ウィキペディアによると、満州族で、赤峰出身です。ケン・リウサン紹介文によると、中国におけるお茶の歴史をコーヒーに置き換えたパロディとか、ジャンヌ・ダルクを主人公にした武侠小説など、翻訳不可能なタイプの、ドメスティックな小説を多く書く人だとか。立原透哉サンの紹介はそれとは異なり、幅広い作風で古典の豊かな知識があるので、日本でも人気が出そうとのこと。ケン・リウサンは西洋人向けに紹介文を書いたので、漢学の素養がないとマー・ボーヨンは㍉と切って捨てて、立原透哉サンは漢字文化圏の豊穣な文化共通具合を信じてるので、日本なら大丈夫と思ったか。
本作は2005年〈科幻世界〉発表だそうですが、当時の検閲を突破するために、舞台をニューヨークにするなど、幾つか改変を試みていて、英語版発行に際し、著者と翻訳者(ケン・リウ)と相談の上変更点は本来のかたちに戻し、さらに英語圏の読者向けに追加で変更を加えて英語版としたとか。ハヤカワ文庫版は英訳からの重訳なので、当然原書とは異なったということデス。百度の内容紹介を自動翻訳すれば、中文版はだいたいこんな感じかと分かるかも。こんなのアメリカで出してもウケない。
邦訳や英訳だけでなく、原文のアウトラインも踏まえた上で、鳴庭真人訳の、ケン・リウの紹介文をもう一度噛みしめたく。2005年、胡錦濤時代の発表ですから、意外と余裕を持って、笑いながら書いてた気もしますし、そうでない無意識下のプレコグニションがあった気もしますという。
頁200
政治的背景を考えると、この物語を中国政府のあからさまな風刺として読まずにはいられないかもしれないが、その誘惑には耐えることをお勧めする。
欧米のサイトでは、引っかかったというか、誘惑に1㍉も耐え切れず、マー・ボーヨンのこのディストピア小説の世界は作中のオーウェルの1984ガー、みたいな批評がたくさん出ます。「みんなまんまとだまされたでしょう」©コンフィデンスマンjp そうしたサイトがなべて作者名を、ファミリーネーム+オウンネームで書いていて、ボーヨン・マーと書いてるのがひとつもなかったのも時代の流れだなと。あるいはここ十数年に渡る、中国の文化的反転攻勢の成果物のひとつ。ぼよよんぼよよん。
中原尚哉訳。主人公名の「アーバーダン」がまずなんだかよく分かりませんでした。中文では《阿瓦登》、同名のRPGがあって、それの英名は"Avadon"なのですが、ケン・リウサンによる英訳は"Arvardan"で、アシモフのファウンデーションに出て来る人物と同名でした。そういうのも分かりませんが、まずカタカナの段階で、迷い道くねくね、悩みました。
حادثه نیشومارو - ویکیپدیا، دانشنامهٔ آزاد
イランの地名がどう関係あるのか考え、おそらく関係ないだろう、ひょっとしてアーバーディーンと読むべきなのかと邪推してみたり。
ヒロインのハンドルネームはアルテミスで、これも、チベットによくある名前、「ダワ」が月の意味だから、誰かのことだろうかと考えますが、それは考えすぎです。そんな話ではない。
お話としては、のっけからこれでもかこれでもかとディストピアが過剰摂取で、そんなサービスいりませんと思いました。ゲップが出そう。絶対わざと既知のディストピア社会を詰め込んでる。ネタバレで最後が台湾でもマレーシアでも失敗した山村工作隊みたいな感じになるのですが、この小説も、(注)を検索するかしないかで、まったく読後感が変わります。それってどうかとも思いますが、そういう小説なのでしかたない。かかサンのロンマーの註は作者註ですが、この小説の注は、誰がつけた注なのか分からない。
(注1)わたなべひろしは、日本の実在のアニメーターの名前でもある。
この人が32歳で、ぼさぼさ髪で無精ひげでシャツからはすえた臭いが強くただよい、妻はウェブ中毒だと毒づき、
頁216
「ファックしてやる! 畜生の子め!」
と叫びながら警官に制圧されます。”我肏TA妈!畜生!“とでも言ったんでしょうか。あまり邦人ぽくない毒づき方だと思います。バゲヤロミシミシ(馬鹿野郎、飯飯)と言わせるわけにもいかなかったのでしょうが。これは何をどう内輪受けしてるのか、分かりませんでした。
ヒロインがアルテミスというハンドルネームを持っているように、主人公アーバーダンも、ワン・アルというハンドルネームを持ちます。ふたりはディストピアにおける隠れ家的な秘密クラブの会員で、そこはフリーセックルの場でもあります。
(注2)王二ワン・アルは、中国人作家王小波ワン・シャオボーの作品に登場する主人公の名前である。
知らない人がこれだけ読んでも、( ´_ゝ`)フーンでしかないのですが、人類第四の発明、検索を使うと、傷痕文学の相反なんだと分かります。
勉誠出版から邦訳が出ていて、アマゾンレビューによると、
文化大革命で農村に行った20歳のちんぴら青年が、夫が投獄されている26歳の女医を騙してひっかける過程、それが「ふしだら」とされて、批判対象にされ、始末書を書かされる過程、逃亡する過程などがジョークだらけで描かれたものです。
だそうです。
監禁されて始末書を書かされた。しかし20年後、北京で再会した二人は往事を回想し、あのころが「黄金時代」だったと語り合う。
実は文革も人によりけりで、ヤラレル側の中にも、それなりに楽しかった人は存在したと。これが、さらに本作では逆説的な展開となって、苦い味わいが残る仕掛けともなっています。アルテミス、かわいそう。下記のようなことが起きたということであってもおかしくないなと。
あるいは下記の本でロシアの警官がやってたこととか。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
ネタバレですが、百度に原書のさいごの文、ボロボロになったアルテミスと偶然すれちがう場面が載ってるので、邦訳と併記します。
頁260
結局、アーバーダンは沈黙を守った。無表情のアルテミスのかたわらを通りすぎ、先へ歩きつづけた。そのシルエットは遠ざかり、おなじく無言の灰色の人ごみに消えた。
都市全体はさらに深い沈黙に呑まれた。
“于是,阿瓦登只好保持着沉默,默默的与面无表情的她擦肩而过,继续向前走去。他的身影逐渐融入同样安静的灰色人群中,整个城市寂静无声。”
ここ、「彼女のひとみにはまだ輝きがのこっていた」とか「ことばを発することは出来なかったが、アーバーダンは彼女の手にふれた。そっと手をにぎって、歩き出した。彼女のひとみに、徐々に輝きがもどってきた」とか、そういう展開じゃないんですよね。甘いロマンティシズムをここで排して、それでよかったのか。ここだけ、書き手が冷たい気がしました。日本のアニメーターから何か啓示を受けたわけでもないでしょうに。以上
【后报】
(2023/07/17)