『パルチザン伝説 桐山襲作品集』"Partisan Legend" by Kasane Kiriyama 読了

装丁 東山郁夫 読んだのは作品社版初版。

パルチザン伝説 : 桐山襲作品集 (作品社): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

これも山口ブンケンさんの団塊本かなんかに載ってて、それで読もうと思った本だと思いますが、もう定かでないです。なんだろうなあ。あとがきで、この作品がたどった経緯がいろいろ書いてありますが、作者のウィキペディアのほうが、流石に、現時点までの時系列で書いてるので、より細かいです。

桐山襲 - Wikipedia

作者の許可なく作品を単行本化した出版社名を作者はこの本では明記してませんが、ウィキペディアでは第三書館とちゃんと書いてます。

パルチザン伝説 . コペンハーゲン天尿組始末 : 座談会 (第三書館): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

天皇アンソロジー (第三書館): 2008|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ウィキペディアの補足としては、河出は右翼の要求に応じて1980年代には単行本の出版を断念してるとありましたが、新世紀のパラダイムシフトで、2017年に出版してます。

国会図書館の注記によると、河出版は、作品社版の「抜粋」だとか。

パルチザン伝説 (河出書房新社): 2017|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ウィキペディアでは、作品社版は絶版とのことですが、2019年に作品社は著者作品集を出して、そこに本作も入れてます。

第三書館版は、現在電子版もあるように見えたりもしますが、Kindleストアでは出ないので、そっとしておきます。

第二の風流夢譚事件と煽られたそのおおもとの風流夢譚事件では、テロによる死者まで出てますし、犯人の未成年者は山口音矢を尊敬してたそうなので、それと比較すると、パルチザン伝説自体は、そこまでは、だと思います。

嶋中事件 - Wikipedia

風流夢譚を私はコピーで読みまして、その後、2ちゃんねるの過去ログにほぼ全文転がってるのを見てましたが、今は普通に電子版で読めるようです。

幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由 « マガジン航[kɔː]

深沢七郎は、死者まで出たテロにショックを受けて、事件後北海道をふらふらして、それを書いたエッセーも読みましたが、流浪の手記だったか、言わなければよかったのにだったか、書かなければよかったのにだったか、忘れました。が、つげ義春の『やなぎ屋主人』は、網走番外地だけでなく、深沢七郎の北海道を意識してるような気もしてます。

やなぎ屋主人 - Wikipedia

で、桐山襲さんは、本書発表後の騒動の中で、身を隠し、本書ではそれは沖縄ということになっており、現地から書いたという『亡命地にて』というエッセーを出してるのですが、深沢七郎がほっきゃーどーだからワシはレキオ行くでよ、くらいのシャレだったのかなあ、と思います。ウィキペディアによると、これはフェイクで、実際は桐山襲さんは沖縄になんか潜伏してなかったとか。

ただ、ここに書かれた沖縄は、本土復帰前の沖縄に「土地勘があった」というだけあって、めずらしい、内地から見た復帰前の沖縄がちょっとだけ書いてあります。

頁210『亡命地にて』

 一九七〇年の夏、二等船室は海の向こうへ行く若者たちで満ち溢れていた。本当に、床からこぼれ落ちるほどに満ち溢れていたのだ。彼ら――その中にはわたしも含まれているのだが――は、ジーパンにTシャツを着け、大きなザックを担ぎ、これから始まる冒険――海と太陽と未知へと向かう冒険の旅に、ひとりひとりが心を昂らせていた。彼らはオキナワに着けばヒッチハイクをし、ユースホステルに泊り、もしくは野宿をし、酒を飲み、バイオレットを喫い、豊年祭のリズムに全身を打たれ、喧嘩をし、或いは恋をし――米民政府によって許可された三十日という時間を生きていくのにちがいなかった。

復帰前は与論にまでしか行かないかと思ってました。これらの日本青年たちは、米国統治下の沖縄に行くのに、査証は知りませんが、パスポートは当然とって行ったんでしょうね。今はもう野宿とかありえませんが(ルールとして)復帰前から荒らしてたのカーと言う人がいるかいないか。

このエッセー(というかたちをとった、フェイク小説)で、主人公は、沖縄でなく中国に逃亡した方がよかったかな、とごちてます。北朝鮮が選択肢に入ってないのは、本人のいろんなセクトに対する意思の表れ、あるいはこれもフェイクなのかな。しかし北京のほうの中国。矢作俊彦の『ららら科學の子』を、私はとっぴょうしもない小説と思っているのですが、案外身近な世代もいたんでしょうか(団塊

頁229『亡命地にて』

(略)飛鳥不窮 連山復秋色――

「やっぱり、中国の方が正解だったかな」

 わたしは呟いた。

「チュウゴクが何だい?」

「いや――何でもないよ。ちょっと考えていただけなんだ」

「中国とオキナワは近いさ」

「そんなものかなあ――」

「昔から言うさ、“唐は差傘、大和は馬の蹄、オキナワは針の先”――唐の国は傘のようにオキナワを守ってくれるけど、大和は蹴散らかすだけだ――。この前、叔父貴が北京へ行って来たよ」

このことわざはそういう意味ではないそうで、それぞれの国の大きさを指すことばだとか。

沖縄の諺 - Wikiquote

  • 唐や差し傘、大和や馬ぬ蹄、あんせ沖縄や針ぬ先(とーやさしかさ、やまとーぅんまぬちまぐ、あんしぇーうちなーやはーいぬさち)
    • 唐は差し傘(ほどの広さとすれば)、大和は馬の蹄ほど、じゃあ沖縄は針の先だ。
    それぞれの国の広大さを例えたもの。

識名園の楽しみ方PARTⅠ - 沖縄歴史観光


沖縄と地理的に近いのはもちろん中華民國のほうの中国、台湾ですし、人間至る所青山あり、青山すなわちフェイクなり、って感じでしょうか。飞鸟不去穷feiniaobuquqiong, 连山复秋色lianshanfuqiuse. これは王維の「華子岡」という五言絶句だとか。

www.weblio.jp

というふうに、『亡命地にて』は、ほかにもコザの記述など、それなりに読めたのですが、パルメザン伝説というかバローチスタン伝説というかパルチザン伝説は、なあ。

作者の主張である、連合赤軍はもとより、東アジア反日武相戦線狼の特別列車攻撃計画は既に報道された既知の情報で、詳細な計画さえ出版されてるじゃん、だからそれに基づいて小説書いてもぜんぜんおっけーじゃん、というロジックはいいとして、それを叩き台に書かれたこれは、実録小説やモデル小説では全然なく、センセーショナルな事件をモチーフにして、自由自在に想像の翼を広げすぎただけのメタフィクションなので、その浪漫需要あるの?としか言えないと思います。隻眼の天丼とか、いろいろ意味を込めたかったのかもしれませんが、それがひとりよがりになってないとは、どこかで中立的なアンケートでもとってみないと何とも言えませんし、バイアスがかからぬ政治的なアンケートはほぼ200%ありえませんので、私としては、これどうかなあとしか言えないです。

戦争中に、のちの敗戦と連合国進駐を見越して、ゲリラ活動を行っとけば、占領下で競争相手を一歩リードできやん、という発想部分は面白いと思いました。ならもっと、フィクションなんだし、大規模に組織的にやったことにしとけばよかったのに。ひとりふたりで、同人サークル的にすることじゃーないのでは。

『亡命地にて』では、作者の空想でなく、友人の妄言として、三島由紀夫が生きてたらほめてくれたかもしれないという一節がありますが(頁201)ほめないんじゃないかな。開高健の『輝ける闇』も褒めてないんだから。と思います。以上