『グアテマラの弟』"My young brother has been living in Guatemala" by Hairi Katagiri 読了

これも、ビッグコミックオリジナルのまんが『前科者』に出てくる本。ちょうど、登場キャラに片桐はいり似の人物が出たので、その絡みかと勘ぐってしまいました。

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上は中表紙 装丁 大島依提亜 書き下ろし 原稿用紙272枚(400字詰め)2007年初版

www.gentosha.co.jp

文庫も同じ表紙です。たぶん。

片桐はいり - Wikipedia

グアテマラの弟 | 京都精華大学情報館

グアテマラでスペイン語の格安語学学校を運営――片桐真氏:世界一周サムライバックパッカープロジェクト(1/3 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン

最初は何も分からず、役者さんの旅のエッセー集で、グアテマラに弟的な現地人がいる的な、う~るるん、な本だと勝手に思ってました。が、ちがいました。2007年の13年前だから、1994年かな。その時すでに、弟さんはグアテマラ政府公認の唯一の日本人ガイドだったそうで、通訳やコーディネーターとしてグアテマラじゅうを飛び回っていたんだそうです。「世界の車窓からグアテマラ編のアテンドもしたんだとか。富士通。頁73。その前は学生旅行で中南米を旅して、入口の国のグアテマラがいちばん気にいって、大学院を出た後現地入り。ガイド生活のあとは、最初の旅行中に知り合ってた?スペイン語学校の校長だか校長の娘さんとマリッジして、連れ子の子とも家族になって、学校経営に邁進の日々だとか。グレゴリ青山蔵前仁一が中米旅行をどれくらいしてるか知りませんが、してたらそのエッセーに絶対出てくるレベル。マンガでも描けばいいのに。

頁26

 弟の家には相変わらず、旅行者の人たちが帰国する時に置いていく日本の食料や薬があふれていたし、すっかり現地人になっている弟には、日本でしか手に入らない、どうしてもほしいひと品、というのが思いつかないらしい。このこだわりのなさが、生まれた国を離れて二十年も暮らせる秘訣だろう。

片桐姉弟は大森生まれの大森育ちだそうで、それでもぎりしてるんですね。じゃーあのラブホ街もプーソーもry 私は3.11の時大森で夜明かししましたが、それは蛇足。家族のグアテマラ人たちは海苔をぜんぜん食べないそうですが、ヨード、ヨウ素はどうやって摂ってるんだろう。最近読んだブラジルの食生活の本で、内陸のブラジル人はヨードが不足がちになるので、塩にヨードをまぜて売ってるんだとか。そういう方法をとってるんでしょうか。

江戸っ子なので、頁59「まっつぐ」のような言葉遣いもします。もう一ヶ所、江戸っ子っぽい言葉遣いがあったのですが、読み飛ばしたらその後再発見出来てません。

頁41

 隣町で薬屋を始めたいきさつも、わたしには初耳だった。

 スペイン語学校は、あくまでも旅行者ありきの商売である。この国の政情を考えると、いつ何が起こって観光客が激減しないとも限らない。なにしろ十年前まで内戦が繰り広げられていた国なのである。日本人は特に反応が早いから、日本の生徒がメイン顧客の弟の学校などは、大きな事件が報道されようものなら、一発で立ちゆかなくなってしまうだろう。

まさにコロナカの現状ではないかと。オンライン授業はやっておられるみたいですが… 邦人が逃げるか逃げないかでいうと、邦人だけ逃げなかった特異点天安門事件後の中国を私は知っているので、ふしぎな気持ちです。本書でも、イランに里帰りするイラン人の友人からイラン周遊を招待され、とても行きたいのに、しがらみからグアテマラを選択するくだりがあり、お気の毒と思いました。グアテマラもとてもいい国で、というか本書を読むと行きたくなること請け合いなのですが、しかし友人のイラン人がアテンドするイランと比べると、なあ、という。

グアテマラの右横が中米唯一の英語圏ベリーズ。上はメキシコで、下が、ホンジュラスエルサルバドルニカラグアコスタリカパナマとくだっていって、現在は知りませんが、ドロンズのころまでは、パナマとコロンビアのあいだは道がなくなって、密林に消えてしまいます。街道とか縦貫道がないと私はとてもがっかりなので、それもあって中米旅行はしたことがないです(というか、なんにもしたことないですが)中米旅行をした人から、いちばん白人比率が高いのが、ジュラシックパークの舞台になって、非武装がどうとかやっているコスタリカ、という話だけは聞いたことがあります。グアテマラは、本書49によると、人口の六割がマヤ文明の先住民とのことで、今も民族衣装で生活しているんだとか。

グアテマラというと、山本直樹の初期の青春セクロスマンガで、やった女性が恋人のあとを追ってグアテマラに行く展開があり、主人公が「がてまら…」とつぶやくところを覚えています。小劇団つながりで、片桐はいりの弟さんがグアテマラに住んでいることがこの場面のヒントになったとしてもおかしくないと、ふと思いました。わたしの人生でいうと、私に『火星のプリンセス』やら『非Aの世界』やらを貸してくれた教師が学校をやめてメキシコの日本人学校の教師になったこと、先輩のひとりが卒業後メキシコに行ってずっと住んだこと、などがあるのですが、あまり近しい関係でもないので、詳細知りません。あと、あるコロンビア人女性が、コロンビア人にぞっこんで組抜けてコロンビアに住んだ日本最大の広域指定暴力団のヤクザの話をしてくれましたが、もっと近しくありません。

グアテマラ料理店がどこかにないか検索しましたが、四谷の中米料理の店が閉店したことだけが分かりました。本書頁57に登場する代表的グアテマラ料理「ペピアン」は、レシピはあちこちに検索で見つかるのですが、首都圏に出す店があるのかないのかは分からないままです。ホンジュラスは吉祥寺で週何日かずつ交代で店舗シェアしてやってる店がどうのとか、コスタリカは大森の隣の蒲田に居抜きの店があったが閉店したとか、ニカラグアの料理はププサがどうの、拳銃強盗に遭ったりいろいろなので現地経験のある邦人も思い出したくなくて日本に現地料理の店があってもわざわざ寄り付こうと思わないのも出店がなかなかない理由の一つかもしれないとか、そういうあれこれを検索してアタマがパンパンになりそうになりました。市ヶ谷にジャイカ、JICAがちきゅう広場という、安倍夫人もしくは本郷台みたいなテナントを経営していて、そこの日替わりだか週替わりだかのメニューでグアテマラペピアンが出たこともあったとか。

頁58に、トルティーヤは焼き立てをパン屋で買う、自分で作らないとあります。ブラジルスーパーでパンを爆買いする日系人の人たちを見たり、エジプトやイランやインドのこなもん屋でナンを買うくだりを映画で見たり本で読んだりしてるので、麦食ってそのひと手間があるんだなあと思いました。サトウのごはんが出現するまで、西成以外の日本人はコメは自分で炊いていたはず。

頁151

 アンティグアにはいわゆる居酒屋というものが少ない。バーは山とあるけれど、これはほとんど外国人に占領されていて、地元の人たちは、家で飲む。酒屋で立ち飲みをする。弟の店のようなティエンダでビールを買って道ばたに溜まる。薬屋で手に入れた薬用アルコールを飲んで行き倒れる。このうちのどれかだ。

さいごのは、のぞ焼けちゃうよ。てか、なんで最後のがあるんでしょう。酒類購入許可証みたいのがあってそれを持ってないとか、はく奪されたとかでしょうか。あるいは、購入制限があって、上限超えたとか。グリーンランドの日本人イヌイットの人の本で読んだことが、先住民の多いグアテマラでもあるということなのかしら。

酒場にはつまみも氷もなくて、つまみは持ち込み、ラムはコーラかスプライトで割って飲むそうです。で、すべての客に酒類を供するわけでなく、人を見て、何人かにひとりは追い返してるとか。やっぱり、酒類提供になにがしかの条件があるのかなあ。日本も今は20歳以上ですかくらいレジの画面にタッチさせてますけど。

頁113によると、弟さんは日本ではどぶろく密造するほどの酒好きだったのが、グアテマラでは一滴も飲めなくなっているそうです。画像を見ると、常時カロリーの高い食事をしている影響みたいな気もしました。姉の人はそうとうイケる口だそうですが、本書執筆から15年経ってますので、もうセーブして、量より質になってると思います。

頁149、グアテマラのサンシモン、マシモンという神様は、ペルーボリビアのエケコみたいにレジ横に置けるようなお守りサイズのはないのだろうかと思いました。マヤとインカはすごく違うんですね。

ja.wikipedia.org

頁104、グアテマラの離婚率は世界的に見てとても低く(当時)カソリック諸国、ラテン諸国のなかでもグアテマラは群を抜いて低いんだとか。そしてさらに自殺率もとても低い(当時)そうです。自殺率低い=生きやすい社会なわけではないことを、自殺率の低い土地のフィールドワークを二冊ほど読んだ漠然とした感想として私は持ってますが、さて、グアテマラはどうなのか。

頁86、語学について、片桐はいりさん流語学チートでは、「長年の経験では、手っ取り早く自分の気持ちを伝えるには、動詞よりも形容詞から覚えたほうが早い」そうで、「動詞はパントマイムで表現できるが、美しい、や、難しい、などの形容詞を体で表わすのは、ちょっと、難しい」からだそう。チベット語みたいに、形容詞の文法が邦人には頭コンクリだと、どうするんだろうと思いました。いやあれは「花、きれいな」の語順の副詞ってだけだったかな。いや、しかし以下略。

頁82では、片桐はいりのニューヨーク語学留学ゴッコを書いていて(すごく語学学校が多くてどこも一日体験入学が出来るので、毎日どこかの語学学校に体験入学するだけで時間が潰せるそうです)アクター*1だと分かると講師がホメ殺しを始め、ハリウッドをめざしてるのかとか、シュワルツェネッガーアントニオ・バンデラスも最初は一言も話せなかったとか、いろいろ背中を押しに来るそうで、赤西仁も押されたのかなあと思いました。大島優子も。で、エルとアールの区別が出来るようになると、シンガポールの友人たちから、サヨナラ、両者の区別が出来なかったチャーミングなハイリィと惜別されたとか。今思いましたが、漢字文化圏では「はいり」をどう筆談で表現してるんでしょう。元になったハイジは《海蒂》なので、北京語の場合、piantonghaidiと自我紹介してるんでしょうか。それとも、はいりははいりなので、そのまま音を当てているのか。今、同様に漢字のない名前のペ・ドゥナを検索したら、〈斗娜〉の字を当てられていた。

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裴斗娜 - 维基百科,自由的百科全书

頁62、グアテマラのトイレは紙を流さないそうです(当時)頁60、シエスタはともかく、夜ゴハンは簡単に済ますことが多いというのは、標高1,500mに暮らす知恵なのかも。ペルーのごはんの絵本を読むと、ペルーでも高地では高山病予防のため、夕食は軽めにして、脂っこいものや冷たいサラダなどは避けるそうです。

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Pollo Campero - Wikipedia

グアテマラには上記のローカルフライドチキンチェーンがあって、ケンタッキー進出時は果敢にフライドチキン戦争を戦って、とうとう米国資本の「グリンゴのチキン」を撃退したんだとか。頁46。

そういった、グアテマラの情報が、これでもかと、母親の老い、父親のガンと闘病、その死、などの家族史とクロスしながら、一つ一つていねいに語られてゆきます。

頁49

 グアテマラの人口の六割になるマヤの先住民の人たちは、今も民族衣装で生活をしている。出身地の村によって違う図柄で織られた極彩色の布は、ウィピルというまん中に穴を開けてかぶった貫頭衣と、コルテという巻きスカートになり、老いも若きもへだてなく、農作業でもお祭りでも、みなこの衣装でこなされる。

 たぶん、世界で一番色数が多い民族衣装じゃないだろうか。先住民の人たちが主に働く市場では、どぎもを抜かれる明るさの中で、この世で思いつく限りの色という色が乱れ舞っていた。

こう書かれると行ってみたいですが、はてさてふむう。以上

*1:著者がどっちを採用してるかは知りません。この記事の写真もふしぎ。

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