人、中年に到るや (中央公論社): 1984｜書誌詳細｜国立国会図書館サーチ
昭和五十九年(1984年)十月「中央公論文芸特集」復刊第一号掲載作品を文庫化。積ん読シリーズ
カバー絵は老舎夫人の胡絜青女史。邦訳出版のため、古希を越えた女史に打診して承諾を得たと、訳者あとがきにあります。「梅花の香りは苦寒より来る……」という中国の古詩？を念頭に置いているとか。
英語のタイトルは、著者の英文Wikipediaと、そのソースである下記頁167から。
だぞーんのＪリーグの試合のスタメン紹介のようなポーズ。
続編"Rendao Laonian"の、エルを小文字にしてしまう誤記のため、下記英文Wikiでは、レンダオイアオニアンという意味不明のタイトルになっています。
日本語版ウィキペディアは、作者の別のエッセーから、文革末期に批林批孔運動から横やりを入れられつつ処女作『おもと』出版に成功したくだりなどが書いてあります。武漢出身と書けばいいのに、英文Wikipediaまで一貫して漢口出身と書いている。
本書は訳注が面白いというか、実に能弁でした。カッコの中が訳注です。例えば。
頁61「8923部隊」（文革中各分野の仕事がストップされ、出勤してもやることがないので朝八時に顔を出して九時頃失敬し、午後は二時に出て三時には帰ってしまうという職場が続出した。そうした人たちを人民解放軍の四ケタの編隊ナンバーに倣って命名したジョーク。一種のブラックユーモアである。）
頁41「牛小屋」（文革中、大衆組織が設けた簡易施設収容所）
頁149「あなたはまだお若いんだから思いつめてはいけませんわ。病気に対しては、かかった以上焦らず治す、これが……」（病人を慰める決り文句。秦波の教条的で浅薄で、先輩風を吹かせて教訓をたれたがる性格がよく分かる。）
頁58 医者、看護婦はそれぞれわが家で、あるいは病院内に適当な場所を探して休息中である（中国では大きい職場は大体近くに宿舎がある。少数の遠くに住む人はお昼休み職場内で適当な場所を探して昼寝をする）
頁78「君の夫がいかに徹底的に主夫に改造されたからって、まさか農村のお婆ちゃん連中並みに靴底片手にあちこち駄べり廻るとこまではね」（中国人は昔からボロ布を糊ではり重ねて布鞋をつくった。今の農村では、靴底刺しは野良仕事に出ないお婆さんたちの役目となっている）
頁76「君は今や宇宙飛行という先端技術のエキスパートであり、かつまた厨房の英雄でもあるわけだ。まさに共産主義的新しい人間の誕生だよ。文革は成果が主でなかったとは、全く誰たれな言いそ、だ！」（共産主義社会の理想的な人間とは、政治思想、モラル、専門知識、肉体労働のすべてにすぐれた人間という定義であるが、文革中は政治思想に偏重し、専門知識の勉強に熱心だとブルジョワ名利思想にかぶれていると批難された。傅家傑も文革の十年、専門的学問研究を放棄させられ、家事でもやるよりなかった。劉学堯の言葉はこうした状態に対する痛烈な皮肉である。一九八一年六月二十七日、中国共産党第十一期中央委員会第六回総会が一致して採択した『建国以来の党の若干の歴史的問題についての決議』中、文革について、毛沢東個人の思考が党中央の集団指導に取って代わって犯した左よりの重大な誤り、と断定している。劉学堯の言葉は反語である。）
頁163
以前、専門バカ批判会（一九六〇年頃、知識人の集中している職場で労働者、農民、兵士出身者を入れこんで、ブルジョア的空気を刷新しようとの意図から採られた措置。それを「砂を混ぜる」といい、入った労農兵を「砂」といった）で医療界に割りこんで実権を握っていた「砂粒」連中が、名指しであなたと私を非難したことがあったわね。
こんな感じで、（）内の訳注が、冴えまくってました。もいっちょ。
頁137
そうだわ、お下げを結ってあげなくては！ この世に生まれてあの娘はまだ六年目だもの。あの娘の人生の幸せは左右二つの短いお下げを綺麗に結うことくらいなのだ。お下げにリボンを蝶蝶に結んだ女の子を見かけるたび、あの娘はひどく羨ましがっていた。それっぽっちの細やかな願いすら今まで叶えてあげられなかった。時間がなかった。月曜日の朝は患者が一番多い日なのだ。一分の時間も無駄には出来なかった。（中国の全詫の幼稚園は土曜の夕方子供を自宅に迎え、月曜の朝送りかえす。）
この時代の中国小説は、中国小説に限った話ではありませんが、日本で左翼に吊し上げられた経験がPTSDになったような人は脊髄反射を起こして読めませんので、多少残念ですが仕方ないです。誰でも自分が間違いと思ってないことを過ちとして自己批判を迫られ、あぶらあせたらたら、数時間軟禁されるような経験を思い起こしたくはないでしょうと。
この小説で海外脱出するインテリたちは、二度とそういう目に遭いたくないという切実な動機と、恐怖を持っていて、そこもクッキリ書いてあります。本書は刊行直後は、書き過ぎではないかと、奥歯にものがはさまったように慎重に批判されたりもしたそうで、映画で巻き返しが固定されたというか、評価が確定したともいえそうです。作者が「日本の読者の皆さまへ」という日本語版特典あとがきを書いたのは、1984年で、国際的な作家ファウンデーションの招きで米国アイオワ滞在中に書いているのですが、別に彼女は祖国を離れたわけではなく、たぶん今でも北京にいるんじゃいか。
家族もたくさんいて、おうらやましい。ダンナが「范」で子どもが全員「梁」姓なのはなぜか考えましたが分かりませんでした。
英达现任妻子露面！与哥哥梁天罕见同框，力破因宋丹丹反目传言_梁欢
上の搜狐の昨秋の記事は八十三歳の誕生日の時のもので、バースデーケーキを前にした（ケーキは映ってないけど、たぶん）スマホ画像があります。
タイトルの成語には続きがあって、「人、中年に到るや、万事休す」となるんだそうで（頁81）日本向けあとがきで作者は、アメリカにも「アメリカは若者のパラダイス、中年には戦場、老人には墓場」という言い回しがあると紹介しています。バイデンやトランプを見ると、近年はちがうとも思えますが、要するにいろいろ大変デスネと。主人公夫妻は12平方メートル一部屋のアパートしか配給されず二人の子育て（炊事場は外にある）で、主人公の月給（薪水）は五十六元五角で、大卒四十六元翌年五十六元に昇給のあと、文革後も改定されないまま十年以上据え置き（この十年後に、幽閉中の江青が小間使いに一元やってみかんを買いに行かせたが、山盛り買えるはずなのに数個しか持って帰らなかった、ピンハネ許すまじと激おこになるジョークが流行ります）しかし本人は仕事と研究に打ち込めればそれでいいという学者バカ、職人バカなので一向に苦にならないが、もう若くもないのである日突然心不全だか心筋梗塞という話です。
本書にはほかにも陸放翁（陸遊）の「位卑しくとも未だ忘れえじ憂国の情」などが紹介され、それとともに、文革中主人公が大字報で口撃された「政治軽視の専門バカ」「修正主義の温床」失脚中の焦氏を手術したため「裏切り者を庇った」などの文句も生々しく飛び出します。「九番目の鼻つまみ者が、裏切り者にかまうのは許せん！」（頁96）
その一方で、50年代に、のちに北外になる学校でロシア語を学んだ作者らしく、東欧ハンガリーの詩人が飛び出します。宿六の人は、詩の朗読が上手で、その翻訳詩を朗々と詠ってそれが二人の仲を結んだ、という。下のイラストの最初のが、その北海公園のデートのくだりです。
日中両ウィキペディアの画像比較するだけで、この詩人に対する温度差が見て取れるという。
頁16
私は激流でありたい
……………
私の愛する人が
愛らしい小魚のように
私の波飛沫の中で
嬉々として遊泳するのなら
こんな詩。
頁19
私は荒れた木立でありたい
……………
私の愛する人が
一羽の小鳥であるなら
私の生い繁る枝に
巣を作り、囀るのなら……
最初は患者と担当医の関係だったとか。で、同期で一番最初に独身生活にピリオドをうって、「結婚にゴールイン」（頁21）したんだそうです。学究肌の浮世離れしたキャラが、実はイイ声の人で（嗓子好）声調のある言語で、朗々と音読する場面を想像出来ると吉。
頁21
私は廃墟でありたい
……………
私の愛する人が
青春の蔦であるのなら
荒涼とした私の額に
ひたと絡まりつつ伸びていくのなら
漢詩にこういう恋愛詩のジャンルはあっても、作品少ないだろうなあという。こういう社会主義国の若者の愛の語らい場面も、共産主義嫌いな人は虫唾が走ってダメ🙅かな。
邦訳時は漢人名を原音に則して読もうというムーヴメントでもあったのか、日本語では「しんよう」または「じんよう」と読むべき作者の名前を、「センロン」と書いています。北京官話だと捲舌音の「シェン」を、「セン」と書き切ったあたり、ピンインにとらわれない自由な精神が見て取れます。登場人物の名前にも、原音に近いルビが振られていますが、ブレがあります。
＜以下登場人物とルビ＞
陆文婷：luwenting…ルゥウェンティン 主人公。腕のよい女医。
傅家杰：fujiajie…フゥヂァヂィェ 主人公の配偶者。宇宙工学の研究所で金属疲労をテーマに研究してるとか。文革中は十年主夫をやっていたため、カジテツは得意。
佳佳：jiajia…チアチア ふたりの娘。この子だけ、"j"音が「ヂ」でなく「チ」です。肺炎。
园园：yuanyuan…ルビなし。チアチアのお兄さん。妹が病弱なので父母にあまりかまってもらえなかったりの子。この子はルビも振られてなくてかわいそう。
姜亚芬：jiangyafen…ヂァンヤァフェン 主人公の同僚で親友。出国して、カナダに流出せんとする。
刘学尧：liuxueyao…ルビなし。奥さんの姜さんはルビ振られてるし、傅さんの親友なのに、ヘンな感じ。
亚亚：yaya…ルビなし。劉姜夫妻のむすめ。
王小嫚：wangxiaoman…ワンシャオマン 手術待ちで入院してる子ども。
孙逸民：sunyimin…スンイーミン 眼科主任。文革の十年間は冷や飯食い。
焦：jiao…ジァオ この人は"j"が「ヂ」でなく「ジ」です。名前は〈成思〉chengsiですが、名前にはルビは振られていません。文革中は失脚してたが、復活した偉い人。副部長。
秦波：qinbo…チィンポォ 焦さんの奥さん。「マルクスレーニン主義婆さん」（马列主义老太太）の異名をとる。その割に、「はだしの医者」のデタラメぶりを見てるからか、ダンナの担当医には権威を利用して名医をつけようと画策、固執する。
赵天辉：zhaotianhui…チァオティエンホエ "h"音なので「フイ」でなく「ホエ」という表記が素晴らしい。huawayはファーウェイでなくホワウェイ。院長。この人も十年冷や飯食い。
郭汝青：guoruqing…クォルゥチン 一行しか出てこないキャラなのにルビが振られてて、清音濁音は有気音無気音に非ずルールが適用されています。"j"音表記と整合性がとれてない。ナゾの勢力から原稿に手が入れられたのかも。配偶者が帰国華僑だったので、東南アジアに脱出して雑貨屋に転身せんとする。
张じいさん：zhang… ルビ振られてません。角膜手術待ちの農民。この人は金水敏という人が提唱するところの「役割語」を話します。
頁53
「陸先生、あんたさんは他人のような気がせんから打ち明けていうんじゃが、金の問題ですだ。わしの眼の治療は全額自分で払わにゃいかん、いつまでも北京に逗留してはおれんのです」
イラストが数点入っていて、「關」のハンコが押してあります。スクリーントーンを使っているので、邦訳につけられた日本人の画家のイラストな気がします。誰が描いたか書いてありませんでした。
今はなき町田の古書店で買った本で、古書店名で検索すると、今は海老名で、店舗なしネット販売のみの商売をやられてる感じです。知らなかった。
下は、好評を博したこの小説原作の映画を、十分で紹介するサイト。
下は、ドキュメンタリー番組で取り上げた本映画。視聴数０という数字がすごいので記します。
映画丸ごとあげてる小伙子もいましたが、すぐ通報されて消えるでしょうから、あげません。つべをここに貼ろうとすると、画像でなく、キャプションが出るようになりました。Google空白の45分間で起こったことかも。インパクトがなくなって、実に残念閔子騫。以上
