『エスキモーになった日本人』"A Japanese who has become an Eskimo" by Ooshima Ikuo 読了

エスキモーになった日本人 (文芸春秋): 1989|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

写真撮影/和泉雅子 装幀/坂田政則 地図/高野橋康 イラスト/奥野正人(及び著者) あとがきに出て来る文春の人は、設楽敦生、小嶋一治郎、宇田川眞。協力御礼申し上げますとして五月女次男(日大山岳部の先輩)、本間正樹(作家の方でしょうか)

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東京都世田谷区の五月女次男さん(81)夫妻は「あるがままの自然を残していることが素晴らしい。人と同じく自然を大切にする陛下のお心でしょうね」と話した。

設楽敦生 スポーツコラム - Number Web - ナンバー

https://books.kosei-shuppan.co.jp/author/a128168.html

独語訳があることを知り、独語タイトルは別なのですが、原題はドイツ語ではこういう意味ですよ、"Ein Japaner, der zum Eskimo geworden ist. "と書いてあったので、それをグーグル翻訳したら、単数形でかつ現在完了形になっていて、そんなもんかと思いつつこの日記に貼りました。著者名を"Osima"でなく"Ooshima"にしたのは、本書の表紙がそうなってるから。

Ich wurde Eskimo = エスキモになった日本人 (Tika Verlag): 2017|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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ここんとこ毎晩、開いてはいちページも読めずにまぶたを閉じてしまっていた本。反町康治のポイズン、否、反町隆史のPOISONなみの効果を私に与えてくれました。やっと読めた。以下後報です。

イヌイット - Wikipedia

カラーリット - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/Flag_of_Greenland.svg/125px-Flag_of_Greenland.svg.png

グリーンランド - Wikipedia

レアメタル採掘権が中国企業に根こそぎと書いてあります。地球温暖化で掘りやすくなりそうなのを見越した動きだそうで)

【後報】

1989年、バブリー!真っ只中の出版ですが、全くそれを感じさせません。たぶん、1972年にグリーンランドの世界最北の村に来て16年。一時帰国も二度しているのですが、ずっと隔絶された環境にいたからではないかと。

生年からあたりをつけて、出版当時、著者42歳でしょうか。1972年の最初の来島当時は大卒社会人で、26歳? 当初の目的はエルズミア島遠征の調査と準備で、名鉄のリトルワールドから現地民具収集の委託目的で資金提供を受け、先行して現地滞在する植村直己さん(目的は犬橇による極点踏破のための技術習得)について暮らしたそうで、そこで極北の狩猟採集生活に強く惹きつけられ、帰国後日テレのドキュメンタリー番組取材のため現地再訪、取材班帰国後も現地に残って狩猟生活を続けるうち、縁があって1974年8月に挙式。1989年の出版時には一男四女に恵まれているそうです。

2011年のNHKドキュメンタリーでは、62歳で、本書表紙の少年だった長男は32歳。お孫さんが8歳で、狩りにそろそろ出るかという時で、問題は地球温暖化政策と動物保護政策となっていて、前者は本書ではまだその姿を見せていませんが、後者はすでに明確化しています。生活のための現金収入の大切な手段で、乱獲防止のため捕獲方法や期間、頭数などを自主的に厳格に制限しているのに、大資本をバックにした団体が自分たちのモラルを強引に押し付けてくるのは一種の暴力ではないかと頁192ではっきり述べています。くじらでなく、毛皮売買が主戦場ですね。ポンポン船や犬橇で鯨なんか獲れないので(イルカは食べます。しぞーかと同じく)

グレタサンも、地球温暖化防止には過激ですが、クジラや毛皮には関心がないのか、そっちには理解があるのか、特に保護シローとも、獲ってええやんけとも言ってない感じ。ビニル袋誤食死だけちょっと言ってるのかな? 「おくじらさま」の本のほうでは、アイスランドの白人漁師は紀州のようなにらみ合いを越えて、実力で過激環境保護団体と血みどろの抗争を繰り広げてるとありましたが、本書でも、あざらし皮の規制を決めた欧州連合(当時はEUでなくEC)に対し、グリーンランド自治政府宗主国デンマークの頭越しに住民投票を経てECを脱退しています。これが自治だと思いました。中国の自治区が中国の頭越しに何か出来るなんて、しかもそれが住民投票でなんてありえないのが極度に残念閔子騫です。地方なんとか主義で党是違反で弾圧された例は、文革中の延辺の朝鮮族雲南回族がわりと知られてるのでは。

 話を戻すと、前半は、そうしてじゅんじゅんに村の生活に馴染んでゆくさまが、時系列で語られます。マッキンレーの植村直己の悲報、ある時期村で暴飲乱飲による事件が多発し、一時的によそに避難した話、云々。後半が村の生活誌で、とても面白いです。出版時、人口八百人の村落で、十年の自殺者が二十人は、やはりパーセンテージとして多いのではないか、環境の変化による将来への不安など、メンタル面でいろいろあるのではと書いています。頁230。

エスキモー」という名称については、わりと前半、頁65に、詳しく説明しています。1989年当時、すでにカナダでは、クーリー・インディアンが「生肉を食う連中」という意味で侮蔑的に用いたことばであるから、そう呼ばず、自称から「イヌイット」の呼称が定着していたとか。カナダ政府の同化政策に対する反発の一環であるがゆえに、そこまでいっているそうです。それに対し、グリーンランドでは、白人との軋轢もさほどではなく、自称は同じだが(ほかに「グリーンランド人」を意味する「カラーリ」も使うそう)「ポーラー・エスキモー」と「極地」をつけるとけっこうイカふいんきがあり、かててくわえて、1989年の日本社会では「エスキモー」も中立的、好意的にとらえられていたので、それに甘えて、本書題名に使ったとあります。甘えて、といわれると気になる気も。2009年の武田剛サンが大島育雄サンと旅した記録の本では「日本人イヌイット」になっていること、森永乳業エスキモーブランドも2010年にその幕を下ろしたことなど鑑みると、その後、意識変容がカナダ以外の世界ぜんたいに及んでいったのか、あるいは日本でその言葉狩りがあったのか。

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https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20210707/20210707203544.jpg話をプラシバシーのない村落やその利点難点、自殺率の高さなどに戻します。

頁70、著者はラジオの無線放送で、自分の結婚式が勝手にあげられるのを知り、腰を抜かします。同棲相手がいるので、長老がガツンと段取り組んで、てきとうにふらふらした挙句「男には夢がある」的なバイバイ許すまじとしたのか。同じページで、無線放送は、性病が判明した人の公表と通院要請、濃厚接触者は誰と誰だからそれらも予防保守のためいっしょに治療を受けなさい、なども流れるとあります。そういうのがいい時代から、そして。

頁139に、著者自身の銃の暴発の場面があります。船で、撃鉄を引き起こしてちょっと立てかけて、横波で倒れて暴発。その同じページに、エイのことを現地語で「サメの女房」というとか、女性の前で「おひょう」というと、男性機を意味する現地語と同音になるので笑われると書いてます。

頁192、猟の副産物としての毛皮が先進国の環境保護団体の力で売れなくなったりして、EUより前のEC時代にグリーンランドデンマークの頭越しにEC脱退した件。頭数制限などを厳密に自らに課して必要以上の収入を望まない極地民に対し、大資本をバックにした保護団体が、自らのモラルを強引に押し付け、少数民族の生きる糧を奪うのは暴力ではないかと書いたあとで、現地語に流入した外来語や、外来物を意訳したことばを紹介しています。頁193。「チー」(紅茶)「バンケ」(銀行)「カウルチ」(金)「シルベ」(銀)「シカ」(煙草)が外来語。砂糖は砂(ヒオガ)のようなものという意味の「ヒオガウハ」になり、米は魚卵(フガ)のようなもの「フガウハ」ウェハースは橇の横げた(ナプ)のようなもの「ナプウハ」月(アニガ)のようなものが「お金」だそうです。まるくて、光る。

頁200、キリスト教の浸透があまりに急速だったので、それ以前の精神文化が、著者生活時点でもうぜんぜんないのがあまりにアッサリだと書いてます。村でクリスチャンでないのは当時著者だけで、カミさんが洗礼名を考えてくれたそうで、アッパリャー(ぶしょうもの)カラヒャ(へそ)アナッタルンゴア(ファッキンメーン)途中まで、キリスト教の聖者からとらない洗礼名は珍しいと読んでいて、最後に、そんな洗礼名ないだろう、冗談かとあたまをぼりぼりしようとしましたが、ハゲなのでぼりぼりできませんでした。

頁199、住宅補助について。ヨーロッパスタイルの木造住宅で、政策で、四百万の家が10%、四十万払えば自分の家になったりするとか(ただし自分でキットを建てる)住宅公社の家を借りる場合、月二千円から二万円くらいで、著者は、月四万円のところを自治政府の住宅補助、扶養家族手当などで四千円だそうです。

頁213、病気について。過酷な肉体労働で、神経痛や、筋肉の萎縮をともなう病気が多いとか。そとからもちもまれる流感なども悩みのたねだそうで、エイズの話も出ます。昔は身持ちが固かったが今の若い者はユルい、と年配女性が言うたびに著者は、そんなわけやいなろ~と思うそうで。イタリアの山岳牧民の本を読んだ時は、医療が普及するまで盲腸は死の病だったとありましたが、本書の極地民では、歯医者がいないのが大変困ると書いてます。砂糖をたっぷり入れた紅茶をたくさん飲むので、なまなかな歯磨きではとめられないとか。チベットも歯の悪い人が多かった。標高が高いと、それでしくしくしたりしました。私だけかな。

頁215に、個性的な村の住人(だいたいイイ年の男性)が語られ、過半数が「飲むとよくない」とぼそっとつけくわえられています。最後にひとり、ロバート・ピアリーの黒人従者のお孫さんが出てきて、白人との混血はそれまでも出てましたが、ここで黒人との混血をさらっと書くのかと思いました。

頁222、水銀の話。さらに、二十年前、核弾頭を積んだ米大型爆撃機が海に落ちた件。

226、実家の両親はきょうだいが見てくれる話(は別のページでした。トヨタランクル大ブームというか、故障したさい同じメーカなら互換性があるので、それでトヨタ車ばかりになる箇所も別のページ)著者は筆不精だが、実家から年に一回、味噌醤油などとともに、小説の文庫本を中心に本も五十冊届く件。

頁99

酔っぱらいの横行 その年、一九八〇年のシオラパルクは、どういうわけか酔っぱらいが横行した。チューレ地区では酒類はポイント制になっていて、定期的に支給される自分のポイントがなくなれば、金があっても酒を買えないシステムになっている。以前は月に一度、誰かがカナックへ出かけてKGHコゲホの店でみんなの分をまとめ買いして運んできていたものだ。それが、二年前からシオラパルクでも買えるようになっていた。もっとも、ポイントと金がいることに変わりはなく、たくさん飲めるようになったわけでもなかったのだが……まるで伝染病のように酔っぱらいがふえ、村が荒れた。

 酒癖のわるい人が多かった。ののしり合い、取っ組み合いの喧嘩も起きる。それもみんな、ほったらかしだ。酒乱の男が発砲する事件もあった。これはさすがにカナックの警察に通報され、男はつれていかれた。

  私の留守中に酔っぱらいが家族にからむようなこともあり、安心して猟に出ていられない状態だった。十一月、アンナがケケッタッハーに住む叔母に会いたいというので、このさい一家でしばらく村を離れることにした。(略)

 それにしても、あの時期はいったいどうしたというのだろう。何年分か溜まっていたみんなの鬱屈があつまって一つのエネルギーをもち、酒というハケ口めがけて雪崩れこんでいった感じでもあった。

下は、その数年後。ポイント制をやめてオープンにするか、オープンにして問題が続発したのでまたポイント制に戻した、などの東グリーンランドと西グリーンランドの状況について書いてます。

頁198

 (略)呑ん兵衛もたいてい自分のブレーキの甘さを自覚しているから、シラフのときには「ポイント制があったほうが、よろしかろうね」といったりする。いずれにせよ、酒とうまく付き合えるようになるまでには、まだ時間がかかるだろう。もともとアルコールというものを造り出す環境になかったし、アルコールとの付き合い方を、心も体も知らないのである。酒を飲むと、日ごろ溜まっていたものがもろに出る。おとなしい人間が、荒れたり、管を巻いたりする。大人たちのそういう姿を見て育ったせいか、ほとんど酒を飲まない若者も多い。私とアンナは以前はたまに飲んでいたが、あの船の借金以来、ほとんど飲まなくなった。

 以上(2021/7/22)