『下北沢について』読了

"ODAKYU VOICE home"最新号の、小田急沿線を舞台にしたブンガク特集に出てくる本。装画=大野舞 装幀=大西隆介+沼本明希子(direction Q) 読んだのは2016年刊のハードカバーですが、もう文庫化されてるようで。

下北沢について (幻冬舎文庫)

下北沢について (幻冬舎文庫)

 

 表紙は単行本も同じです。初出はB&Bという人たちが発行したミニコミ誌?「下北沢について」1号(2013/8)~10号(2015/11)で、それをまとめ、書き下ろしを追加したそうで、10号で本編12話なので、棒茄子で1号にふたつエッセーを送った回があったのか、本にする際にふたつに分けたのがあったのか(けっこうぜんぶ冗長で、全部半分の長さで切って終わらせて、倍の数の、キレのよいオチの随筆入れてくれた方がバランスがよいと思いました)知りませんが、それで、おそらく「裏話」と題された黒字に白抜きのマル数字七話のうち、六話目❻で、下北沢を旅立つ装画者へのエールを送っています。そうなっている以上、表紙の描き手を文庫本で替えるわけにもいかないだろうし、じゃあ新作のイラストにして、愛読者に単行本と文庫本二冊買わせる際のなぐさみの一環にするかというと、文庫あとがきとか解説とかボーナストラックはFAであろうと考えたのか、同じ表紙になっててくれたので、私としては助かっています。一冊読んでもうそれでいい気分になれる。

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裏表紙。たまたまラジオで山口淑子のラジオアーカイブスをやってたので、一緒に映ってます(オデコだけ映ってるのはたぶん保坂正康)勉強のつもりで聴いているのですが、これがまたえらい気が散る。けっきょく「ながら」はダメということです。だぞーんでJリーグの試合観ようとしても、BGMで聴くだけで別の作業してしまい、何にも残らないのと同じように。

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字が大きく余白が多いので、読みやすいといえば読みやすいです。いちページあたり、32文字×13行というありさま。数えてみて、軽ろきに泣きて三歩歩まず、ということもない図書館レンタル。もう重い本読めないだよ。バカじゃけえ。

小田急の広報誌のお勧め文章では、実在のお店があれやこれやたくさん出てくるとのことでしたが、馴染みがないのと、今はもうないお店も多いので、特に同時代をシモキタで生きてこないと、感慨はアレかもしれません。だいたい比較対象が、作者が幼少期を過ごした谷中銀座と、下北に移る前に住んでいて上の階がウルフルズだった上馬と、姉が住んでいたという京都しかないので、イキオイ若者カルチャーの比較としては、京都ばかりが目につき、京都に比べての東京の永続性のなさは、ただ単に「賃料が高いから」という、いかんともしがたい理由で作者的にはオチがついているので、喪失感としての感傷、センチメント以外広がりが乏しくなります。京都は学生人口が人工的にメチャクチャなバランスで設定されているので、ああなわけですが、例えば札幌でも北大近辺だけ取り上げたら、そんなんないかな、と私は思ってしまいます。作者も同じことを思ったのか、シモキタに支店のあるスープカレーの本店をちゃっかり札幌に訪ねるアリバイ記事もあります。

で、谷中銀座の下町らしさの喪失と現在の、他都市との等質性は、作者も、言わんでも分かるやろ、再開発や、みたいな感じですが(私も何度か、東京芸大美術館や弥生美術館に行くのに通りました)、上馬を、下北と異質な辺境として描いているのは、どうかなと思いました。だいたい上馬の最寄り駅を駒澤大学にしてるのが恣意的な気がします。三茶やろ、最寄り駅は。三茶にしたら、バー文化はあるし、パブリックシアターはあるし、渋谷で飲んで終電なくなった後246をタクってもよし、歩いて酔いをさましてもよし、厚木にもキャンパスがあった昭和音大もあるし、肉のハナマサもあるし、という環境ですので、立派に下北と伍していけるわけですから、対比して、下北を持ち上げるのは無理がある。あの有名な民団支部や銭湯のあたりを指しているのかなあ。ボーツー先生とみっちゃんという人もあのあたりでしたか。知らないけど。…とここまで書いて、念のため上馬キリスト教会を検索したら、私の言ってるのは下馬で、上馬はやっぱり駒澤大学でした。ゼルビアの試合などで何度か行った、あっちか。すみません。

前にも書いたかもしれませんが、私は、吉本ばななという人が出てくる前に、中森明菜のパロディネームで中森ばぎ菜というエロ漫画家がいたのが、この人のペンネームに影響を与えていないだろうかという仮説を立てたことがありますが、まったく本気でないので、なんも検証してません。

頁59、作者の母親は、肝臓もお元気で、死ぬ前日の明け方まで焼酎水割り飲んでたそうです。

頁100、作者のパートナーは、ロルフィングという仕事をしているそうです。海老蔵の義姉の配偶者の仕事とは、絶対違うだろう。

ロルフィング - Wikipedia

読んでいて、人名が出て来て、有名な人なのですが、ぱっと出てこないことがあり、シーナ&ロケッツも、鮎川という名前でひらめかず、私も昔見たのになあ(多摩美でなく)と思ったり、柴田元幸も最初気がつかず(頁88あたり)モンキーというこの人の主宰雑誌名でも気づかず、そのうち、あーとある女性が心酔してて、彼氏がぐちをこぼしてて、その時、村上春樹の下訳うんぬん聞いたんだった、と思い出しました。人に幸あれ。

しかし、頁202の、菊地成孔は一発で分かりました。いろんな本を読んでいて、よかった。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

出版業界人たらしの半生を追った「素敵なダイナマイトスキャンダル」で墨バリバリのアラーキー役を演じたのもこの人だとか。あの時は、アラーキーって、墨あったっけ?と真剣に検索しました。真剣でなくても検索は出来ますが。

頁48、下北沢の商店が猛スピードで回転して閉店開店を繰り返してしまう点について、作者は当たり前の感性を持った人間であれば誰でも嘆くのと同様に、嘆いてますが、ここで出てくるお店が、若者が若い頃赤字覚悟でやってて、ずっと赤字で、クラファンとか人に頼り続けるのもあれだし、配偶者や子孫が出来るし、「いつまでもバカやってらんないし」で廃業するお店ではなく、スターバックスドトールコーヒーなのが、実に、現代21世紀の資本主義スキームの一環をえぐっていて、誰か吉本ばななに、その辺のからくり教えたれよと思いました(私もよく知りませんが、最近、こうかな、という話を聞いたので)

頁118に、「住まいの瑕疵保険10年」があって、勝手に改築したのですが、その場合でも「転売特約」があると説明されていたのに、転居時の売却で「転売特約」がまったく生きなかった、という実体験が書いてあり、「商売は総ちょっぴり詐欺」の時代だとか、「うっすら詐欺がスタンダード」と書いていて、その反面クーラーとりつけの下請け職人なども中抜きありノルマ過多オーバーワーク責任増大であえいでいる、と書いていて、父親のけちみゃくとは関係なく、いきどおってんな、と思いました(爹没有関係と怒るかな)こういうことはマンガの『正直不動産』にとっくに描いてあった気がしますが、正直よく分かりません。だまされりんこ。

こういう話より、先月は子連れOKだった居酒屋が店員代わって、未就学児童お断りをタテに11歳の息子の入店を断ろうとするので店長出せ、挨拶したいからというとそれも断られて押し問答のところに、業界関係者が偶然来て、あれやこれやで新店長が謝って入店してあれやこれや歓談するが、当の店員は固い顔で終始怒った顔で接客、という頁190のエピソードのほうが分かりやすく共感を呼ぶので、もうそれで、システムには騙されて生きよう竹中平蔵、と思うかもしれません。

話を戻すと、コーヒーチェーンの話でなくコンビニの話なのですが、契約期間が切れて、ふつうは更新料払って再契約とか契約延長になると思うのですが、最近のコンビニ本部の切れ者ブレーンたちは、そこで(直営店の場合)オダギリジョーの現金払いのお店に来るナントカペイのガイジン富豪みたいに、期限が切れると、「ジャイイデス~」とあっというまに什器搬出して立ち退いてしまい、近隣に新しい安い店舗探してそこに新規開店するそうで、新しいお店の方がひょっとしたら売り上げが上がる可能性もゼロじゃないし、内装業者とかいろいろ仕事の需要が出来て雇用創出にもつながりますし、更新料もらえないで出て行かれた商業施設オーナーは、引く手あまたの場所でなければ、値下げしてテナント募集するでしょうから、地価抑制にもつながるでしょうとか、多少私が妄想で盛ってるかもしれませんが、そんなような話で、そういうので街のチェーン店のお店がどんどん入れ替わってるんデスヨ、ということで、そりゃスゲー、資本主義のダイナミズム炸裂デスネ、と思いました。

なんでこのエッセー読んでそういう感想になるのか、私もふしぎですが、そういうことで。以上