ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
全二十六話のうちの第三話。今回はたいした話ではないです。小見出し:カワラケ談義 / 女はみなキンチャクになれる / 男のテクニック / まず一人を済度せよ
本書には「パイパン」という表現はないです。でも、麻雀から来てることばなので、本書の昭和四十三年当時、すでにふつうに使われててもおかしくないです。
頁25
だいたい中国には、毛の長さをもって尊しとする風習があるんだ。楊貴妃のは、「引けば二尺におよび、放せば宝珠の玉のようにちぢむ」と伝えられているからな。
そこへいくと、お隣の朝鮮ではまったく反対だな。せっかくあるやつを引っこぬいて、いわゆるカワラケにしてしまう。おれなんか、どっちかというと(略)
いかにも眉唾の話で、一尺は約三十センチなので楊貴妃は六十センチの長さの陰毛があったということになりますが、当時の人は換算しなくても分かったんだなとは思います。青木雄二『ナニワ金融道』、夜泣きそばの屋台業者に潜入する回で、灰原が尺貫法が分かるんで業者に感心される場面を思い出しました。韓国の話は知りません。日本の女郎さんも、ケジラミ予防や洗浄の簡便さの目的で、抜くのみならず、永久脱毛として、毛根を線香で焼いたりするとは以前やっぱり好色文学で読んだことがあります。
この前の箇所には、現代ではナントカ禁止用語にあたる言葉が使われた古川柳が登場し、その前の部分では、男性は他人のを盗み見て、大小に一喜一憂するが、女性はそういうのはないと書く。で、ここのあとでは、縁起をかつぐ稼業、株屋なんかはパイパンを「おすべり」と言って嫌うので、つけヒゲをする福岡のくろうと女性が登場します。
ガマサンはドイツで象牙の塔の住人を集めたパーチーを開き、ドイツには女性器を分類した学問はあるかと訊き、ゲルマン民族の学者たちから、逆に日本はどうなんだと聞き返され、タコ、キンチャク、カワラケ、カンヌキ、アタゴヤマと歌を歌います。前垂れ、なかでもよいのが饅頭ボボ、で終わる歌とのこと。ガマサンはあいだの名詞を少し省略してるので、検索し、「上付き下付き毛長に」前垂れが全歌詞と分かりました。それぞれの意味も、検索で出る個人の方のブログに書いてあったりなかったり。歌を聴いたドイツの学者たちはショックを受け、日本の生活科学は世界一だとほめそやします。
藤城清治の無駄遣いな本書挿絵ページ。女性を楽器に例えたのはバルザックだそう。
そこから「花電車」発祥にはガマサンもプロデューサーとして一役買ったとの経験談が登場して、終わります。最初に筆をもって書いた字は「忠孝」だったとか。私は花電車という言葉自体知りませんでした。ピンポン玉の「海亀の出産」なんかは、かつての黄金町でポラロイド写真をご祝儀で買わされた人から見せてもらったことがあります。写メの登場、コピーと送信が容易になったことで、こうした見世物はヤメタという感じになったという気もしますが、今でもストリップ劇場、ほそぼそとありますし、どうなんでしょう。ルールが守られているところでは続いているのか。
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上