『黒と誠 ~本の雑誌を創った男たち~』"Kuro and Makoto ~The men who created Hon no Zasshi~" 2⃣ by Shinsaku Kamimura カミムラ晋作 読了

―――追悼 目黒考二――― 私を見据える眼鏡の奥は笑っていなかった。 なんだか冷たそうな人だな、というのが第一印象だった。 (中略) ぜんぜん冷たくなんかない。 ものすごい熱い人だ、この人は 浜本 茂 「本の雑誌」編集発行人

帯大事です。

「COLORFUL」というサイトに2022年9/12日、9/26日、10/10日、10/25日、11/10日、11/25日、12/12日、12/26日、2023年1/10配信したのが初出。【装幀】PAGUO DESIGN

『黒と誠』で描かれているのは、私がまだ出会う前の目黒考二であり、ただただ本を読むだけで暮らしたいと願っている破綻した三十代前半の独身男である。 この社会性ゼロの青年が椎名誠という相棒と出会い、本の雑誌を創刊し、会社をつくって社長に就く。 結婚して子どもができる。 本を読むことしか能がなかった青年が否が応でも社会に向き合っていくようになる。 そして結果として、一日の大半を本を読んで、原稿を書いて人にその面白さを伝える、 という夢に描いていたような人生を手に入れるのである。 これぞ、目黒が好きだった成長物語ではないか。 「本の雑誌」現編集発行人・浜本茂の「『黒』のこと」を収録。

帯裏 これの全文が巻末に入ってます。

左は、カバーとった表紙裏。

早くも一巻の感想で私の模造記憶が発動しており、読み返したら、漫画原作は本多健治サンの発案でなく、目黒さんの提案で、しかもシーナサンは別に会社辞めてないかったです。

『さらば国分寺純情商店街のオババ』の作者はねじめ正一だと思ってました。どうも混同が激しい。

上司の山森さんの喧嘩自慢とハッタリについて、シーナサンの近刊『失踪願望』で読んだばかりなので、この漫画の、敬意を払われるキャラとのギャップに悶えました。長年シーナサン読んでる読者ならなんとも思わないんでしょうけれど。

これも一巻の感想で書き忘れたことですが、目黒さんは野球部で、椎名サンは柔道部。体力勝負の出版業でチャンとやっていく素地は出来ていた。

一巻で、シーナサンについて、オジサン構文、昭和軽薄体の元祖とありますが、ほかにもいるような。二巻で出て来るアラコーとか。この人の本名が祐乗坊英昭とは知りませんでした。まあ、村松友視糸井重里鏡明津野海太郎(晩婚)など、そうそうたるメンバーが似顔絵付きで出てきますので、誰もかれもがオジサン構文で昭和軽薄体な気もしてきます。関川夏央サンやボーツー先生は出ません。

頁59

日本「よせて、あげるブラジャー」

台湾「是溝影、更是深深的勾引」

○○的という言い回しにシーナサンが開眼した台湾出張で目にした広告だそうですが、これ、ぜんぜん日本語の中文訳ではないです。「この谷間は、さらには深く魅了する」とでも訳せばいいのか。胸の谷間のシルエットを示すであろう「溝影」が"gouying"で誘い込むの「勾引」が"gouyin"なので、韻も踏んでます。

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本の雑誌をごく初期から置いている本屋の所在地に小田原が入っていて、そんな書店あったのかと驚きました。今でも小田原にはマンガがいっぱいある書店がありますが、そこか別の店か、何も分かりません。神楽坂も、私の記憶では書店がぱっと出て来ないのですが、そこは別に。馬場は芳林堂で池袋はジュンク堂でしょうか。お茶の水の茗溪堂が最初の三店のうち、私が唯一知ってるお店で、初めて入店した時、中公文庫のチベットものがずらっと並んでいるのに、雷に打たれたような衝撃を受けたのを覚えています。

「山の本屋」茗溪堂 御茶ノ水店が休業 | 山と溪谷 編集部ブログ | 山と溪谷社

石の家、私の記憶は半地下の店なので、何もかもが違うんでしょう。田村雅之という人の連載中止だけ実名が出ますが、目黒サンがボツにしたかった記事の作者も分かりませんし、本多さんがとってきた、義理も絡んだ原稿をシーナさんが勝手にボツった、その作者名も不明、原作のマンガも不明。カミムラさんのデッサンは時々、小学館に持ち込んだら編集者がどういう顔をするか見てみたい感じなのですが、今はもうありえない、黒電話を持って話す時のデッサンが相当アレだと思います。ここでのアレはもちろん阪神優勝の意味ではなく。

架空座談会というか架空会話は、はてなブログでももっとどんどんみんなすればいいと思います。頁181の交換広告の相手一覧に、「だっくす」が注釈ぬきで出ていて、おおと思いました。のちの「ぱふ」で、なぜ私がそれを知っているかというと、「ぱふ」創刊号が諸星大二郎特集号で、『昔死んだ男』が載っていた、その号で、「だっくす」は「ぱふ」に変わりました、と中で告知していたからです。私はこの号を、入手してから二、三年後にもう閉店してしまった相武台前の古書店で買いました。というか、入手出来ないか打診して、高いのならすぐ手に入ったのですが、市場に手頃な出物が出るまで待って、出たので連絡もらって買いに走ったです。なつかしい。同様に「奇想天外」などにも思い入れのある人はいるでしょうけれど、私はほかは特にないです。

ダ・ヴィンチ」が出て来た時の「本の雑誌」について描くところまで、やってほしいと思いつつ、