中原尚哉訳 2014年3月に"Zui Novel"という雑誌で発表されたそうで、《罪小説》《嘴小説》かと思ったら、《最小説》でした。同年 "Upgraded" というアンソロジーで英訳発表。
トントン、女の子です。いやあ、女子とは思わなかった。この小説のトントンはnver。
ホウシャオシェン監督のほうのトントン、冬冬は男の子。冬冬をトントンと書くのはあさっしんぶん方式のカナ表記、有気音無気音は清音濁音にあらずルールのカナ表記ですので、読売新聞方式で書くと、ドンドンの夏休みです。
台湾でも、日本のウドンを音訳(國語)して「烏冬」と書いているので、「冬」が「ドン」であることにほぼ異存はないはずです。
私はホウシャオシェン監督の方は見てません。本作は「夏」〈夏天〉ですが、ホウシャオシェン監督の方は「夏休み」〈暑假〉です。漢語だとちょっと違う。
考えたらこっちも見てないなあ。さらにいうと、フンクイの少年も見てません。で、本作とこれらホウシャオシェン映画はぜんぜん違います。
ついでに言うと、別にホウシャオシェンサンと書かなくてもいいのですが、こうこうけんサンと書くと、ノーベル賞作家高行健サンと同音になってしまうので、ホウシャオシェンサンはなんとなくホウシャオシェンサンと書いてます。作家さんのほうはガオシンジェンサンとは書きません。世界のハルキ・ムラカミ似と勝手に私が思っているホウサンは外省人なので、國語読みで問題ないし、むか~しポンキッキーズに録画出演した時も、「日本のみなさんおはようございます、ホウシャオシェンです」と自分でゆっていた。等々もろもろの理由から、侯孝贤監督を私はホウシャオシェン監督と呼んでいます。ツァイ・ミンリャン監督もそう。でも、チェン・カイコーは原音と離れたカナ表記なので、そのようには呼びたくありません。映画監督も芸能人なので、原音に似てるんだか似てないんだかのカナ書きの時代が、あった。です。カンヌグランプリ《鬼子來了》の姜文監督はチャン・ウェンだとおかしいのできょうぶんと呼びますし、ジャ・ジャンクー(贾樟柯)監督とか、刁亦男(ちんちんまたお)監督とか…
日韓に続いて、相互読みする時代が来るかと思ったけど、そうはならなかった。中国が、いつまでか知りませんが、とうぶん、邦人の名前を原音に即して読みそうにないので。日韓は、そもそもが、韓国は邦人名を日本語読みしていた歴史的経緯があったわけで、それなのに日本は「りしょうばん」「ぼくせいき」「ぜんとかん」で、変じゃねと、'88あたりでしょうか、向うから申し入れがあって、それもそうだな、(アメリカ人と韓国について話をする時も噛みあわないし)と、ノテウサンとかキムヨンナムサンあたりから、言い方を変えてったはずです。だから、盧泰愚サンの日本語読みをふつうはピンとこない。
本作は、ロボット技術の向上で、介護者が介護ロボットをリモート操作して複数の在宅利用者さんの面倒を見れるようになったり、利用者サン自身がパワードスーツを着てそれまで筋肉の衰えなどで出来なくなっていた作業を前より全然出来るようになって、利用者サン同士の相互介護も始まるという未来の話です。
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もちろんこの計画には危険もあります。すこし考えただけでも、プライバシー、セキュリティ、犯罪者によるテレプレゼンスの悪用、誤動作、事故などの懸念があります。でも技術的変革はすでに起きたのですから、結果を受けとめ、望ましい結論に持っていくべきでしょう。
原文を見ると、おじいちゃんは父方の祖父〈爺爺〉ではなく、母方の祖父〈外公〉と書かれています。で、口ぐせの方言「心配いらん!」は"没的事诶!" 下記を見ると、陝西省の漢中当たりの方言と出ますが、真偽のほどは分かりません。
おじいちゃんが口づさむ歌の人は下記で、北方楊将伝(名回答「プーソーへ行け」で知られる人生相談「風に聞け」北方謙三の楊将伝)は私も読んだはずですが、完全に忘れてます。
王瑶サン(かかサンの本名。批評などではこっちを使うとか)が本作発表前に上記のいましろたかしのマンガを読んだ可能性は0.0000%。以上