正直、この映画はホントに多幸感に溢れてるか疑問でしたので、特に厚木でも見なかったのですが、早稲田松竹二本立てのひとつでしたので、見ました。ホン・サンス監督のPD(プロデューサーのことを、この映画ではピーディー、ピーディーと呼んでいる)がこの映画の監督とのことで、それでこの映画がキム・ミニとタメをはることになったみたいです。
あちらが70分でこちらが90分ですから、早稲田松竹としても映画と映画のあいだの換気の時間は十分にとれたと思います。でももう緊急事態宣言解除なので、ホントウに先を読むのは難しいということだと。
なんか、主演女優さんが、ダウン着て着ぶくれしてるのでふっくらほっこりしているようにポスターでは見えますが、背は低いけれど細身の人で、シュッとしてますし、それで髪型がショートなので、あまり多幸感がないかったです。ロックオンされる五歳年下の男性の方が、このたれ目とあからさまないい人感はなんだと鼻白みました。結婚詐欺かLGBTQ?と思ったのに、なにものでもなかった。脚本何度も書き直した末に、やっぱり冒険しなかった感がありありと。バナナマンの日村は整形しまくりと聞いて、整形って二枚目にするためだけにするんじゃないんだと目からウロコでしたが(雨上がり決死隊だった人も最近整形して、テレビに出ないですが目が全然変わりましたし)このロックオン氏もそういうクチな気がします。
なんとかノーマンの映画は見てないのですが、オジュヤシュジローもリップサンビスな気がします。感想書き終えてない山口文憲の本によると、東京物語の戴笠、否、笠智衆は49歳で撮影に臨んだそうで、フケ役って才能だと思います。そばとか焼きとりのある日式イジャカヤになぜ行くのか。てゆーか私のイメージする妙齢の韓国人女性は、スポーツキャップをかぶってカルバンクラインのTシャツ着てるイメージ(そしてパステルカラー)なので、そうでなくてもいいんだとちょっと落ち着きました。
二作目題名候補「チャンシルさんてば欲が深いね」
パロディAV(美魔女という設定)候補「チャンシルさんたら感度がいいね」
沖縄でリメイク「チャンシルぐわチバリヨフリムンさりんどー」
エンディング聞いてると、「チャンシルンボクドマンネ」と歌ってるように聞こえたのですが、それは私の耳が腐ってるだけで、タイトルは「マンチ」(カマキリとは無関係)で、作中の大家さんがパッチムが苦手で、まったくパッチムのない手紙を書き、チャンシルさんはそれが一行も読めずに真っ青になる、その場面は好きです。この映画のタイトルもチャンシルという人名も、パッチムばっかじゃないデスカ。パッチム読めない人のことも考えろハングル(読めるように努力することは出来ますが、書けるように努力する気がない人)
ぬかったので、映画館前の貼り紙を撮り忘れ、公式を映したレスリー。大家の不肖の息子とばかり思っていたのが、なんでレスリーやねんと。近年見た台湾映画のアラサー女子も、いまだにアンディ・ラウの追いかけしてると愚痴ってましたが、こういう偶像を出さないとダメなのかな。キムタクだせばよかったのに。また主人公がレスリーの名前をハングル読みして「チャン・グギョン!!!」と呼ぶのですが、私はレスリーの名前を忘れていて、帰宅してから、ああ國榮はそう読むのかと思いました。で、劇場内で、グギョンって、なんだっけ、湘南にそういう韓国人選手いなかったっけと考え、これも帰宅してから調べ、ハン・グギョンだと思い出しました。湘南ズコリアングギョーングギョーンというチャント。サンガのチャントだと、おっさんおっさんおっとこまえ、になる節で歌います。
ハングギョンは、ホンミョンボが苦言を呈した、日本でコンビニ弁当で強くなれる、プロになれると冷静に考えてそう思うのか、猫も杓子も海外に出ようとする風潮はいかがなものか、の一人だったと思います。
前にもこの日記で書きましたが、私はレスリーは沖雅也みたく「涅槃で待ってる」みたいな遺言残したという香港デマを信じていて、どうもそういう事実はないらしいと分かっても、しつこく、レスリーと沖雅也のシンクロニシティがあるのではないかと直感で疑っています。そんなレスリーが、この映画でひとことだけ漢語をさべるのですが、またこれが北京語で、"不是"なんてレスリーがいうわけないだろうという。広東語ならモーハイじゃないのかなあ、言うとしても。
"不是"は、ふなっしーが「なしじるぷっしゃー!」という、その「ぷっしゃー」みたいな音です。正確に言うと全然違いますが、そういうことにしておいてけさい。以上です。チャンシルさん、福が多そうに見えませんが、そういう歌があって、それをかけてるのかなあ。