人形シリーズ 百均のハロウィングッズ編
今朝はもう涼しくて、朝起きると加齢臭を吹き飛ばすためまず網戸にするのですが、それがためらわれるほどでした。ラジオ体操に行って、ストレッチして。平熱。結膜炎の症状なし。空咳なし。嗅覚あり〼。冷やゴハンがお茶碗4⃣分の一ほどでしたので、それに味噌汁をかけて食べました。
昨夜、日付が変わるぎりぎりまで、てきとうにユーチューブでタイ音楽を聴いて、何か載せようとだらだらしていたのですが、そしたらパソウコンが突如強制終了して、再度立ち上げてもはかばかしくなく、日記の継続自体はルシア・ベルリンで済んでいたので、もういいやで寝ました。今朝立ち上げてみると、テキストに打ち込んだ写真の文字もぜんぶ、保存しなかったのでそのまま消えていて、やり直しです。ときどきこういうことがある。
はてなから、9/11に、過去の同日の記事を振り返りませんかというメールが来ていて(最大一ヶ月に一度ていど来るらしい)、それで開いてみると、下記が過去の記事のひとつでした。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
で、私がコメントにスターをつけないということもないし、つけられないということもないと思うのですが、この記事のコメントにスターはついてなくて、この記事ははてなダイアリーから移行した記事ですので、はてなダイアリーはコメントにスターつけられなかったのか、あるいは移行ではコメントのスターまで引っ越せなかったのか、どちらだったか思い出せなくなっています。はてなに問い合わせれば結果は出るのですが、さて、どうしたものか。
ロッテパイの実を買うと、パイの実ぜいたくシュークリームがもらえるレシートをセブニレブンでもらったのが八月二十五日で、勇んでコンビニに引き換えに行こうと思ったのが九月十二日。その件が終了していたのが九月八日。残念閔子騫です。それでいうと、ビッグコミック最新号の『劉邦』に、遂に、「ならぬ堪忍するが韓信」が登場し、手塚治虫『ぼくの孫悟空』に、関西のガキがそれをもじって「奈良の神主がスルメを嚙んだ」と言っていたことを例証する場面がありますとここにやっと書けます。
9/10に、漢字で書くと羅森でサンドイッチとヨーグルトを買ったレシートも紛失してることが分かりました。それから、紙幣貨幣を保管する機械に入らないギザ十を一枚その辺のお地蔵さんのさい銭箱に入れようと勇んで北京語で読むとシーズールーコウ(十字路口)、否、鶴間の五道口に行ったのが昨日で、財布を開けてみると、もうギザ十が入ってませんでした。ふつうにコンビニか自販機か飲食店で使ってしまったようです。
ギザ十や記念コインは下記の機械に入らないことが多く、夏目漱石くらいの旧紙幣は入る。逆にコンビニレジの釣銭機はギザ十は入るが、旧紙幣は別ロットに収納されてしまい、取り出すのにカギが必要になる。
メモに、「世田谷の自衛隊病院」と書いているのが見つかりました。38度の熱出した御仁は、当たり前ですが、何も悪びれず「よっ」とか片手あげて出勤し、風通しのよい職場を再認識しました。ひとり、来週GoToキャンペーンで鹿児島と別府に行くそうなので、キャンセルにならないか盛んに不安をまくしたてていた若者がいましたが、例のオナクラりクンですので、みなそれなりに彼の不安を共有してあげました。私たちの身体の40%はやさしさで出来ています。残りが水。
ナントカヌアとグリーンカレーやきめし。
「ヌア」は牛で、レモングラス入りサラダなのですが、よくその辺のメニューにあるヤムヌアとは違う名前だったと思います。メニューを見ているだけで楽しく、プラーラーラップリックという魚を揚げたのに甘辛ソースのタレをかける料理のあとに、プラーラーラップリックパオという、日本語の説明が同じ料理があったりしました。どうちがうのかは店員に訊こうという。
タイ語の名前が、カオパッゲーンキャオワン。カオパッがやきめしで、ゲーンキョウワンがグリーンカレーですので、そのまんま。むかし覚えた竹の子カレーのタイ語とか、音は覚えているけど意味わすれたホーモックタレーとか、そういうのをメニューでべろべろ読みました。
中国語はコロナで生徒減少というか、もう自分が辞めたら教室が成り立たないとの思いで来てる人ばかりでしたので、いい機会に辞める人がふたりいて、私もやめますとメールしたら、もう返信は来ませんでした。教える方はもう、国際交流協会のほうで別途教室を持ってるそうなので、コロナで私の出てた方はずっと休講でしたが、そっちはやってたんかいと。まあ開けてても、三密で授業は、気づまりでしたから出なかったと思います。男性が次々に来なくなるのが不思議でしたが、「パパ活」ということばを知ることが出来たので、ああいう場所は、マルチの勧誘に気をつけようと思ってましたが、それ以外もなんやかやあるんだなと分かってよかったです。いちおうその辺はケリをつけたというか、仇を討ったというか、もうそのメンツでは何も起こらないであろうという認識。夜の授業は翌日働く場合きついので、コロナ前ですが、午後や午前どこかでやってないか調べて、見学に行ったところが、みな発音がすごくちゃんとしていて、自分が行っていたところは、最初から発音がむちゃくちゃで慣れ合ってる人ばかりでしたので、目からウロコでした。社会人の語学なんて、どこもそんなもんかとの先入観を振り払ってもらえた。ほかの教室(先生は日本人で、なので、日本人があいまいにしゃべってしまう有気音や後鼻音の箇所を逆にオーバーに発音し、それだとまたネイティヴが聞いてやいやい言いそうだが、通じるほうが先決という実用主義の人)の方々に脱帽しました。そこの生徒の方々は、オベリンでも社会人学習してるとか。やる人はやはりやるんだと分かったです。自分の行ってたところで、生徒の発音が無茶苦茶なのに、直さない先生は、中国人によくいる、成人の日本人は舌が固くなってるからダメと最初からあきらめているタイプの人です。おかしな発音を根気よく直すより、気分良く二時間を過ごさせるほうを優先する。但し私のはっちょんは時々直されましたww 公立高校でも選択外語で中国語教えてるそうで、高校生だと勝手に発音はうまくなったりするので、その影響もあるんだろうなと。外国語なんて、やらない高校生はハナからバカにしてくるし。発音があれでも、動画教材で音声聞きながらやってた頃はそれなりでしたが、OSが非対応になったのか、語言の教材が先生のウィンドウズパソウコンで再生出来なくなって、肉声だけだと苦しくなった。生徒さん達もみな判で押したように、老老介護が理由でやめてゆく。
最近職場のネトウヨの人も新増してるので、QOLが以前とは異なります。
昨日の話ではありませんが、タイ料理店でベトナム人実習生の話で盛り上がっている人たちがいて、カタカナだと「リン」になる名前だけで四種類別々のがいて、違いが聞いて分からないので大変と言っていました。そのうち分かるか、相手のほうが、ホーおじさんはバック・ホーだからこの人はバック・リン、みたいになんか渾名で区別するようにしてくれるか、どちらかだと思います。中国人は日本では日本漢字読みになるのでその問題は杞憂ですが、ベトナム人だとカタカナですので(帰化申請のさいに「日本人ぽい名前」を名乗るのにもノーと、裁判で勝訴したのもベトナム難民。それまでコリアンも残留孤児のつれあいも、特に「日本人ぽい名前」に変えることの疑問を法廷で訴えてはいなかった)覚えたらいいんじゃいかと。漢字一文字姓で二文字名前なのは中国韓国以外だとベトナムだけなので、そこで苦労してしまえばそれで克服です。あとのシナ・チベット語族は、カジサックとかヨメサックとかリンチェンドルマタリンとかそんな感じで別なので、だいじょうぶです。昨日はタイ料理店でカンボジア旅行の話をしていて、一泊四百ドルのホテル(二人料金)に半額で泊まったといってて、そのグループがみんな、いいなーと嬌声あげてました。GoToキャンペーンでその値段になったわけではないと思います。
一年が通算でニゴロなので、にごろぶなの日、ではなく、プログラマーの日。世界の法の日。むかしは司法保護の日。
<以下写真>
鶴間 昨日はセスナが飛んでました。
ナマの落花生
座間と南林間 麹でなく工事でした。
座間
座間
冬瓜の花
雑草
座間日産
同
<ここまで>
ビッグコミック、ホイチョイというか馬場のひとの、見るならこの一本が終わりました。ベスト作品一本の紹介と、これまでの裏話。これをプッシュしてよ◯◯チャンと言われたのでそうしましたという話ではなく、三大映画祭もヤフー映画も偏ってるので、良作をわけへだてなく紹介するのに骨を折ったという苦労話。いろんな人に意見を仰いだそうです。ホイチョイの読み物はなべてハウツー本のおもむきがあるので、この企画も、ダブルオーセブン見るならまずこれでしょ、とか、クリントイーストウッドならこれでしょ、とか語るさいのタネ本として活用してもらうわけなので、それでいうと、通して見るのが大変なむかしのシリーズはまだまだたくさんあって、「狸御殿」見るならこの一本とか、「座頭市」見るならこの一本とか、「仁義なき戦い」見るならこの一本とか、「網走番外地」見るならこの一本とか、「渡り鳥」見るならこの一本とか、映画版木枯らし紋次郎ならとかジャッキー以外のカンフーとか(成龍はやってる)眠狂四郎ならとか伊丹十三ならではとか幾らでもあると思うのですが、労苦のわりに反響がなさそうだと判断したのかもしれません。あるいは掲載誌を変えて、BE-PALあたりで続けるのか。
ビッグコミックオリジナルは、釣りバカ日誌が圧巻でした。この世代くらいしか、ここまで感じて、そして言わない時代な気がします。アフリカのライオン養殖とシングルエクスペクティングマザーが刑務所帰りの弟と同居する展開が、印象に残りました。デリヘルまんがは、続きそうにない事務職新人が入って、電話応対しかしてないように見える主人公が、店長同様裏方雑用してる場面が描かれるようになりました。ナニワ金融道の灰原は目つきを変えて成長を表現しましたが、このまんがは代謝がおとろえて太る外見でそれを表現しています。そういえば、『日本本゜』儒教シリーズは下記のねたをもうやったでしょうか。やったような気もします。
小川 和也 『儒学殺人事件 ―― 堀田正俊と徳川綱吉』 受賞者一覧・選評 サントリー学芸賞 サントリー文化財団
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。
【後報】
ビッグコミックオリジナル感想の続き。
『徘徊先生』こう云う感じならいいんですけど、現実はちがうだろうなあとも思う話。小説の漫画化かと勝手に思ってましたが、違うようでした。この原作者名で検索すると、2004年のヤンジャンコミックスしか出ないです。しかもラブコメ。その後介護の仕事でもしていたのか。あるいは教職。その時コンビを組んだ漫画家さんも、2007年に蹴りたい田中原作がもう一冊あるだけでした。コンビニ店員は、朝から晩までいるし、店の前を掃いてばかりだしなので、オーナー店の家族かもしれないと思いました。へりくだらなくてもよいバックボーンをもつタイプの中国人女性かなあとも思いましたが、先入観はよくないと。
https://www.hikari-gr.co.jp/dcms_media/other/LEG-101-102.pdf
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『昭和天皇物語』老子の「大国を治むるは小鮮を烹るが如し」は鈴木貫太郎の口癖だったと書かれていて、田中義一の口癖でなくてヨカッタデスネと思いました。中国網日本語版にその英訳が載っていて、"Governing a country like cooking a delicate fish."だそうです。大小が抜けることで、より中庸な意味になる。キンペーチャンもブラジルのマスコミ取材時にこの言葉を引用して持論を展開したとのこと。
(2020/9/15)