『油田地帯での生活 ―回想―』"Life Among the Oil Fields, A Memoir." 『ヒサエ・ヤマモト作品集 -「十七文字」ほか十八編-』"Seventeen Syllables and Other Stories." by Hisaye Yamamoto. Introduction by King-Kok Cheung. Revised and expanded ed. 読了

Primary Source : Rafu Shimpo 20 Dec. 1979: 13, 24-25

羅府新報 - Wikipedia

油井地帯の思い出ということなので、どこならと思いましたが、カリフォルニアのレドンドビーチというところだそうです。

ja.wikipedia.org

現在ではあまり面影はなさげですが、かつての写真を見ると、確かに油井地帯の一面もあったようです。

https://www.maureenmegowan.com/wp-content/uploads/2019/01/3sYzv6kcUmylUFxfyAVBr8t54JrKjCc8XhoixU8lDbAo0kHqTE0X95D7_tBekFXaqYkRkjKkbQe6aeivmOJsoXOOaaEQCfhI8BoUQMtDJcTL9W7kdHolq0XDQTE-xWe376nicUcS

History of Redondo Beach - Palos Verdes Real Estate Agent & Realtor - Maureen Megowan

ロスの不動産屋さんのページにあったレドンドビーチの油井。

Palos Verdes Real Estate Agent & Realtor - Maureen Megowan

下記は、解体されない油井の危険がどうこうという記事。2018年。

easyreadernews.com

油井の写真をいっぱい集めた記事が下記。

The Urban Oil Fields of Los Angeles - The Atlantic

こういうところで、世界恐慌下ではあったのですけれど、あまりそれを感じることもなく、むしろ英語がまだあまりうまくないので、小学校一年を二回やらされることに猛抗議して、地域の教育組織もそこは考慮して、二年目は別の小学校に行くよう手配してたのですが、ヤダということで、また元の小学校の二年生になったりしてます。そうした日常で、現地の駄菓子屋の飴の種類や、親がとりはじめた新聞に載ってるカートゥーン、マンガの種類などをこと細かく記しています。まさにメモワール。

不況ということでいうと、学校のゴミ箱で漁ったバナナの皮の裏の白いところを歯でこそげて食べる子どもを見たと書いてますが、これ、わりと聞く話なので、伝聞が記憶に混ざってる気もします。その子どもたちの容姿は、痩せている以外は"tow-headed"とあるだけで(しかもここは「痩せた二人」と韻を踏んで、"two thin tow-headed children" と書いてあります)邦訳では「淡い黄褐色の髪」となっているので、麻紐のひもくずみたいな髪をそう書いてるのかなあ、じゃあ白人ということかなあ、です。もう一ヶ所、ヒサエさんが弟に買ったキャンディーを、店主が間違ってツレの日系人同胞少女に渡すと、ヒサエさんが抗議の声を上げる間もあらば、ツレは脱兎のように逃げ出して、飴を彼女がガメる場面があります。それくらい。

ヒサエさんは二年生になって得意満面、リスの発音はどうやるのか先生に尋ねたりしていたそうです。これ、むずかしいのかな。いい発音と悪い発音のちがいが分からない。くぐもるとマイナスが増えますが、マイクのせいな気もしますので。

squirrel の発音: squirrel の 英語 の発音

ほかに、近眼の頭痛に悩んだこと、家業のいちご栽培の日誌、食料品をどこから購入していたか、などのこまごまとした記述があります。

P91

Our staples included 100-pound sacks of Smith rice; the large katakana running down the middle of the burlap sack said Su-mi-su.

頁220

私たちの必需食料品として、まず、100ポンド袋詰のスミス米があった。麻袋の中央にス‐ミ‐スと大きなカタカナで縦書きされていた。

キッコーマン醤油五ガロン入りの樽」"five-gallon wooden tubs of Kikkoman soy sauce"を最初読んだ時「樽」を見落として、アメリカはなんでもラージサイズと誤解しました。五ガロンは、一斗と思います。

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バターも使っていたが、オレオのマーガリンも使っていて、マーガリンをバター色に見せるために、紅粉を入れて、マーブル模様にならないよう徹底的に混ぜていたとあります。頁221。イタリア人なんか、今でもマーガリンは体に有害と信じてたりしますが、邦人はわりとすんなりマーガリンになじんでいて、植物性ダカラと私は思ってます。で、誰に見せる見栄か知りませんが、バターっぽく擬装する話は初めて読みました。鼻を近づければ匂いで分かるでしょうに。

下記はまいど、正月の餅の描写。

P89

 But winter there must have been, because there was the benison of hot mochi toasted on an asbestos pad atop the wood-burning tin stove, the hard white cake softening, bursting, oozing out dark globs of sweet Indian bean filling. Or Mama would take out from the water in the huge clay vat a few pieces of plain mochi which she would boil. The steaming, molten mass, dusted with sugared golden bean flour, would stretch from plate to mouth, and the connection would have to be gently broken with chopsticks.

頁216

 こんな土地柄でも、まちがいなく冬はやってきた。ブリキのストーブで木を燃やし、その上に置いた石綿網で焼いたあつあつのモチでお祝いをした。この白くて固いケーキは焼くと柔らかくなり、一部が破れ、なかに詰めてあった黒くて甘いあんこがでてくる。また、ときにはママが、大きな陶器の水甕からふつうの小モチを数個取り出して熱湯に入れた。湯気をあげ溶けてしまいそうになったモチは、砂糖入りのきなこをまぶして食べようとすると、お皿から口まで伸びた。伸びたモチは、箸でそっと切らなければならなかった。

邦訳では「箸」でしかないものが、チョップスティックになると出る色合いを並べたくて併記しました。したっけ、プレーン餅が「ふつうのモチ」になってて、そこも面白かったです。水につけておいてたのは、カビないようにだと思います。

薬は、「流暢に日本語をしゃべる背の高い朝鮮の紳士」から買っていたそうです。頁222。P91, "Medicines were bought from a tall Korean gentleman who spoke fluent Japanese."

このレドンド・ビーチというところは、ウィキペディアを見ると、現在ではかなり家賃ほかが高いところだそうで、ヨットハーバーには韓国の海鮮料理店があるそうです。で、ウィキペディアの人種別人口構成を見ると、黒人は3%弱なのに、アジア系は12%と、ヒスパニックの15%に迫る勢いです。まあ、アジア系と言っても、東アジアのオリエンタル日中韓だけを指すわけでもなく、インド亜大陸から東南アジアも入るわけで。ヒスパニックを除く白人は65%だとか。

Wikipediaより

人種別人口構成
白人: 74.6%(ヒスパニックを除くと65.2%)
アフリカン・アメリカン: 2.8%
ネイティブ・アメリカン: 0.4%
アジア人: 12.0%
太平洋諸島系: 0.3%
その他の人種: 4.1%
混血: 5.8%
ヒスパニック・ラテン系: 15.2%

で、この小説は、評論では評価が高いのかな、冒頭に、スコット・フィッツジェラルドの小説からの引用を置いていて、終盤、ヒサエさんの小さな弟、「ジェイモ」"jemo"が近所の住人夫妻の運転する車にはねられて、(P94, "from where I, terror-stricken, scream my anguished message, "Jemo shinda, Jemo shinda!")幸い脳震盪と打撲で済んだものの、ひき逃げした夫妻は子供の過失を主張し、一切の治療費の支払いに応じないどころか、病院に見舞いにも来ません。P95, "the couple absolutely denied any guilt." "The couple had not even the decency to come and inquire after Jemo's condition." ここでまあヒサエさんは、日本人をなんだと思ってるんだと声を荒げています。めずらしい。ただ、ここで、ヒサエさんは、注意深く加害者の人種特定を避けています。明記しない。この二人の友人の近所に住む人は、"hakujin" と一ヶ所書かれますが、一ヶ所だけです。あとは"neighbor"と書かれる。そのネイバーを、何故か邦訳は、「ハクジン」と数ヶ所超訳していて、これは余計だと思いました。まあ、白人の友人なんだから、公民権運動前だし、黒人ではないだろうな、という。実際の当地の人口比(現在)を見ても、白人の多い土地柄なので、そうだろうな、なのですが、まあ、後味が悪いです。最後、ヒサエさんは、その二人を、フィッツジェラルドゼルダに見立てていて、じゃあその二人はバスタブで密造酒作ったり、ブーツに酒瓶入れたりしてるのかよとも思いました(スコットもそんなことはしませんでしたが、たぶん)やるなら、その二人がどんな奴かもっと書けばいいのに、と。その後二度と二人が乗るオープンカーを界隈で見ることがなかったのを、彼らが別ルートを走って、そこを迂回するようになったからだろうなんて、弱い推測しなくてもいいのにと思いました。こういうのは落としどころが難しい。本当にそう思います。

この話で、ヒサエさんは、父親を"Papa"、母親を"Mama" と呼んでいます。それと、フラットな、"My father", "My mother"を使い分けている。邦訳はそこは原書に忠実で、ママと書いたり、父と書いたり、書き分けています。現在のアメリカ人は、"Dad"とかダディーと父親を呼ぶわけですが、大草原の小さな家、ローラ・インガルス・ワイルダーLaura Ingalls Wilderの"Little House on the Prairie"なんかも"Papa"なのかなあと思ったりしました。そっちは原書読んでません。

en.wikipedia.org

ヒサエ・ヤマモト作品集 : 「十七文字」ほか十八編 (南雲堂フェニックス): 2008|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ヒサエ・ヤマモト - Wikipedia

Hisaye Yamamoto - Wikipedia