ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
章題:ゆるフン礼賛の科学的根拠 夏の夜ばなし 家康流でいこう 女は天びん棒でどやせ
私はフンドシなぞ一度か二度くらいしかしめたことがないので、チベット支援NPOの物販サイトに、なぜかインド麻の褌が売られているのが不思議でならないのですが、ガマサンはさすがこの方面でも基礎教養が身についてる世代で、六尺と越中の二種類があり、六尺は緊褌一番というくらいで捨てがたい味があり、一般的なふんどしといえば六尺だったのだが、実は越中のほうがよいんだそうです。睾丸をぶらぶらさせることが出来るので、通気性の点からも温度調節の点からもとても具合がいいんだとか。
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ただ、往々にして用もないのにとび出してきて、持ち主をあわてさせることがあるが、これなどご愛嬌だ。けっして憎むべきことがらではない。
「なにがやねん」と突っ込む人はかまとと。
その後、越中は開放的、開放的と言えば夏の夜、夏の夜と言えば夜這いで、夜這いの話になります。高見山ジェシーはニバーイ、ニバーイ。ここから先に書くのは、ヨバーイ、ヨバーイ。yoasobi。
「夕べ夜這いさこいて戸さガモはさんだ」というソーラン節の紹介と、鹿児島は指宿温泉に近いある集落の夜這いの風習が語られます。その集落は夜這いを「夜ばなし」と呼び、夜這いをする青年を「夜ばなしニセ」と呼んだとか。ここの夜這いは、ふたつの特色があるそうです。ひとつは、青年小屋から夜這いに出発する青年は、必ず「下駄持ち」と呼ばれる年下の従者を連れて行くこと。下駄持ちは露見時裸足で遁走する先輩の履物を持ち帰る役目を担い、かつ先輩の口説き方をちくいちつぶさに観察し、その技術を自らも会得し、のちに実践し、後輩へとつないでいくという壮大なサーガ。もうひとつは、その近在の年頃の娘は、父親と母親のあいだに川の字に寝ていて、夜這い青年は、両親を起こさぬようことに及ばねばならないこと。そんなの不可能だべ、というそのとおりで、娘さんは求愛者が気に食わなければ父親を起こし、父親の枕元には外敵の侵入に備えて常時薪ざっぽが置いてあるので、それをひっつかんで青年の頭をポカリとやるわけです。娘さんが、ヤリたくはないけれど、若者がフルボッコにされるのはしのびないと思ったなら、母親を起こし、母親はアレーと父親を起こすので、そのタイムラグを利用して、青年は逃走出来るという。娘さんがセックルしたい場合は、さいごまで寝たふりをして、挿入後に目が覚めたていをとって、もうこうなったらどうしようないわ的演技をし、父母は、自分たちもいつか来た道なので、横でさかったアニマルたちがへこへこやってても、じっと我慢の子で寝たふりを続けるんだそうです。
たぶん話としては面白いけど、例外も多数あったと思います。
この後はそんなに面白いことは書いてないです。恐妻家の財界人を集めて性器を調べたらみんな包茎だったので、手術を奨励し、手術後、すぐにではなく、数年たったら自信がついたという、どこかの業界団体の回し者みたいなことを書いていたり、淫乱談議で、阿部定*1のクリトリスは七分五厘で、高橋お伝*2は一寸五分だったと書いてみたり、女は「口説く」のではなく「扱う」ので、外泊をオッケーさせ、一緒の入浴をオッケーさせれば、それはもう許したということなので、それまではほめてほめてほめまくれと書いていたり。う~ん。包茎者の具体的な名前まで書いていたらまだ面白かったのですが、さすがにそこまで放談は出来なかったか。以上
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*3の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上