苦し紛れ。1989年に解放40周年を記念して出版された本。前世紀末は、どこの中国語専門書店でもほこりをかぶった在庫があったものですが、昨年解放70周年ということだと、もうさすがにないかな。韓国初のカンヌパルムドール「パラサイト家族」を中国で初めて上映するはずが上映禁止になって以降全省そのまま(上映禁止)の措置がとられた、記念すべきこけらおとしの場所でもあります。
題字を書いた張国声サンは青海省の省長なんかを歴任した党の老幹部。「なあなあ、この題字って、国を「國」と書いてるのに、「聲」は声のままなのは、なんで?」"吵死了,你是日本NHK的チコちゃん吗?"
敵は、のちに中華民國サウジアラビア大使にまでなった軍閥馬歩芳とその麾下のあらくれ漢回混成部隊。長征の途中延安に行かず仲間割れして河西廻廊を目指して全滅した八路軍の別動隊を穴掘って埋めてまった、プチ万人抗事件をやらかしたことでも知られるそうで、それも上の百度に書いてあります。1949年10月の中華人民共和国成立に間に合うかにゃ~みたいな感じで、夏の暑い時期に西安あたりから、人民解放軍は甘粛省、臨夏、サラール族の住む省境を経て、西へ西へと進むのでした(一部は寧夏ヘ向かう)
それとは関係なく、本書の裏の見返しは、カバーの位置を間違えたデザインになっています。いいのかそれで解放40周年。
以下後報ですが、書くヒマあるかな。
【後報】
奥付
一字読めませんです。「の」を「四」と読みましたが、「九」かも。
これも「の」を「四」と読みましたが、「九」かも。〈獲〉も、〈應〉という字かも知れない。
但是,败局已定的蒋介石反动集团不甘灭亡,梦想保住西北,屏障西南,役机复燃。
宣告了蒋家王朝的彻底覆灭,
☆八一
"全歼胡马敌军,彻底解放大西北!"
擁護毛 朱縂司令
寶鷄のあたりで撮った写真。朱徳はこの作戦に参加してませんが、とりあえず使っとけみたいな。それだけおそれられてたというか、尊敬されてたというか。たぶん右に毛沢東の写真もあったけど、画像切ったんじゃないでしょうか。
解放軍對西北回民及回馬軍隊的口號
黄河を渡河する際に使用したヤンピーファーズ(羊皮筏子)もっといろいろ写真有るんですが、人が写ってないのを撮りました。この写真集を入手した中国の人が、あれこれキリバリしてあげてるサイトもあるんですが、キャプションがこの本と違ってたりします。世界には、いろんな歴史がある。
西宁回族妇女结队欢迎解放军。
この頃の西寧のブルカを知る資料になるのかどうか。こんなにわらっと被って集まってるって、どうだろう。でも21世紀の最近だと、ハッジなどでサウジの厳格な肌隠しを知って、それを適用してる写真も見たりします。
馬到青海四十年
人民苦死萬萬千
解放大軍來征剿
至時撥雲見青天
佐署村
七旬有五胡錦雲詩
青天じゃねーだろー、とは編者は書いてません。太陽でもまだおかしいかな。
西寧を走る祝賀パレードだそうです。対向車が写ってる。
タール寺の活仏が作った、〈錦旗〉
日本語と違って、記念ペナントくらいの意味だそうです。
玉树でチベット人が献じた〈猞猁〉。ユキヒョウの赤ちゃんかと思ってたのですが、この単語を検索すると、オオヤマネコでした。耳のかたちはこれでいいんでしょうか。
孫中山先生紀念碑
西寧の吉田講堂は二階建て。
左は戦争中の回民向け宣撫貼紙(上にあるやつ)の一部。右は朝鮮戦争の義勇軍志願書。真ん中のタンカ隊(字の部分だけ拡大)は、この写真を転載した中国サイトとキャプションが違います。
チャムドォ戦役に参加したジュクンドォの騎兵隊に付き添ったチベタンの担架隊というキャプションです。違うサイトではどうなってるか見てみやう(見なくていいです)
西北から朝鮮戦争ってのも、たいへんだと思います。
鍛錬身體 保衛祖國
筋トレ風景の標語だけ拡大。
このカットのタール寺(クムブムモナストリー)はいつもあんま変わんないなあと。定点観測にもってこいの角度。
平定後もひんぴんと反乱が起こるの図。大通の馬英。
死体写真とかもあるんですが、載せません。
民和の馬希統。
これも馘首の写真あり。新疆から流れてきた反乱軍のウスマンという首領。
蒋介石レターなんかの写真ですが、もう少し鮮明だったらと。
修筑公路
最後の章が、モッコの人海戦術の道路工事にあてられてます。テント生活とか、屋外で大鍋炊飯とか、標高が高いので沸点が低いとか、そういうもろもろがこんな本に入っているのが、逆に味かと。
開發邊疆國道
八团一营执軌道
手描きの五星紅旗。下の団名は憶測です。
現場の食糧調達で、ノロ鹿かな、とったどー、という写真。以上
(2020/7/30)