『地球の長い午後』"HOTHOUSE" or "THE LONG AFTERNOON OF EARTH" by Brian W. Aldiss ブライアン・W・オールディス 伊藤典夫訳(ハヤカワ文庫SF)読了

チベットをひとり馬でゆく、の、つれあいのじいじの近刊*1に著者が出て来るので、代表作?を読みました。

原題はホットミルク否ホットハウス©藤井隆ですが、伊藤典夫サン訳者あとがきによると、日本語としての「すわり」を考慮して、米国ペーパーバック版タイトル、ロングアフタヌーンオブアースを日本語タイトルにしたそうです。伊藤典夫サンは大森望サンではないので、「○○をお届けする」の一文であとがきを始めません。

Hothouse (novel) - Wikipedia

読んだのは1987年の十二刷。こんな表紙。カバー・角田純男

初版は1977年ですが、その前に別版が出てます。

ヒューゴー賞受賞!」

正直、この本は、「インドでわしも考えた」のじいじがたびたび言及しなければ、そんなに若い世代から再読されないのではないでしょうか。逆にいえば、何がじいじの琴線にそんなに触れたのか、そっちの方を気にしなかがら読むが吉です。女権社会における男根主義者の物語がオモシロイと思うのか、「群れ」に背を向けアウトローとして離脱する少年の冒険心にシビレるのか。

小林まこと青春少年マガジン*2を読んだ時思ったのですが、世の中のスポーツ万能な運動部部活少年の中に相当数、文系がとても好きな人たちがいて、創作への飢えた思いを絶えず持ちながら放課後日が暮れるまで練習し、受験勉強し、進学してゆくんだよなあということ。

左は表紙の写真に、ペイントの新機能「背景の削除」を使ったところ。

私の母校の同級生のピッチャー(レギュラー)はガラスのエースと当時言われていて、打たれ弱いとの評価があったのですが、彼は部活引退後、芸大進学を目指して美術室に日参して絵画制作に没頭し出したです。私は彼と面識はなかったのですが、たまたま彼の絵を見て、宙に舞う羽毛の一本一本を丁寧に面相筆で描くような繊細な画風で、たいそう驚きました。そんな感性が野球部で投手と両立してたのかと。しかし精密な絵を描き続けるには長時間集中力を保つことが必須であり、そのためにはスタミナがあったほうが当然有利ですので、日々の基礎練で培った体力を一面に舞う羽毛一本一本の執筆におしげなく使う姿勢を見て、こりゃおえん、好きこそものの上手なれすぐる、と思ったです。間違ってもタロー・オカモトや棟方志功のようなヘタウマ路線の豪快さんは狙わない。

仙台一高校の校訓は文武両道で、OBが私に耳打ちして、「仙台二高は二兎を追うだけの実力がないので、文武一道なんだ。校訓が」と言ってくれたことがあります。それはよけいな知識ですが、天が二物を与えた人々は、すなおにうらやましい。私は文武無道。故・織田無道は厚木のしと。田崎真也は幾徳工業だが相模原。2021年の流行語大賞は二刀流。

巻末広告。『重力の使命』はむかし勧められたのですが、けっきょく読んでません。宇宙の戦士然り、非Aの世界然り。幼年期の終わり然り。ヴァン・ヴォグトを貸してくれたひとは、私のようなにんげんにはSFが必要だと確信していたらしいのですが、自身もまた日本のコセコセした人間関係、職場を嫌って、飛び出して、メキシコに移住してしまいました。その後は知らない。

本書はアメリカのしこしこ少年たちのジュブナイルとして素晴らしいんだろうなあと思います。性交場面というか、処女と童貞が性交したよ、という報告の一文だけで1961年米国のSF少年たちは鼻血ブーだったかと。ミッキ―安川の米国留学記で、彼女とABはするけれどもCはしない。妊娠に対する責任は、結婚後でないととれないから。だけど性欲はいかんともしがたいので、車に相乗りして牧場に忍び込んで家畜を獣姦する、という南部大学生ライフの記述があり、忘れようにも忘れられません。私の住むこのあたりにもかつて、家畜を獣姦しに来る人間がいましたが、アメリカのそれとはぜんぜんちがう。それが、シンジンイーアールサンサンの80年代カナダ滞在記で、ヒッピームーヴメントの頃青年だった人々の性体験数になると、百人斬りは当たり前、気があったりなんだりで、とりあえず"Let's try"でセックルしてまう人たちの時代があったことが分かります。経口避妊薬登場からAIDS蔓延まで。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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鳥人と現生人類が子どもの取り合いで対立項になるかと思いきや以下略ですし、初期の厳しい弱肉強食自然描写が後半弱まりますし、例によって英語のヘタクソな移民一世や出稼ぎを異世界に移植してみた、みたいな部族がぞろぞろ出ます。こういうのはスター・ウォーズが頂点でした。部族が人類のセックルを見て、「サンドウィッチごっこ」と形容するのですが、この世界にサンドウィッチはないはずで、ないのに単語だけ残ってるものかなあと思いました。

伊藤典夫サンは架空の生物名を思い切ってぜんぶ意訳したそうで、「這這(ハイハイ)」という動物だけ漢字名がついてます。眠かったのかな。「這(这)」という漢字は日本では「這う」という動詞で使われる例がほとんどですが、漢語では"this"の意味で非常に頻出の漢字ですので、これも彼我の漢字受容の差分の一つと言えましょう。日本語で"this"をあらわすとしたら「是れ」でしょうけれど、〈是〉"shi"は漢語では"is"、be動詞の意味。〈此〉の"here"、〈在〉の”exist”、は共通、かな。

這 - ウィクショナリー日本語版

本書では、人類がほかの生物と離れてひとり、文明を発達させたのは、脳内に巣食うキノコ菌類のしわざであったことが分かり、地球環境の激変で降り注いだ放射線で菌類が死んでしまったがために人類は別な方向に集団の進化をもっていかざるをえなかった、としています。なるほどなあと思いました。しかしこのネタもすごくもったいないオチの使われ方になります。日本は資源がないので、こういうアイデアの無駄遣い(プロットとして結末に収斂しない)はもったいないと思うのですが、資源大国アメリカはそうでもないのかもしれません。以上