ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
しばらくほかの感想を書くつもりが、諸般の事情で昨夜、えいやでひとつ感想を書いてしまったので、また続けます。ごめんなさい小学生。
今回は最後しんみりしました。グーグル翻訳で英題つける際、「フロ」でなく「風呂」で変換したので"Bath"になりましたが、「フロ」で変換すると"floor"になります。出だしは冬の風物を古川柳で楽しもうという趣向で、「瓜田より炬燵の足の疑わし」「炬燵にて毛雪駄さがす面白さ」「亭主の手握ってすまぬ炬燵なり」三連発でムードを煽っておいて、北海道で馬橇に乗った時、牝馬が目の前で放尿したその大きさが一尺(約差三十センチ)で、しかも呼吸するかのようにパカパカ音を立てていて、そのせいで北海道の女性を見ると三十センチが目の前でパカパカ放尿状態に陥るという、This is MatchPompのお手本のような文章でした。
熱き心に。
中国に限った話ではありませんが。中国批判の力強いヒューマンリソースと思ったら、邪教禁教の沙汰を受けた意趣返ししか考えてないカルト信者だったり。
馬並みから性器の個人差に話が飛び、ガマさんは学生時代吉原病院の代診で数千単位の女性器を見ているので、ひとつとして同じものはないと自信を持って断言しています。それに比べると男性器は変化に乏しく、「チン景は二十景、マン景百景」チン景はマン景におよぶべからざるそうで、
頁166
これは実際にある財界の大物が言っていたことだが、彼の後任として社長に据えた男のものがあんまり粗チンだったので、「あんなんなら、社長にするのじゃなかった。」と嘆いていた。アソコの大器は、人間の大器にも通じるというわけだな。
(略)
名まえを言えば、だれでも知っているこの男のなどは、ひとたび怒張すれば、垂直に立ち上がり、みずからのヘソをぴちゃぴちゃたたくというしろものだ。(略)
(略)
(略)外見だけでも百種以上、扉をひらけばさらに千変万化といわれる女のものを、よく調べもせず、眺めもせずに、いたずらにコトを処理するのはなんとももったいないことだからだ。それをつらつら眺め、たのしむようでなければ、これをつくった造物主に申しわけのないことである。理屈はともあれ(以下略)
その後が入浴の話で、章題の「入れるな」だけ見ると、片方だけの話のようにも見えますが、なかみは女男りょうほうの話で、「男の汗くささというのは、女にとっては頭のてっぺんまで吹きとおすような爽快感と満足感の得られるものだからな」から始まって、ヒゲも剃ってはイカンゴレンという話になります。
頁170
(略)ほんとうに男を知った女というのは、そのとき男の頬髯などをさかさになでるものだ。べつなところで、いま一度男をたしかめたいとする気持ちがはたらくのだな。そういった心理がわからぬようでは、女の魂を天外にとばすことは不可能である。
こういうのを読んで、不潔礼賛もほどほどにしよし、と怒り狂う女性も多いかもしれません。ヒゲがどれくらいチクチクするかは、下の毛を剃ったあと、線香で毛根を処理しないで生えかけになった時のことを考えれば、分かりそうなもの(私は分かりませんが)
前にもどこかに書きましたが、中国で夜ラジオを聴いていて、電話お悩み相談コーナーで、農民の夫が畑仕事の後、手を洗わずに営みに入るので、デリケートな部分に雑菌が入って、アカンです。どうしたらいいでしょうか(我该怎么办呢)という質問があり、回答者が、"其前让他洗洗手就是了。女性的这个部分十分纤细,小心摸摸干净摸摸, 是应该做的男人责任。"
粗チンハラスメントの後は、静脈の細い女性は快楽経験が少ないという話になり、
頁170
おれに言わせると、そんな女性は、一度頭のてっぺんがしびれるようなのをしてもらうと、いっぺんで治ってしまうものなのだ。料亭などで、おれがこんな話をすると、たいていの女は、
「あら、あたしも治してもらいたいわ。」
といって瞳をかがやかせる。それを聞くたびに、おれは世の男性たちというのは、どうして女性にこうも不親切なんだろうかと思うよ。頭のてっぺんがしびれるようなのを一度もしてやらないんだからな。
私が本書を読んで面白いと思うのはこういうところです。
その後は、大女と小女の比較の話。
頁171
おれに言わせると、女はやはり小女だね。大女は、たったひとつの冴えたやりかた(正常位)しかできないが、小女は前後左右どこからでもこいだからな。終戦直後、大男の進駐軍がベビーサイズの日本女性をぶら下げるようにして歩いていたのは、この間の事情をものがたるものだろう。
そういう理由じゃないと思いました。エロキチでも財界人。その後で、鎌形赤血球がマラリア猖獗地帯では劣性遺伝でなく優性遺伝になるかのように、戦争中の軍隊においては、出征前の最後の面会、最後の逢瀬は便所であわただしく行わねばならなかったので、立位以外何も出来ず、そうなると立位に向いた、背の高い女性(大女)が大いにもてはやされ、恋人にするなら大女という風潮が、というような話が、まことしやかに語られます。立位しかない世界。もしもボックス。
その後で、例の、しんみりする話になります。ある太った大きな女性が、ガマサンにその方面の期待を寄せ、ガマサンも好意に応えんと奮闘努力するのですが、どうにもうまく出来ず、14センチ半のガマさんが挿入出来なかったのだから、そりゃあ難しいなあという状況下で、彼女はやるせなくひとりでマスをかいていたそうです。その後、彼女は会うたびに太っていき、「マスぶとり」とも言うべき状態になったそうです。この女性が、ガマさんがただ一人、頭のてっぺんまで痺れさせてやることが出来なかった女性だったそうで、哀れみとも悲しみともつかぬ感情に襲われたガマさんは、以後同タイプの女性との付き合いは金輪際すまいと誓ったとか。戯れに恋はすまじ。《路边的肥花不要采》彼此彼此。
小見出し:北国の巨穴譚 / チン景はマン景の敵にあらず / その時女をフロに入れるな / 大女と小女
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上