Let women get acme at whose top of heads.第四話-女の脳天をしびれさせよう『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)KAPPA BOOKS

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

「女の脳天をしびれさせよう」をそのままグーグル翻訳すると、"Let's make a woman's mind numb" で、薬物を使ってそうしたみたいな表現になるので、"electrifying"なのかなあと思いましたが、それだと「ときめかせよう」というヌルい表現になってしまうので、てきとうにオーガズムかアクメを入れようと思ってこうしました。グーグルのAIは穏当なので、すぐに"acme"を"acne"(ニキビ)のマチガイではないかと、訂正を要求してきます。紳士だなあ。それにひきかえ、"numb"をスペルミスして"nmb"になった時、検索結果がいちめんナンバフォーティーエイトになったので、ユーイントゥーナンバフォーティーエイト、ソーザッツ麻痺You into NMB48, so that's numb、みたいな語呂合わせが出来たりするんかいなという感じで、こわいです。

この話は前後で矛盾があって、まず、男はいくつになっても若い女にフラフラするような浮気心があるが、女にはそれがない理由として、「女は粗衣粗食粗品に耐えうるようにできている」としています。しかし途中で三木武吉が登場し、男っぷりもよくなく、金もない武吉がなぜ六人も愛人がいたのか(四国の選挙演説で聴衆から、指導者に五人も愛人がいていいのかと問われ、六人と訂正したうえで、断絶して路頭に迷わすのがいいか、ずっと責任をもって世話を続けて生活を保証すべきか、逆にその聴衆の見識を問い、満場喝采となってトップ当選)その秘訣は「男でもほれぼれする」彼のイチモツにあったとして、こう続けています。

頁39

 だから、おれは、そのとき、三木の女たちは彼の気っぷにもほれたろうが、やっぱり本命はこれだったんだなと思った。女というやつは、理性だけでは絶対ついてこないからな。

 もちろん、あるていどはそういったものもモノをいうが、けっきょく最後には、金も理性もクソくらえということになってしまうんだ。

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「彼の鼻はあぐらをかき、奇怪というほど大きかったが、差料のほうもそれにおとらぬみごとな業物だったな」

ガマサンは三木武吉との比較で、吉田茂宰相のこりんちゃんと藤山愛一郎の名前を出してますが、後者はお相手の名前を書いてないし、前者は後妻になったんだから、ええやないかということで。かなぶんのケニチ先生展や、そこでの国葬動画でも、こりんちゃん出ませんでした。麻生サンの義理のオバーサン。

こりん 坂本喜代(松嶋菜々子)|キャスト|アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~|テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ|出演:笑福亭鶴瓶 生田斗真|テレビ東京

畠山みどりの歌ではないが、という出だしで今回は始まっています。

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頁41

 どんな大学を出た女でも、理性のかたまりのようなやつでも、一度頭の毛がしびれるようなやつを一発くらったら、理性もへったくれもなくなる。それについては、ある女が、いつかおれにつぎのように告白しておった。

「はじめは腰がしびれてきて、そのつぎに頭の毛にくる。そして、頭の中に穴があり、そこから魂がぬけるような気持ちになる」

これが、粗食に耐えてるような状態だと、「焼け火箸でジューッとやられたような気持ち」程度の快感が得られれば御の字くらいなんだそうで。こういうのを読むと、女性は子育てをして、男性は浮気するというのも、あてはまらない時代になってるんだか、なってないんだか、と思います。ガマサンは、国策パルプのほうかヤクルトのほうか分かりませんが、入社前の社員に、ほんとうの親孝行がしたかったら、母親は子育てだが父親は若い女だから、父親には若い娘を世話しろ、それが親孝行だと一席ぶって、母親から入社拒否の電話がかかってきたが、その後で父親から感謝と息子の入社辞退撤回の電話がかかってきた話を書いてます。

男女が何回イケるかの回数のちがいは、誰でも分かる話ですが、ここでガマサンが虚勢を張って、若いころは何回も射精出来たとか言わず、吉原のショートで必ず二回抜いたセコい客だったが、「三の矢をつがえることはできなかったな」と正直に書いています。

ガマサンは千葉のゴルフ場に行くんだそうで、キャディーさんたちに、亭主はちゃんと妻に奉仕してるのかと聞き、してないと回答され、ついで、東京の男性はするものなのかと訊かれ、イエスとウソをつくと、東京に嫁げばよかったと後悔されます。

頁37

「おれは、人の女房以外の女は、みんな自分の女房だと思っているんだ。」

このひとことで三木武吉と南喜一さんは刎頸の交わりとなったそうですが、女房のほうも、給料を持ってきてくれる亭主以外に、いいこんころもちにさせてくれる恋人ガーとか、そういうふうに話をもっていかない点が、ゆるぎない自信でよろしいですと思いました。

小見出し:男はすべて一辺倒 / 男の甲斐性 / 三木武吉のヒミツ / 「男の力」

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上