ、作者のことなのかと思ってしまいましたが、たぶん、小説中の別の地方政府の人間の一人称なんだろうと。
あと、ラロにも出ますが、漢族姓+チベタンネームがぽこぽこ出ます。ラロのは極道犯罪者でしたが、こっちは地方幹部。漢姓を持つチベット人は、名前も漢名だと思っていたので(どこぞの青海省サイト管理の人とか)意外でした。
『黒狐の谷』wa nag lung ba「ダンチャル」2012(共訳)
遊牧民定住化政策の現実を鋭く描く、と言ってしまえば一言ですが、便器だけ置いて排水管につながってないのでおまるとしてしか利用出来ないとか、日干し煉瓦ならぬコンクリブロックをセメントでなく土でつないだ壁なので、雨季でも倒壊水漏れ、地震でも以下略という、中央を批判したらいけんが、地方はいくらでも批判出来る、にしてもヒドいわな事実とすればと思いました。精悍なチベット犬もつながなければならず、そうなるとすぐ盗まれちゃうし(食われたかどうかは書いてません、中国もペットブームだし)草原で使ってた民具はすぐ小道具屋がよってきて、二束三文で買い叩いて、多分古美術商が海外などに転売するんでしょうと。京都のタイ料理店が副業でやってた、こじゃれた四条のインテリアショップなどに、タイ北部農村のブタのエサ入れの木箱を、アンティークな園芸用品として卸してた商売を思い出します。
https://core.ac.uk/download/pdf/97062503.pdf
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「経典に誓ってもいいが、実は俺は茶髪女が怖いんだ」
この茶髪女が手抜き建設住宅の責任者の役人で、気が強いのはもちろんですが、チベット人のよく使うとされる、「~に誓って」という言い方で、畏怖を表現する言い回しがあるとは知りませんでした。漢訳だと、《我可以发誓,其实,我很怕那个棕色头发的丫头。》でしょうか。漢語だと、〈臭B〉とかもっといろいろ言いそうな気がします。
ここまで感想。
各話チベット語タイトルは、原書を見れば分かると思います。あとがきに初出明記。そしてまた後報です。
→感想追記しました。2020/7/30 以上
【後報】
翻訳者サークル公式に載せられた2017年3月の作者の弁。何故日本で日本の読者に直接会うことが出来ないのか。インバウンドなのに。コロナが終息したら、日本に来れたらいいですねと思いました。来る気がないとか、忙しくて来れないとか、そういうことが分かれば、それでも可。(同日)
【後報】
「档」という字は当用漢字でもこうなってるんですね。
03 県木「档(能登ヒバ)」ってどんな木? | - KIZUKI - 石川県木材利用推進協議会
「あて」と読むとは…
(2020/7/31)
【後報】
ネパールレストランに貼ってあったチベット地図の、この小説の舞台となる一帯。"HUANG HE"は黄河。
(2020/9/8)